第21話

 数日後、レイチェルはマーリンと調べたことについて意見が纏まったのでトリスティニア国王の元へとむかっていた。まだレイチェル自身も半信半疑だが、寝る間も惜しんで出した結論だ。


 むしろ、今はもうそれしか考えられない。


自分より疲労濃いままのマーリンも、老体を押して国王の執務室へと連なる長い階段を登り歩いているのだ。


(でも、まさか)


 それは、青天の霹靂だった。魔法も薬も使わず、魔物を普通の生き物のように飼育し従わせていたというのは。


 魔物の胃の中から餌が出てきたのだ。牛、豚、羊、馬。家畜に与えられる、人の手が加わった餌が。そして、魔物には生殖器官がなかった。避妊・去勢された家畜は気性穏やかになりやすく、従わせやすい。


 本職ではなかったから発見が遅れたが、魔物を飼うなどと誰もおもいつきなんてしなかったのだから無理はないだろう。盲点だった。


 ならば、どこかで魔物を飼育する施設があるのではないだろうか?


「グリフ殿も、これから苦労されるであろうのう・・・・・・」


 マーリンが独りごちた。騎士団長であるグリフは、王都内外を問わず、騎士団に動員をかけて日夜調べ回っている。間者と魔物の早期発見のために。だが、魔物の飼育施設も探索に加わるとなれば。


「ですがお師匠さま。そのような場所はかなり大規模でなければいけません。ならばかなり限られるのではないでしょうか?」


「ふむ。さよう。人目につく場所では意味がないしのう。ガリア共和国内にあるやもしれんわい」


「そうだとすれば、国境の関所を重点的に」


「舟で川を下って参る商人も多いでのう。なんにしろ人手が足りんわい。大がかりにすればバレてしまうでな。警戒されよう」


 直射日光が注がれる。この時間帯に陛下のいる建物には、屋根がない野ざらしのこの通路が近道なのだが、徹夜明けのレイチェルらにはキツい。


「ともかく、うん?」


 マーリンが、足をぴたりととめた。ある一点を見つめている。つられてレイチェルもそちらを確認すると、ちょうど庭園を見下ろせる場所だった。


「お、ウィリアムいいじゃないか! 今凄い音したのわかったでしょ?!」

「お、おう。なんか乾いた布を力いっぱい振ったときになる音みたいなのが?」

「そう! それだよ! 常にその音が出るように心がけるんだ!」


 ウィリアムがエリスの指導を聞きつつ、もう一度と試みている。エリスは密着して、手ずから動きを教えようとしている。それがウィリアムには恥ずかしくて、傍から見ているとじゃれているようにしか見えないのだ。


「殿下は息災のようじゃな。よきかなよきかな」

「はい。あの子のおかげだと」

「グリフ殿も心配されておったが、杞憂のようじゃ。お主も肩の荷が下りたのではないか?」

「はい・・・・・・・・・」


 勿論だが、本当は少し寂しいと言ったらこの師匠は呆れるだろうか。叱るだろうか。忙しくて二人で会える時間がないとはいえ、エリスに任せきりになっていた。弟のように大切におもっていたウィリアムが自分を必要とせず立ち直ってしまえば、寂しいのだ。


 勝手だとやっぱり自分でもおもう。


 だが、本音と建て前をわけられるレイチェルは、それを悟らせないために曖昧に笑ってごまかした。


「まぁ殿下もお年頃。歳の近いおなごと接すれば意識せざるをえんじゃろう。最初はどうなることかとおもうたが」

「あははは・・・・・・その節はどうも本当に」

「とはいえ、あの娘ごの、振る舞いはいただけんが」


 しっかりと釘を刺されて、心臓がドキリとした。


「は、はい・・・・・・・・・。でもエリスちゃんは良い子なんですよ?」


「それは重々知っておる。最近では非常識な振る舞いが減っておることも。王宮で暮らしておる者ら、特に次女や使用人らにも分け隔てなく接して話しておる。それが問題と申す輩もいる。王妃様のことがあるからな」


(あれ?)


 話ながら庭を見下ろしていると、二人を離れたところから観察している人物がいた。レイチェル達が会いに行こうとしていたトリスティニア国王だ。


「お師匠さま。あちらに」

「うん? おや、陛下はあちらにおられたか。しかし何故じゃろうか?」


 トリスティニア国王の公務の予定が早まったのだろうか? 散歩か息抜きのために通りかかったのだろうか?


「あ! 国王陛下おはようございます!」

「ば、馬鹿エリス!」


 目敏く気づいたエリスは脱兎のごとく駈けてぶんぶん手を振りながらトリスティニア国王の元へ。あまりにも馴れ馴れしすぎてレイチェルはひやひやした。


 ともかく。二重の意味でトリスティニア国王の元へ行かねばならないレイチェルはマーリンと共に来た道を引き返したのだった。


「あ! レイチェル、マーリンさんこんにちは!」


 マーリンは側にいるトリスティニア国王に耳打ちした。そして身ぶり手ぶりでレイチェルに伝えてきた。こっちは自分がなんとかするからエリス達を引き離しておけ、と。


「さっきまで鍛錬していたの?」

「うん、でもちょっと休憩する!」

「このあと、俺の仕事もないしな」


 マーリンの意を介し、エリスとウィリアムへと向き合う。エリスは腹ばいになって寝っ転がっているので行儀が悪い。しかし、それを咎めるのが後ろめたいほど日差しが暖かくなっている。


「ねぇレイチェル。いつ王都に行っていいの?」

「そうねぇ。まだ先でしょうね。エリスちゃんは王都が気に入ったのね?」

「うん、今度はもっと面白いもの食べたいしお店にも行ってみたいんだ! ウィリアムと一緒に!」


 ちらりとウィリアムを視界の端でたしかめると、口をへの字に曲げている。エリスと二人で行くのが不安なのだろうか。とにかく、今無闇に王宮内に出るのは禁じられている。


「む、むにゃ・・・・・・・・・」

「エリスちゃん?」


 エリスは、うとうとと重そうな瞼を擦りながら頭をかっくんかっくんとさせている。そして地べたに突っ伏して静かな鼾をかきだした。


 寝落ちしてしまったのだ。


「こいつ、妙にはりきってるからな。最近」

「そう。ウィリアム君も?」

「あ? 俺?」

「そうよ。ウィリアム君も調べようとしているんでしょう?」

「よく見てるな・・・・・・・・・忙しいくせに」

「こう見えても元・教育係兼お世話係でしたから。気を配っているのは当然でしょう?」

「エリスに押しつけてやがったくせに」

「まだ無理しないで。少しずつでいいのよ」


 頭を撫でてしまいたくなるが、ここはそこそこ人目に晒されやすいし、なによりウィリアムは拒絶するだろう。それが照れ隠しだとしても。


「俺は、今までがしなさすぎたんだ。王族として」

「それは・・・・・・・・・」

「今だって、レイチェルとエリス以外の人とは話せない。目も合わせられない」

「・・・・・・・・・」

「それに母上だって」


 ああ、だめだ。


 レイチェルは自責した。深い悔悟に苛まれて悲しい目をしているのに、それを癒やす言葉を投げかけることさえできない。


「それは、あなたのせいじゃ・・・・・・・・・」

「むにゃ・・・・・・」


 反論に困ったとき、エリスが寝ぼけているのかレイチェルの膝まで転がってきた。額をぶつけるとものともしないで乗り越え、太ももの間にすぽっと挟まった拍子にとまった。


「ほんっとにこいつは。護衛対象を残して寝るか? 普通」


 エリスに悪態づくウィリアムの顔は、どこか優しい。それだけでエリスがやはりウィリアムに特別な影響を与えているんだとひしひし伝わる。


「大切な人が亡くなったら悲しんでしまうのは当たり前よ。それも目の前でなくなったのなら」


「ん・・・・・・・・・そうかな」


無責任かもしれないが、レイチェルはこの機会に色々話したい気分になった。ウィリアムと二人で話せる機会なんて、久しくなかったんだから。


「ねぇウィリアム君。エリスちゃんのことどうおもってるの?」

「いきなりなんだよ」

「ちょっと気になってねぇ?」


 ウィリアムは、うずうずとした、興味津々だけど敢えて隠そうとしているというレイチェルが疑問だった。


「ねぇねぇ。どうなの? どうなの?」

「・・・・・・・・・変なやつだっておもってる」

「他には?」

「もう少し常識を身につけてほしい」

「そうじゃなくて」

「あと、強いやつだっておもってる」

「それはそうかもだけど」


 どうしよう。想定していた狼狽も羞恥に悶えたリアクションもない。歳相応の甘酸っぱいドキドキというものがないのだ。


「あと、感謝はしてるよ」

(感謝か・・・・・・・・・)

 それは、レイチェルもエリスにしていることだ。ウィリアムと出会ったこと。護衛になったこと。彼を導いてくれていること。どれも自分ではできなかったことだからだ。

 けど、それを素直に、今ウィリアムに言うことはできず、笑顔でごまかした。


 レイチェルもウィリアムより年上とはいえまだ成熟していないのだから。今は久しぶりにウィリアムと語らえることを優先したい。


「なぁ、俺らにもなにかできることねぇか?」

「え? できること?」

「か、間者とか魔物とか調べることについてだ」

「わざわざウィリアム君が担当することはないんじゃないかしら? なんだったら国王陛下に直接」

「それはまだこわい・・・・・・」

「もう・・・・・・・・」

「けど、レイチェル達だって大変なんじゃねぇのか?」

「それはそうだけど」


 気持ちは嬉しい。だが、やはり。


「隈黒いし。肌荒れてるし」

「う、うぐ・・・・・・」


 余計なお世話も含まれているが。


「婚期逃すぞ」

「ウィリアム君、ごっちん! していい?」


 ウィリアムが蒼白になって頭を隠した。ごっちん! とはレイチェルの拳骨だ。しかし素手ではない。魔法によってごっちん! とされてしまう。とんでもない痛さなのだ。


「な、なんだよ! 心配したんだろ! ただでさえお前恋人今までいなかったじゃねぇか! 魔法使いって研究とか仕事に没頭しすぎて結婚するのが遅いとかしてないやつが多いって話じゃねぇか! あとお前今いくつだよ!」

「へぇ・・・・・・・・・」


 あ、しまった。ウィリアムは後悔した。


周囲をざわつかせるほどの不自然な風が吹いてレイチェルに集まっている。帽子で表情が黒く隠れているレイチェルの頭上。可視化できる巨大な拳が魔法で形成された。


「し、失礼します殿下。レイチェル様もいらっしゃいましたか」

「な、なんだ? 早く教えてくれ!」


 渡りに舟とばかりに、背後からやってきた使用人に催促をした。このままではいつレイチェルのごっちん! が炸裂するか。


「お客様がいらしています」

「き、客?」


 ふ、とレイチェルの周りで満ちていた独特な空気が消えた。魔法の発動をやめたのだ。自分かウィリアムのどちらかを訪ねてきた人だと、冷静になれたのだろう。


「ともかく、誰だ?」

「それが、お二人にではなく」

「「?」」


 なら、どうして自分たちの元へ来たのかと、言い淀んでいる使用人に尋ねたかった。

「エリス様にです」


 皆の視線が寝ているエリスに注がれた。

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