第3話

 「痛たた・・・・・・・・・師匠のオタンコナスめ」


 日がどっぷりと暮れた夜道をエリスは歩いていた。蛸のように腫れた顔の至るところには、内出血で青くなった痣が浮かんでいる。全身ほぼ余すところなく打撲と擦り傷ができていてなんともいえない哀れみを誘う。


結果は、敗北だった。


 それも惨敗。エリスの攻撃をローガンは徹底的に防ぎ、躱し、受け流した。一度も当てることはおろかクリーンヒットさせることができなかったのだ。


 最後にはローガンの奥義によって吹き飛ばされた。そして立ち上がることさえできなくなったエリスに、ローガンは冷徹に、再度破門を伝えた。


 ことここに至って、エリスは肯んじざるをえなくなった。弱肉強食。実力主義。闘争と強さが根底にあるエリスは、自分より上であるローガンに従わざるをえなくなった。


 そこに負けたことによる悔しさはあるけど、それが勝負、闘いだ。


 というか、エリスにはローガンと道場、慣れ親しんだ土地に対する哀愁はない。もうそれはそれですっぱりと割り切っている。負けたのだから仕方ない、と。


 今のエリスの胸中を占めているのはもっと単純で、エリスにとっては最も大切なことだった。


「どうしてだろう」


 どうすれば強くなれるんだ? とエリスは不思議がっていた。


ローガンとの闘いを、頭の中で何度も何度も反復させ、どう活かすかのほうに集中していた。誰よりも鍛錬に励んできた。門下生の誰にだって負けない。


 けど、ローガンには勝てなかった。立ち合いは何度となくしてきたけど、師であるローガンには一度も一撃入れられたことがない。


油断なんて少しもしていなかった。気を抜けば、師匠の眼光に竦みあがり、呑まれて萎縮していただろう。それでも、緊張していたわけではない。


 自分の動きは、今も冷静に再現できる。実際に今体を動かして試してみてもおかしなところはない。


 真正面からただ闇雲に責めまくっただけじゃない。フェイントも、ローガンの目の動きを察しての次の予測。攻撃と防御の切り替え。鍛錬をし、身についた闘いに必要な要素はすべて発揮していた。


それでも、ローガンには負けた。経験だろうか。技の多さもさることながら、生きてきた時間の長さによる差は覆せない。


 いや、なんとか覆せないだろうか。どうにかできないか。


 エリスは今強くなりたかった。負けたくない。勝ちたい。けど勝てない。どうすればいいんだ? と。


ローガンと同じ年齢になるまで鍛錬を続ければ、ローガンの境地に辿りつけるだろう。けど、それじゃだめだ。なにがだめなのかは説明できない。


だめなのではない。遅い。そして、我慢できない。うずうずとしてきて、身が焼けるような焦れったさともどかしさで、頭から煙がたちそうだった。


「ん?」


 人っ子一人いない周囲が、おかしな気配に変っている。慣れたとはいえ一寸先は闇で街道も見通せない。星と月以外に光はなく、控えめな虫の合唱と風が草木を騒がせている。


 殺気と獰猛な息遣いが少しずつ近づいてくる。数は二十以上。隠せていない気配は、無遠慮に獲物を狙っている動物のそれではなく、どこか意志の統一感があった。


「お」


 エリスが自分で気配の元へ走ると、いた。そして合点がいった。


 体躯は悠に三メートルはあるだろうか。ゴツゴツと巨大でありながら先が曲がった鋭利な二本のツノ、牛の頭部と発達しすぎた肉体。隆々とした手足は丸太より太い。


 牛にどこか似ていながらも異なりすぎている牛頭人身の魔物、ミノタウロスだ。


 魔物は他の動植物ではなく人肉を好む傾向にある。エリスはたまにしか魔物と遭遇したことがないけど、魔物が人間を襲う生き物だということくらいは知っていた。


 いつの間にか、囲まれてしまった。ミノタウロス達は短躯のエリスを睥睨しながら威嚇と興奮しきっていて、獰猛な咆哮が闇に溶けこんだ山なりに谺していく。


 魔物は、夜になると活動が活発になり、血の気が多くなる。それは朝、昼、夕の比ではない。特にこの街道では、魔物の中でも闘争本能と身体能力が著しいミノタウロスによる襲撃が盛んになってきているので、荷馬車も旅人も往来をとめて久しい。


 なにしろ、ミノタウロス一体の討伐で武装した兵士十五人以上は必要なのだ。


 そんな諸々の事情を知らないエリスは、ただのミノタウロスの群れを前にしても平然としていた。エリスにとってミノタウロスは偶に遭遇する魔物と大差なかった。


 ミノタウロスが突進する。スピードもさることながら、足で地面を蹴るたびに土が抉れる勢いは並みではない。


 けど、エリスは軽く見切ってひょいと軽くジャンプした。全体重と比重を、踵に載せて足を伸ばして落下する。


 ミノタウロスの頭頂部にめりこみ、陥没した。そのままツノを引き寄せて両膝を顔面に。そのままツノを話すのと同時に喉仏を爪先で押して距離を爪先で押しながら距離をとる。


 ミノタウロスが大きくふらついている。追撃したエリスがした行為はただの掌底一発だった。乾いた破裂音が響いて、ミノタウロスの鳩尾が不可思議な形にへこみ、そして倒れた。


 絶命しているのは、明らか。


 僅か五秒弱でミノタウロスを倒したエリスは、残ったミノタウロス達が襲ってくるのをものともしない。


 さっきと同じ力加減で、ただミノタウロスと闘っていく。重々しく唸りさえする次々と殺到する腕は、髪の毛に触れることも許されず無駄のない身のこなしによって空振りに終わる。あるいは避けたついでとばかりに、エリスの拳で骨を粉砕する。足撃が首を捻じ切る。腕に絡みついて、そのままへし折る。


エリスとミノタウロスの闘いは、圧倒的だった。みるみるうちにミノタウロスの死骸と血が大地を染めていく。


本来であるならば、喝采されるべきすかっとする闘いだった。しかし、格闘術さながらの規則性と流麗さがある。けど、化け物じみた力で遊んでいる子供じみたあどけなさと命のやりとりという緊迫性が欠落した表情もあって、どこか狂宴めいていた。


「そういえば、師匠は旅していたって言ってたっけ」


 あれは、いつのときだったか。若いとき、まだ道場を開く前にだったような気がする。一つところに留まっているより、別の場所に移動して生きることに、なんの意味があるのか。場所なんてどこでもいいじゃないか。


 待てよ? 


ミノタウロスの尻尾を掴んでぐるぐる回転しているとき、ピタッと止って自分の考えに疑問を抱いた。止った拍子に尻尾が根元から千切れてミノタウロスが彼方へ。

もしかしたらそれが僕と師匠の違いなのかも。


 旅したことに、特段の意味はない。旅した場所にはなにがあったんだろう。エリスは、道場と山、森と村でしか生きていない。皆師匠以外弱かった。魔物も生き物も人も。自然も、脆かった。


 けど、別の場所にはもっと強いやつがいるんじゃないか? 師匠はそいつらと出会って、闘って、そして強くなったとしたら?


 だったら、僕も旅をすればそうやって強くなれる? ひょっとしたら師匠以上に?


「そうだ、きっとそうだよ! こいつらは弱いし、もっと遠くのところにはもっと強い魔物いる! 絶対!」


 最後の一体を仕留めたところで、急に奮起してきたエリスは、今更額に滲んできた汗を拭った。べっとりと付着していた返り血のせいで余計ひどいことになっていることなんておかまになしに。


「よし、そうと決まれば鍛錬の旅に出発だあああああ!!」


 テンションが上がりきったエリスは、走っていく。翌日にはミノタウロスの死骸の山と戦闘の痕跡から悪魔が出たという噂ができるのだが、とにもかくにも。


破門された直後であるなんて信じられないくらい明楽に、未知なる世界へと答えを求めるために。


強さと闘いしかなかった少女は、こうして新しい第一歩を踏みだしたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る