第15話

「ぐ、ぎ、ぎ………」

「よし、今日はここまでにしておこう!」


 朝食前の鍛錬が日課になって数日が経過している。ウィリアムは拙いけど筋力トレーニングと型の稽古を投げだそうとしない。


 成長著しいわけではない。姿勢は疲労と共にだらしなく、体幹も崩れていく。今も仰むけで倒れている。


 けどウィリアムが続けていることが大切なんだと誇らしくなった。


「えいっ」

「ひぎゃあ!」


 エリスが悪戯っぽく濡れた布巾を首筋に当てると大げさっぽく反応して、ゴロゴロゴロォ! と転がるのもするのも面白くて、何度もやってしまう。


「なにしやがるんだ! ビックリするだろ!」

「でも気持ちいいでしょ?」

「だからっていきなりやるやつがあるかぁ!」

「えへへへぇ」


 レイチェルから彼の過去を聞いてから、エリスはこんな調子だった。ウィリアムの過去を聞いてから前にも増しておかしい。


 遠慮がない。それでいて、無礼というのはあまりにも親しみがあって優しい。しかし一定の程度が保たれているのだからウィリアムも困惑する。


 エリスの未熟でしかない精神がウィリアムへの親近感、情ともいえるものに多大な影響を及ぼした結果なのだが。


「なんなんだ……」

「よぉし、じゃあストレッチしようぜ」

「ちょ、やめろって! 自分一人でできるわ!」


 まだ浴場での記憶が新しいウィリアムは使った布巾をエリスに投げつけ、ストレッチを開始した。痛んだ体が、更に軋むようだ。


「よっと」


 エリスが横に座って開脚をした。そのまま上体を地面にくっつける。エリスに倣ってストレッチを次々と切り替えるが、しなやかかつ柔軟なエリスには舌を巻いて真似できない。


「お前はタコかよ」

「君だってできるよ。絶対」


 和やかに答えるエリスだが、自分の硬さと比較すると自信がない。


「というか体の柔らかさなんて格闘術に必要なのか?」

「必要だよもちろん。上段に足で攻撃するとき。股が開けないと届かないし。体捌きのバリエーションも増えるし技の攻撃力も変わっちゃう。身に着けておいて損はないよ!」

「へぇ。そんなもんか」


 朝食時になると、エリスの態度はより顕著だった。もりもりと食べるウィリアムは気持ちがいいし、顔つきも綻んでいる。


 なにより室内が明るい。カーテンは開け放たれて陽光が差しこんでいる。ウィリアムが今部屋のカーテンを閉めているのは夜だけだ。


 ずっと暗くジメジメとした場所からウィリアムも出ようとしている。そう考えてしまうとエリスも、僕も頑張ろう頑張らなきゃという心理になって、ウィリアムへの親しみが増すのだ。


 政務の一部、王子としての仕事をしているときは、やはり退屈だった。下手にだらけたり型稽古をするとウィリアムが怒るし、レイチェルにも怒られる。


「どうしたの?」


 迅速に書類の処理をしていたウィリアムだが、手がとまった。腕を組んで顰めた様子からはありありと困ったという空気がある。


「お前には関係ない」


 いくらエリスとはいえ、政務の内容を誰彼かまわず晒すことは情報漏洩を防ぐためにも、他の理由からでもできない。


 けどエリスは納得しない。椅子、体勢、手の位置。最小限の動きで文面を晒さないようにしていたが、強引に文面を見ようと、遮ろうとするウィリアムに纏わりつく。


「だあぁぁ! 鬱陶しい! ただ誰に命じるか悩んでいただけだ!」

「命じる?」


 ウィリアムによれば、王都のある区画で魔物が出没している。見回りの兵士達によって民には被害が出ていないが、数が多い。王都にはいない種であるため、何故出没するようになったかの原因を究明しなければならない。


 だが、レイチェルもマーリンも、その他の者も忙しくふさわしい人物がいないため、悩んでいたということらしい。


「じゃあ僕がいくよ」

「お前自分の役目放棄するのか? ダメに決まってるだろ」


 それ以外にも、エリスは適任ではない。魔物を倒せはしても、原因を究明できる知識がないし、斜め上すぎることをしでかす。


「じゃあ君と僕が一緒にいけばいいんじゃない?」

「はぁ? もっと無理だろ」

「なんでさ」


 ぐ、と押し黙る。王子としての立場もさることながら、まだ自ら王宮の外に出れる自信がウィリアムにはない。


 けど、それをエリスに説明するには意地があった。


「でも、前レイチェルと一緒に街に行っていたろ?」

「ぐ、あのときはだな」

「それに、王都の人達が困るかもしれないんだろ? だったら王子として調べにいくべきなんじゃないの?」

「ぐぐ、」

「ええ~~~っと。そうだ。王族の責任、義務だっけ?」

「この………エリスのくせに……!」


 とはいえ、ウィリアムもエリスに指摘されて使命感が目覚めかけていた。それに、行ってみたいという欲望も。


「第一俺が王都に出るなんて許可されるわけないだろ………」

「許可って誰の?」

「そりゃあ父上とか大臣とかだ」

「どうして?」

「はぁ?」

「大臣って君の家来なんだよね? どうして家来の許可が必要なの? 君のやるべきこと、したいことを国王陛下の許可がいるの?」

「俺がそうすることで心配や迷惑をかけるからだ! 王族だからってなんでもかんでも好き勝手やれるわけじゃねぇ! それで母上は――――――」


 感情に任せてとんでもないことを口ばしろうとして、おもわず手で押さえた。ウィリアムにとって忌まわしい過去を、よりによってエリスには知られたくはない。何にも代えられない恥だ。


「そうか……なるほど」


 やっと納得したか、と椅子に座りなおした。


「………許可があればいいんだね?」

「は?」


 悪戯っぽく微笑んでいるエリスに、嫌な予感がした。


 まさか。お前? なにをするつもりだ? という指摘も躊躇われて。


 ただ冷汗が流れた。

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