第2話

「エリス。お前は破門だ」

「はい?」


 育ての親にして師であるローガンの前で正座しているエリスは、告げられた事実を理解できないでいた。


 齢八十でありながら自らを鍛えることに余念がない人物だ。門下生達の指導も厳しい。性格も質実剛健を地でいく人で、正座をして対面しているエリスを圧倒さえしてくる。


 それでも、エリスにとっては仰ぎみる大きな人物だった。尊敬もしているし、恩もある。自分を拾ってくれた。養ってくれた。強くなりたいという自分の願いを聞いて、十六歳まで育て、鍛えてくれた。


 強さの象徴。憧れ。目標。他に挙げられる単語はおもいつかないが、エリスにとってはこの世の誰よりも近く長く深く一緒にいた人だ。


 だから、突然呼びだされて告げられた言葉は衝撃的すぎた。ローガンは冗談を好まないし、なにより意味がない。


 破門。師弟関係を断つ。道場から追放する。除名される。とにもかくにも、エリスにとって天変地異にも等しいことだ。この道場で、『ローガン流格闘術』を生き甲斐にしてきた。


 誰よりも強くなることを願い、生きてきた。そして強くなると嬉しかったし、鍛錬を楽しんでもいた。

 

生きることと同意義だ。ここでローガン達と一生一緒に強さを追い求めるつもりだった。なのに、どうしてだろう? 


 後方では門下生達の稽古が続いている。一堂に並び、師範の気合いに合せて行われている形稽古は圧巻で、それでいて流麗だ。いつもならエリスも今頃あちらに混じって汗を流しているはずだった。


 体勢・動作・技の出し方・間合いを学ぶための形稽古は、すべての基本となる。ローガンもエリスとともに朝起きてからまず、これをする。汗を軽く水で流すと寒さとともに身心が引き締まる。


「破門だ。聞こえただろう。即刻荷物を纏めて出ていくように」


 それだけ短く伝えると、もう終わりとばかりに立ち上がろうとする。


「はい! 師匠! いいでしょうか!」


 挙手をして明朗に呼び止めた。指を揃えてピン! と伸ばした右腕を天に勢いよく突きだしている姿は、状況に似合っていないけど、素直で純粋で単純で明るいエリスらしいともいえた。


「・・・・・・・・・なんだ」


 片膝を立てた状態だったローガンが、頬骨のあたりをひくつかせて座り直した。


「絶対に嫌です!」


 まさかの破門拒否だった。


ローガンは理由を問われるためのものであると予期し、その準備もしていた。説明を求められればするつもりだった。斜め上すぎるエリスについ姿勢を崩してしまいそうになった。


「お前は・・・・・・・・・本当に・・・・・・・・・!」

「はい! だって僕はもっと強くなりたいんです! ここで!」


 そうだ。こいつはこういう子だ。


 誰よりも知り尽くしているエリスの、自分の立場を認識できてはいないだろう朗らかな笑顔。対照的にローガンは渋面。努めて呆れはてているのを表に出さない。


「師匠と皆とここでずっと鍛錬して『ローガン流格闘術』を究めたいんです! 師匠よりも誰よりも強くなってこの拳で最強になりたいんです! それ以外望みません!」


 エリスは純粋だ。だからこそ自分の欲求だけに正直でそれ以外のことには興味がない。素直に自分の気持ちに正直。幼子がそのまま図体だけ大きくなってしまったら、こうなるのだろう。


「そしていつの日か師匠を越えたいんです! 力で! 具体的には師匠の寝首を搔いてでもです!」


 そして、普通なら絶対に喋らないだろう危険な野望さえ素直に教えてしまう。本人に悪気がないのだから始末に負えない。


「己の命を虎視眈々と狙っている危ないやつを側に置いておけるか」

「けど、師匠も言っているではありませんか! 闘いは常に稽古と同じじゃない。いついかなるときも油断してはいけないと! 正々堂々と挑んでくる相手ばかりじゃないと!」

「だからといって恩ある師の寝込みを襲おうと企むやつがいるか」

「ですが師匠も闘いとは非情であらゆる手段を用いることもあると! ときには必要だっておっしゃっていたではありませんか! 金的や目潰しも奨励しているではありませんか!」

「闘いの場においてはだ。そういう気構えをしていなければならんという意味だ」

「だからこそ! 僕なりの恩返しです! 師匠も家でもどこでも油断してはいけないというのを実践できます! つまり鍛錬です! 逆に師匠も僕にしてください! そのほうがお互いの鍛錬になるし! そうして師匠を越えたいんです!」

「破門」

「あ、じゃあトイレと寝ているときとお風呂のときだけで―――」

「破門」

「どうしてですか!?」


 ローガンが問い返したい。どうしてだと。どうして理解できないのだと。己を押し通そうとする、エリスの純粋さゆえに破門に至ったと。


「エリスよ。お主はよく森にいくな」

「はい! 薪や木の実を拾いに行きます! そのついでに鍛錬をしています!」


 困り果てたローガンは、


「木を斧ではなく、素手で伐採しておるな」

「はい! おかげで拳が固く強くなりました! あと足技も!」

「一日に何十本も伐採しすぎて狩人から苦情がきたことがあったな」

「はい! ありました!」

「・・・・・・・・・よく洗濯をしてるな」

「はい! 道場近くの小川で!」 

「麓の村から苦情がきたな。川の流れが変ってしまいこちらに水が流れてこないと」

「はい! もっと洗える場所を広げようと土をなくしたらそうなりました!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・村によく買い物にいくな」

「はい!」

「酔っ払いに絡まれて正当防衛としてやり返して半死半生にしただの。そのせいで建物壊れただの、窪みができただの。家畜が怯えるようになっただの、暴れたのをとめようとして柵を壊すだの」

「はい! 困ったものです!」

「それで我が道場の悪い評判ができたな」

「そうですね! よくない噂を流す人が許せません!」

「それが破門の理由だ」

「ええ!? なにがですか!?」

「くぁっ」


 限界だった。


 ここまでヒントを教えて、どうして気づいてくれないのか。喉から空気が漏れたような呻きを発した。


「師匠? 大丈夫ですか?」

「とにもかくにも、お前は今日限り破門だ。即刻立ち去るように」


 エリスの強さを追い求める純粋さのせいで、ローガンと道場が潰れてしまうかもしれない。より詳細に、きちんと説明してもエリスは理解しないのではないか。


 いや、そもそも破門すら拒絶しているのだ。万が一、理解したとしよう。それでも、今後エリスが改まる可能性は低い。


 いや。ない。絶対に。エリスが次なにをしでかすか。それだけで寿命が縮む。


 ごく短時間であっても、エリスに破門を伝えるだけでげっそりと気力を吸い取られた。だが、エリスはまだ納得していないようだ。


う~~んう~~んと頭を捻って眉間に皺を寄せて似合わない苦悶の表情をしている。


「ならば、最後の機会を与えよう。わしと立ち合え。わしに勝てばお主を認めよう」


 エリスは瞳をぱちくりと瞬かせて、そして「はい!」と心底嬉しそうに顔を輝かせた。決して見苦しくない所作で、けど凄まじい速さであっという間もなくエリスは立ち上がった。

ローガンを待って、きっとこちらの成り行きを不安がっていただろう門下生達の脇を通り過ぎて、エリスを伴って外に出た。


 どこまでも草原が広がっている。風が吹くと鮮やかな春らしい黄緑色の草が撫ぜられ、一本一本が揺れて擦れ、小川の控えめなせせらぎとともに穏やかな自然のハーモニーが流れる。群青の空は澄んでいて点々とした雲と温かい太陽の日差しを肌でかんじられる。


 エリスはそわそわしていた。落ち着きがなく、それでいてほくほくしている。ローガンと立ち合えるのが嬉しくて、今か今かと我慢できない待ちきれないというエリスをありありと物語っている。


 上半身の胴着を脱ぎ捨てて、心気を研ぎ澄ませる。鍛えこまれた肉体に気を漲らせると、エリスも一変した。


 す、と瞳からは感情が消えた。妙な光が宿り、口をきゅっと引き締めた。ゆったりと、けれど闘気に満ちていく佇まいは子供のそれではない。


今ローガンの目の前にいるのは、エリスであってエリスではない。肉体から発せられた気から言外の意味を鋭敏に感じとり、怯えることもなくローガンと同じく真剣勝負に臨む自分へと変貌させた。


遊びや鍛錬、道場で行われている稽古ではない。『ローガン流格闘術』の根底にある実戦を前提にした、真剣勝負。


 どちらから合図したわけではない。示し合わせたように一定の距離を保ちつつ、向き合う。閉足立ち、立礼を経た。


「お願いします」


 互いに距離をとにながら、構えに移る。左足を大きく後ろに下げながら、踵の延長線上に位置に右足の側面を。後ろ足となった膝をしっかりと曲げつつ強く張る。前の膝はやや曲げながら緩ませる。


 右手を開いて前に出しつつも、肘は曲げ左肩と対角斜めに。ローガンが得意とする、防御とカウンターに特化した構えである。


 エリスは後ろ足をわずかに開き、前足をつま先で立たせている。重心を前足にかけ、両拳を握りしめている。左肘を脇に当てるようにして引き絞り、右腕を前方へ。

足でも腕でも攻撃がしやすい、基本ではあるもののエリスが得意としている構え。


 すり足でありながら軽快に。エリスはじりじりと移動をしてる。相手の間合いを探り、相手の出方を窺う。闘気を高め、攻撃のタイミングを見計らっている。いうなれば攻撃のための予備動作。それは、ローガンも同様である。


 先に動いたのは、エリスだった。怪鳥の嘶きにも似た気合いの雄叫びを上げ、駈けながら宙を跳んだ。

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