第16話
「はああああ、せいはああ!」
エリスの踵が直撃した。上空から落下するスピードと威力によって胴体が裂けて両断されたのみならず、地面が陥没して土煙が舞い、パラパラと礫が散っている。
子供一人分の大きさもある魔物、兎の特徴が濃いアルミラジは今エリスが倒したので全滅した。相手が手加減しなくていい魔物だったからか、死骸はひどい有様だ。頭が潰れ手足が千切れ、そこかしこから骨が見え隠れしてずるりと腸が飛びでている。
そんなグロテスクな死骸が計三十体ほどそこかしこに転がっているのだから、ウィリアムには堪らない。目が眩み、胃の中身を全部吐いてしまいそうだ。
(くそ、なんでこんなことに………)
父であるトリスティニア国王らの許可は、あっさりと下りた。
他のレイチェルやマーリン、グリフといった重要人物達さえ同意した。エリス単独で尋ねにいったのだから最初は嘘つけ、と高を括っていたのだが、私室に戻ってきたエリスはあろうことか勅書を携えていた。
「これを君に渡せってさ」
「まじかよ………」
「これで、大丈夫だよね?」
父は、一体なにをとち狂ったのだろうか。
それからは早かった。四の五の述べるウィリアムを抱えて、王宮から王都へと引きずられていった。途中からはウィリアムも抵抗より羞恥心が勝ったのでやめてもらったが。
難しいことではなかった。王都の国民が捨てるごみを纏めて置いておく区画の位置はわかっていたし、王宮から調査にきたと伝えればあっさりと中に入れた。
こちらの気配をかんじとったアルラミジはあっという間もなく群れとなって襲いかかってきた。そこかしこに潜んでいたのだろう。
獰猛なアルラミジは、兵士一人でも一体倒すのが難しい敏捷性と殺傷能力がある。しかも一度逃げると追うのも大変だ。それが集団で襲ってくるのだ。おそろしいなんてものじゃなかった。
エリスによって、すべて返り討ちにされたが。
群れを倒すと、隠れ潜み、逃げたアルラミジを探すことに時間が費やされた。徹底的に区画を回ったしさっきの一体で最後だろう。
「ねぇねぇウィリアム! どうだったどうだった!?」
意気揚々と感想を求めるエリスは、返り血を拭うことさえしていないのでドン引きしているウィリアムは返答も躊躇われた。
「まぁ、凄かった……ぞ?」
「へへへ」
鼻頭を擦るエリスは、腕白っぷりがあるだけでなく、どこか照れている。
「ウィリアムだってもうちょっと頑張れば僕みたいになれるさ!」
「いや………ちょっと遠慮したくなったぞ………」
「ええ!? なんでさ!?」
とはいえ、魔物は駆除できた。あとはどうしてここに出現するようになったのか調べるだけだが、自然と住み着いたわけがない。入り口にも見張りはいるのだから。
(俺じゃなくてもよかったんじゃないか?)
エリスの活躍っぷりと比べると、自分のぽつねんとした、ついで感がごまかせない。
「けど、こんなにゴミがあるなんて。住んでる人皆ここに捨てに来るの?」
「いや。ゴミを引き取ったり、拾うのを仕事にしてる奴らがいるんだ。そいつらが定期的にここへゴミを持ってくる」
「へぇ~~。いろんな仕事があるんだねぇ。その人達が来たとき、魔物も一緒に入っちゃってたとか?」
「んなわけあるか。流石にそれじゃ見張りも気づく。その時点で大騒ぎになる………」
「ウィリアム?」
いや待てよ? と。
ゴミを持ってくる者は、一人一人身分が明らかになっているわけではない。どちらかというと裕福ではない者達、下層民の仕事なので素性がはっきりしていない。
裏を返せば、本来そういう者でなかったとしてもそれらしい服装をして、ゴミを持ってくれば怪しまれないということだ。
ゴミの中に魔物を隠しておけば中に連れこめる。しかし問題は魔物をどうやって大人しくさせておくかだ。人を襲う習性がある魔物が静かにじっとしておくなんて。
そちらはレイチェルとマーリンが原因究明に奮起しているのだからウィリアムが頭を悩ませる必要はないが、どうしても人為的な怪しさがある。
とはいえ、見張りの兵士に言い含めて出入りする者の顔と、ゴミの中身を今度から調べるよう(エリス経緯で)命じた。
尾を引く件ではあったが、終わったのでもうできることはない。ウィリアムはエリスを伴って王宮への途についた。
「でも、誰が魔物を連れてきてるんだろうね」
「……さぁな。だけど碌な人間じゃないだろうぜ。トリスティニア王国に被害が出ると得する人間なんてよ」
「………」
エリスはこのとき、ウィリアムの過去をおもいだした。間者によって母親を失ったという話が、なんだか今回の魔物の件と重なってしょうがない。
なによりウィリアムの眉間に嫌な皺を寄せているし、口のあたりに忿懣の影が浮かんでいる。そんなウィリアムを見ているのがいやで、エリスは無意識に頭を撫でた。
「い、いきなりなんだよ!」
「いや、なんとなく」
「やめろ血がつくだろというか臭ぇよお前!」
そのとき、ウィリアムは自分達が注目を集めていることを初めて知った。できるだけ姿を晒したくないウィリアムと、血塗れのエリスが騒いでいるのだから当然なのだが。
ひとまず、エリスを奇麗にさせることが先決だと井戸を探した。その場で全裸になろうとしたエリスをとめ、血の汚れがめだたないくらいにさせたが、その後が大変だった。
「あ、ねぇウィリアム! 屋台だ! 焼きリンゴでしょ!? あれ! あっちの串のお肉も美味しそう!」
「おい、ちょ、ま、」
エリスは街のあちこちにある屋台の食べ物に意識を奪われてウィリアムをあちこちに振り回している。瞳を輝かせて鼻息が荒いエリスは、まるで躾ができていない大型犬を散歩させている気分だ。彼女に尻尾があればぶんぶんと勢いよく左右に振っていることだろう。
最初はそんな気がなかったウィリアムだが、ほどよく焼けている肉と香辛料の匂いに食欲を誘われ、ごくりと生唾を飲む。
珍しく外出してしまったからか、既に空腹だ。油でカラッと揚がっているフライも、ホットドッグもクレープが宝石以上の魅惑を放っている。
「………ま、まぁエリスも頑張ったしな。好きなの買っていいぞ」
「え!? いいの!? やった!」
あくまでエリスを労うという名分で買うことにした。はしゃいでいるエリスがウィリアムから代金をもらって、ぴゅ~~! と台風のように駆けた。
「ねぇウィリアム~~~! お金っていくら渡せばいいの~~~!?」
「馬鹿お前!」
「ん? なんだ嬢ちゃん。連れはウィリアムってぇのか? 王子様と同じ名前じゃねぇか」
金銭で物を買った経験がなかったエリスのせいで血の気が失せていく。王族だと知られれば人目を集める。もしそうなったら。
絶体絶命の危機だ。
「同じっていうか本人――」
「だから馬鹿エリス!」
「もが!?」
エリスを押さえたものの、屋台の親父はじっととウィリアムを品定めするように睥睨してくる。過去の記憶を想起してしまう。心臓がバクバクと早鐘を鳴らし、呼気が乱れて浅く短く、焦点が合わず視界がグラグラと揺れる。
(王族だとばれたら。母上みたいに)
ウィリアムは、恐怖から足が竦んで目をぎゅっと瞑った。
「それで坊主。いくつ買うんだ?」
「へ……?」
「二つか?」
「あ………ああ」
屋台の親父が告げた値段分代金を渡すと、それで興味を失せたのがわかった。ほっとするよりも、生きた心地がしないのでさっさと離れた。
「うわぁ美味しい!」
「ああ、たしかに。この味は珍しいな」
他の屋台を巡ってほしい食べ物を粗方手に入れて、建物に面した螺旋状の階段に腰をすえた。両手で抱えるようにして、大量の食べ物を手当たり次第に貪っている。
「お前、そんなに食って夕食大丈夫なのかよ」
「問題ないさ。むしろ腹一分だから」
「どんだけだよ。つうかお前少しは考えてから動けよな。もし俺が王子だってばれたらとんでもないことになるんだぞ」
冷静に考えれば、ウィリアムはずっと王宮内に引き籠っていたのだから誰も顔を知らないのも当たり前か。
「うん、わかった!」
「本当だろうな………」
「うん、本当本当! 僕達を追跡してる人はいないし。だからウィリアムもゆっくり食べなよ!」
「え?」
「? だって君、さっきから周りチラチラ見てるじゃない。王宮を出てから」
(こいつは………)
「まぁ誰がきても、僕は君の護衛だからね。守るさ」
親指についた食べ滓をぺろりと一舐めするエリスには、お気楽さしかかんじられず、こっそりと警戒していたなんて様子は微塵もない。
ましてや不安になっているウィリアムにさえ気づいていたなんて。
エリスだったらできそうだという説得力があるけど、いつまで経っても人間離れしたエリスには毎回度肝を抜かれる。
格闘術を学んだからか。それともエリスが産まれもった才能なのか。
「いいから、さっさと帰るぞ。まだやらなくちゃいけないことがあるんだ」
「ええ~~? もう帰っちゃうの?」
伸ばした足をぶらんぶらんと揺するエリスは不満を垂れている。
「遊びに来たわけじゃ――」
「邪魔だおら!」
ドン! とウィリアムは後ろから突き飛ばされた。体勢が大きく崩れて段差を踏み漏らし、そのまま石畳へと落ちそうになる。
「おっと、大丈夫?」
エリスがウィリアムを掴んで、そのままお姫様だっこの要領で支えた。膝裏の衝撃を屈んで分散させながらぐるんぐるんとダンスさながらに回転、落下する勢いを完全に殺した。
「人様の通り道を塞いでんじゃねぇよ、たく」
ウィリアムを突き飛ばした男達は、傭兵を生業にしているのだろう。革の防具を纏い、剣や槍を携えている。相手を威圧する野蛮な口調、とにかく関わってはいけないオーラがする。
「エリス、下せ。それでもう帰ろうぜ」
「ちょっと待ったウィリアム。ねぇ。わざと押したよね?」
「あん? なんだてめぇは」
「おいエリス」
止めて、ウィリアムは驚いた。珍しくエリスは怒っていた。
「だったらなんだってんだ? ああ? ガキが」
「どうしてわざと怪我させるようなことするの?」
「お前らが階段を塞いでたからじゃねぇか」
その言い訳は、苦しすぎる。階段の幅は広く、ウィリアム達は半分も塞いでいない。難癖だ。
「だったら喋ってどいてもらえばいいじゃないか」
「あああああ! めんどくせぇなこのガキども! 殺すぞ!」
「いいってエリス」
「でも。君だって怪我するところだったじゃないか。わざと怪我させるなんておかしいよ。そんなの卑怯で最低じゃないか」
「ああ? 卑怯だぁ?」
「そうだよ。たしかにウィリアムはへなちょこだ。この階段から落ちただけでショック死しかねないほどさ」
エリスにとってウィリアムの評価が低すぎるのは何故だろうか、と少し悲しくなった。
「それでも、あなた達に怪我させられる理由にはならないよ」
「ウィリアムゥ? この国の王子と同じ名前じゃねぇか」
ビク、と怯えてしまった。咄嗟にフードを深くかぶりなおした。
「ぎゃははは! たしかに! かわいそうによ!」
「………かわいそう?」
「そうだろうがよ。王妃を死なせる原因を作って、今も王宮に引き籠ってんだろ? そんな情けねぇ男と同じ名前がかわいそうじゃなくてなんだってんだよ」
「………」
そのとおりだ。この男達の言っていることは正しい。自覚もしている。だめな王子で、情けない男だと。今日も護衛であるエリスに頼りっぱなしだ。
自分なりに変わろうとしていた。新しい自分になるため。少しでも強くなるため。でも、結局だめだ。俯いて、涙を堪えるために歯を食い縛るしかできない。気落ちし、男達の気が済むまで耐えることを選んでしまうのだ。罵声も当たり前だ。
「謝れよ………」
「あ? なんだって?」
だから隣にいたエリスが今までにないくらい怒気を発して。プルプルと小刻みに震えているのも気づかず。
「謝れよっっっ! ウィリアムに!」
男達に喰ってかかったときも、突然の怒声に竦んだ。
「王子にも謝れよ! なんにも知らないくせに!」
「ああ? なんだよ」
「いきなり大声で……」
「かわいそうなんかじゃない! ウィリアムは! 情けなくなんかない! 頑張ってるんだ! だから謝れ!」
雷鳴のような腹の底にびりびりと響いてくる大音声で詰め寄るものだから耳の奥がキーンとするほど痛い。ウィリアムだけじゃなく男達も同様だ。
「ウィリアムは強くなろうとしているんだ! ウィリアムを馬鹿にするやつは僕が許さないぞ!」
ああ、エリスは自分のために怒っているんだ。怒れない俺の代わりに怒っている。
本当ならエリスを、なにやってるんだお前ってとめないといけないのに。
さっきは我慢できた涙が、溢れてくるほど喜んでしまう。
「謝れ! 謝れ! 謝れっっっ!」
「え、エリス………」
「おい、こいつどうする?」
「ここで騒ぎになるのも」
「いや。いい手があるぜ? 面白いじゃねぇか。お前達が俺達に勝ったら土下座でもなんでもしてやるぜ」
ニヤついた男の一人が、前に進みでた。
「広場に来い。ちょうどいい見世物をしようとしてたんだ」
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