第14話

 レイチェルの私室はエリスが普段使っている部屋と大差ない。マーリンの部下として日夜魔法の仕事に明け暮れている。


 空いた時間などでも個人的に調べもの・研究をしているが、整理整頓をきっちりとして過ごしやすい空間を確保してはいたが、他と一線を画していた。


 部屋中に書物や器具、材料を仕舞える棚があり、一際大きいスペースには人が一人寝られる木の台、そしてなにに使うのかでん、と置かれた巨釜。私室というよりも小規模の研究室のようだ。


 薬と草の匂いが強く小さい窓を開けて換気をしているが鼻がツンとしそうだった。

 今この場には、レイチェルとエリスしかいない。トリスティニア国王らとの話を終えたあと、改めてエリスに話しておかなければいけない。


 できるだけ穏やかに優しく語り聞かせているものの、当のエリスは、どこか険しい顔つきだ。いつも朗らかで心の底から純粋な彼女がそんな顔をするものだから普段とのギャップが凄まじい。心ここにあらず、という雰囲気でもない。


「ごめんなさい」


 素直すぎる謝罪も、エリスには似つかわしくない。ここまでくると奇妙さしかない。


「どうしたの? エリスちゃん」


 説教を終わらせても、中々顔が晴れなかったので流石に気になった。


「うん………ウィリアムのお父さんに言われたことが―――あ。国王陛下に言われたことが」


 律儀にも敬称を直したエリスだが、今話していいことなのかどうか彼女なりに逡巡しているのだろう。


「僕、子供と一緒だって。玩具に夢中になってて、ウィリアムより弱いって。ウィリアムは弱さを自覚している。でも、それって強さとどういう関係あるのかな。強くなるのに必要なのかなって。でも、なんだかそれだけじゃないような気もして」


「……うん」

「僕、どこかおかしいのかな? 国王陛下の言葉が……なんだか胸にすとんって入ってきて。残っているんだ。本当のことを言われてるんじゃないかって。でも、それがわからないんだ」

「うう~~ん………」


 エリスは、とてもアンバランスな少女だったのだとはっきりと認識した。他者から指摘された欠点を事実として納得する素直さがあり、欠点を克服する意志もある。


 だからエリスが悩んでいることは、重要なことなのだ。


 強さを求めるためだけではない。彼女自身の人生にとって。


 なにより護衛をしているウィリアムにとって。


「ただ楽しいじゃだめなのかな? 強いってなんなのかな? 弱いってなんなのかな? どうしてあの人は僕がウィリアムより弱いって言ったのかな? 僕のなにが弱いのかな?」

「そうねぇ………」


 本来なら誰もが芽生え、または成長するにつれて自然と備わり、教えられ学びとることが、エリスには圧倒的に欠けている。正しくエリスに伝えるには、レイチェルは人生経験が足りていない。


「ねぇ、エリスちゃん。ウィリアム君が必要以上に人を避けたり接するのが苦手だっていうのはわかってるでしょ?」

「うん」

「でもね? 昔はやんちゃだったのよ?」

「やんちゃ?」

「エリスちゃんみたいに国王陛下や王妃様に、いつも叱られたくらい」


 嘘じゃないか? 今のウィリアムとレイチェルが語る、やんちゃという姿はあまりにも乖離していて想像すらできない。


「なにがあったの?」

「誰にも喋らないって約束できる?」


 レイチェルは自分の責任で、ウィリアムの過去を語った。






 ウィリアムは生来、明るくて活発な王子だった。


 身分と立場に隔てなく明るく接し、勉学より遊ぶことを好んでいた。内緒で王宮を出て王都に遊びにいき、姿が消えたと騒ぐ周囲を人達に不安と心配ばかりさせていた。


 自ら進んで剣や弓、馬術の訓練をしていた。それが原因で怪我をすることもしょっちゅうだった。


 母、トリスティニア国王の妻にして王妃に激怒され、泣いて、慈しまれて育った。


 ある事件がおこるまでは。


 隣国のゲルマニアン帝国の間者が使用人に扮して情報収集をしていたのだ。ウィリアムにとっては仲のよい使用人の一人だった間者は、任務を終えるまで完璧に使用人を演じていた。


 けど、あるとき正体が露見した。王妃や王宮の物が不審に消えたことから調べた結果、判明した。

 

 騎士達に捕まる前、間者は王妃と一緒にいたウィリアムを人質にして王宮より脱出しようとした。


 王妃はウィリアムを間者から助けようとした。身を挺して庇ったのだ。


 ウィリアムは助かったが、王妃は負った傷が原因で命を落とした。

 

 間者は命からがらながらも逃げた。最後に王妃の持ち物、所持品の一部を盗んで。


 王宮の騎士達がウィリアムの元に駆けつけたとき、血塗れの王妃に抱きしめられて呆然としているウィリアムがいた。


 ウィリアムはそれ以来、人と接することができなくなった。話すことも、外に出ることも。


 誰に対しても、心を開かず信用ができなくなった。一時は食事すらしなくなった。


 そして、少し前のウィリアムが形成された。暗い部屋を好み、外に出ず、できるだけ人と関わらない王子へと。


「………」


 ウィリアムの過去を聞いて、エリスは自分のことに置き換えてみた。


(もし、僕を守って師匠が死んだら………)


 上手く想像できない。だってエリスにとってローガンこそ最強で、例え誰かを守っても死ぬなんてありえない。


 というか、あの人だったら守らない。


 自業自得、己でなんとかせよと無力さを責めるだけだ。エリスと一緒の門人達がエリスを庇ったりしても、悲しいとはおもえない。


 でも、もしウィリアムだったら。


 レイチェルだったら。


 そんなことをほんのちょっと想像しただけで、エリスは後悔した。


 こわい。とてつもなく。自分の無力さを悔いるなんて余裕もない。自分が死ぬとしてもこれほどこわいなんてありえないだろう。

 

 神経が直接逆だち、肌に粟を生じた。背筋を氷柱で撫でられるような寒気とおぞましさ。心臓がわし掴まれて縮こまる。


 いやだ、とエリスはおもった。出会ってまだそれほど経っていないウィリアムが死んだだけでこわくなるのが、不思議ではあったけど。それでもいやだった。


「でもね? ウィリアム君は変わろうとしているのよ。エリスちゃんのおかげだって、私は確信しているの」

「え? 僕?」

「初めて会ったときのこと覚えてる? ウィリアム君、普段だったら絶対にあんな態度とることも会話も………絶対にできないのよ。陛下から守ろうとしたことだって」

「うん………うん?」

「格闘術を習おうとしていることだってそうよ? きっと、エリスちゃんが強いから。乱暴にあの子の閉じ籠ろうとしている心をこじ開けたのかもしれないわね」


 褒められたのだろうか、エリスにとっては微妙だった。でも、ウィリアムの過去を知って、ウィリアムが格闘術を習おうとしている理由の一端を知って。


 それだけなのに無性に嬉しくなった。


「そっか………すごいな。ウィリアムは」


 少しだけ、トリスティニア国王の言ってくれたことがわかった気がした。ウィリアムにあって、エリスにないもの。


「僕、ウィリアムともっと一緒にいたいな」

「それは、エリスちゃんが強くなるため?」

「それもあるよ。でも、ウィリアムと一緒に強くなりたいんだ」


 エリスは、動物の本能めいた正直さから出た言葉だった。強さに拘り、格闘術しかない少女にとってはエリスにとっては最大限の激励で、親愛で、称賛で、共感で。


「僕、一緒にいるよ。ウィリアムと」


 無自覚の敬意と好意が多分に含まれていた。

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