第20話
図書室までやってくると、流石に広く暗いので壁に掛かっている燭台に火を灯し、進んで行く。ある本棚の前でウィリアムが屈んだ。
「ここは、いざというときの隠し通路だ。王族だけが知っている。俺も母上から教わった」
本を数冊とって、奥にある鍵穴に自らのを突っ込む。カチリと開いた音がした。
エリスがウィリアムの指示で本棚を引っ張ると、前へと移動してくる。エリス二人分くらいある奥行の本棚を、右隣の棚の前までスライドさせ、露わになった壁の扉に。
「ここに来たのは随分と久しぶりだ」
扉を開けると、荒く作られた人一人通れる下に繋がっている階段があった。
通路はごつごつとした岩壁に肩を擦ってしまうほど狭い。きっと掃除すらされていないのだろう。足跡がくっきりとできているほど埃が溜まっていて、煙たくて咽せる。
「前はいつ来たの?」
「十年前かな。一度しか来てない。母はいざというときしか使ってはだめだと」
「じゃあ今がいざってときなの?」
「・・・・・・・・・どうだろうな。いや、そうだとおもった。だから来たかった」
母は、きっと命が危ないときを想定して言ったのだろう。けど、今は違う。ウィリアムの差し迫った危機ではない。トリスティニア王国全土の危機だ。
階段を下りきると、丸い円形の空間が広がっている。中央部には円卓と複数の椅子。
「ここは一時的な避難所になっててな。食べ物とか飲み物を保存できる。そんで、この先に通路がある」
「どこまで通路は繋がってるの?」
「王都の外にある、枯れた井戸だ。そこを登って外に出れる」
「へぇ。面白そう」
うずうずそわそわしているエリスがクスリと笑ってしまったほど子供っぽくて。昔の自分と重なった。
最初、母に教えられたときははしゃいで一人で通路を抜けて井戸まで行こうとした。あのとき幼い息子と一緒にいた母も、今の自分と同じ心情だったのだろうか。
「ねぇウィリアム。ウィリアムのお母さんってどんな人?」
円卓にひょいと軽快に登り、揃えた足をぷらぷらと揺らす。燭台の小さい灯に照らされるエリスは、暗がりだからか、控えめな笑顔が大人びて見える。
「母上は、こわい人だったな。厳しくて。乗馬用の鞭をよく持っていたっけ」
「鞭?」
「ああ。それをブンブン振ってな。尻をよくぶたれてこわかった。あと頭がよかったな。学問も教えてくれたし。ただ手先は不器用だった」
「そうなの?」
「そして、優しかった。叱られるときは鬼のように怒るけど、褒められるときはめいっぱい笑いながら褒めてくれた。それが嬉しくて俺は―――」
不意に、こんなに母のことを話したことなんて一度もなかったとおもいだし、急に恥ずかしくなった。
「羨ましいな。僕にはお母さんもお父さんもいないから」
「・・・・・・・・・」
それきり、二人は黙りこんでしまう。
「ねぇ。ウィリアムはさ、こわくないの?」
答えたくはなかった。素直に弱さを晒すのは、とてつもなく勇気がいる。
特に、エリスには。
「ああ。こわい。こえぇよ。今もこえぇ」
何に対してこわいのだと、エリスは言葉にしていない。ウィリアムもそうだ。
過去の記憶、また同じ事を繰り返すのではないかという不安。トリスティニア王国に害をなそうとしている誰か。自分への情けなさ。
諸々の、漠然としたことに対して、ただこわいと形容した。
「だから、俺はここに来たんだ。来たかった」
感傷に浸たりたいわけではない。過去を懐かしみたかったわけではない。
情けない自分を奮いたたせたい。自分を戒めたい。そのために、自分のせいで死んだ母が教えてくれたここへ来たのだ。
あの頃と同じじゃだめなんだと。もう守られるだけじゃない。二度と母のように、誰かを死なせたくない。
ウィリアムなりの一種の決意だ。
昼間の決闘騒ぎを通じて、改めて決意が固まった。エリスの姿をみて、もう母親と同じことを繰り返してはいけないと。
(そういえば、)
「なぁ、エリス。お前決闘のときいつもと違う闘い方じゃなかったか?」
「え、ウィリアム気づいていたの?」
「ああ。そりゃあな」
「えへへへ、」
なんだか嬉しがっているエリスだが、どこに喜ぶ要素があったんだろうか?
「あれは、僕がいつも使っている型と違う。掴み技、投げ技、関節技を基本に使う型だ」
「どうしていつもと違ったんだ?」
「わからない」
「ん?」
「ただ、自然と使っていたんだ」
師匠であるローガンがいっていた。本当の強者は、頭の中でこの型を使う、こう相手が来たらこの技で、この動きでと想定したり考えたりしない。
自然とその場その場で体が適した動きと技を放つのだと。ローガンもその節があった。
「じゃあエリスは師匠と同じ境地にたったってことか?」
「うう~~ん。どうだろう。初めてなんだそんな状況になるのが。記憶にもないし」
「記憶?」
「うん」
自分の動きをたしかめているのか、ゆっくりと技を、動きを再現している。ウィリアムにしてみれば途方もなさすぎる。強さの次元が違う。
「僕よりもウィリアムほうが凄い。強いよ」
「・・・・・・・・・嫌味か?」
「なんで怒るの? 本心なのに」
「お前に褒められたって素直に喜べねぇよ。俺は身の程を弁えてるんだ」
「そんなことないさ。だって君は僕と―――」
(あれ?)
同じく恐怖を語った二人だが、微妙な違いがあるのではないか? と気づいた。主にエリスとウィリアムを比べてだが。
エリスはとてつもなくこわい。ウィリアムとレイチェルが死んでしまったと想像するだけで。
心臓を乱暴にぎゅっと掴まれて息苦しくなり、背筋がゾッとして肌が粟だつ。それだけでなにもできなくなる。
でも、ウィリアムは、自分と違ってこわさに囚われていない。大切な人を失うという体験をしているのにも関わらず。
恐怖を持ちながらも支配されていない。
恐怖を克服しようとしている。
「そうか・・・・・・」
「エリス?」
強さとは目の前に存在する力だけじゃない。感情、闘おうという気力を縛る恐怖にさえ立ち向かわなければならない。
こわいから、強くなりたい。
こわいことを覆せるように。
こわいことにたちむかえるように。
こわい人と闘えるように。倒せるように。
ウィリアムを死なせないように。
皆を死なせないように。
エリスには、まだそれができていない。
していなかった。
「そうだ、そうだよ!」
ウィリアムは、エリスができていないことをやろうとしているのだ。だから、エリスとウィリアムは違う。
「凄いなぁ。ウィリアムは。凄いよ」
「な、なんだよ突然。お前に褒められても嬉しくねぇよ・・・・・・」
トリスティニア国王が教えてくれたことは、このことだったんだ。恐怖を克服することも、強さだと。心も強さがある。
ウィリアムは、心が強いんだ。僕にはそれが足りないのだと。
「そろそろ戻るぞ。寒くなってきたし、誰か図書館に来てるかもしれねぇしな」
「うん! ウィリアム、僕やるよ!」
俄然やる気を出したエリスは、今度トリスティニア国王に会ったらこのことを話そうと決めていた。
一方先程のテンションとの落差に付いていけずどこか一歩引いているウィリアム。だが、内心は連れてきてよかったと、安心していた。
「いいか? さっきも言ったけどここのこと誰にも喋るなよ?」
「うん、任せて! きっとどうでもいいことは忘れちゃうから!」
「謝れ! 死んだ母上に特別な人間にだけしか教えちゃいけないという一人にお前を選んだ俺に謝れ!」
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