第十七話

「はい。フロントには各客室の予備のキーがあるので、ついでに一緒に置いています」

「なるほど」

「で、今から取ってくるので少々、お待ちいただきたいんですが?」

「はい、分かりました」と一柳が答えると野上は、お盆を床に置き歩き出し階段を降り始めた。


 すると新田が聞いてきた。


「先生、ちょっと私も捻ってみてもいいですか?」

「はい、いいですよ」


 新田はドアノブを握り左右に捻り、押したり引いたりしたが、ドアは全く動かなかった。


 そして、つぶやいた。


「うーん、やっぱり鍵が掛かっているようですね……」


 そうして五分ほど待っていると、野上が階段を駆け上がってきた。


 荒く呼吸をしながら

「も、申し訳ありませんが、このキーで鍵を開けてくれませんか?」とディンプルキーを一柳に差し出した。


「分かりました」と一柳はキーを受け取り、ドアノブにある鍵穴にキーを差し込んだ。

 そして右に回すと『ガチャリ』と音がした。

 これで鍵は開いたはずだと一柳は、ドアノブを捻り部屋の奥にドアをゆっくりと押した。


 ドアを押して、人が入れるスペースが出来ると一柳は

「野上さんの奥さーん、いらっしゃいますかー?」と呼びかけながら部屋の奥に進んだ。


 新田も少し緊張しながら、ついてきた。


 すると狭い入り口部分から、ひらけた部屋に入る瞬間、一柳は異様なものを見た。

 女性が仰向けに倒れていた。しかも、よく見ると両手を腹の上で組んでいるように見えた。


 しかし違った。更に、よく見てみると、果物ナイフらしきものの柄の部分を両手で握っていた。


 そして刃の部分は腹に刺さっているように見えた。その部分からは黒い液体のような物が溢れて、部屋の床にまで広がっていた。

 倒れている女性は、髪は右から分けたボブカットで丸みを帯びた、あごをしていた。


 一柳は、これはもうおそらく亡くなっているな、と思いながらも脈と呼吸を調べた。やはりどちらも無かった。すでに血が黒く固まっていることから亡くなってから相当、時間が経っているな、とも考えた。


 そして沈痛な面持ちで部屋の入り口まで行き、野上に伝えた。


「野上さん、残念ですが奥様と思われる方は、すでに亡くなっています……」

「え?」と野上は疑問の表情になったが、すぐに入り口から部屋の奥まで急いだ。


 そして

夕夏ゆうか? どうして? どうして、こんなところで倒れているんだ? 

 夕夏、目を覚ましてくれ、夕夏、夕夏ーーーー!」と野上は夕夏の肩を揺さぶり、聞く者に絶望感を与える声を発し続けた。


 しかし一柳は、その声に負けず気を強く持って告げた。


「野上さん、残念ですが、あなたが今するべきことは警察を呼ぶことです。奥さんは殺された可能性があるので」

「え? 殺された? 誰に? 何のために?」

「それは分かりません。しかし誰かに殺された可能性がある以上、警察を呼ぶべきです」


 野上は少し落ち着きを取り戻し

「はい……」と答えてポケットからスマホを取り出して、電話をしだした。


「はい、僕は野上喜朗といいます……。はい、妻が死んでいるんです、誰かに殺されたかもしれないんです……。はい、住所は長野県飯山市……」


 一柳は、考えていた。これはおそらく自殺だろうと。まずドアには、しっかりと鍵が掛かっていたし死体を見ると、どう考えても自ら果物ナイフで、自分の腹を刺したとしか思えなかったからだ。


 しかし野上には、『奥さんは自殺したようだ』とは言えなかった。ただでさえ妻が亡くなったと聞いたら、どれほどのショックを受けるだろうか。

 しかも、その死因が自殺だと知らされたら、そのショックは計り知れない。一柳には、どうしても『奥さんは自殺したようだ』とは言えなかった。


 それに確かに万が一だが、誰かに殺された可能性もあるかと考えた。奥さんの腹部を果物ナイフで刺し、両手を柄に添えて自分で刺したように見せかける。そして何らかのトリックを使って部屋から出た後にドアの鍵を掛ける……。そこまで考えて一柳は自嘲した。


 一柳はキーを使わずにドアに鍵を掛けるトリックを、今まで何度か書いたことがあるし、また他の作家が書いた物を読んだりもしてきた。

 しかしキーを使わずに部屋に鍵を掛けるなど、それは推理小説の中のことで、実際の事件で使われたという話は聞いたことが無かった。


「ふう……」と一柳は、ため息をつき何気なく部屋を見回した。

 入り口から見て右側にはシングルベット、左側にはキッチンとテーブルがあった。


 ふと、正面を見ると開いている窓を見つけた。近寄ってみると二枚のガラス戸があり、それらをスライドさせる一般的な窓だった。

 しかし窓の部屋側に突き出た木製のスペースに、とんでもない物を見つけた。それはキーだった。しかも、それはさっき野上から渡された物とよく似ていた。


 一柳は考えた。ドアのキーは部屋の中にあった。しかも死体の状況から、どうやら自殺したようだ。つまり、こういうことだ。

 夕夏さんはドアに内側から鍵を掛け、キーを窓にある木製のスペースに置く。そして果物ナイフで自殺をする……。


 しかし次の瞬間、ある考えが浮かんだ。予備のキーだ。野上は、この部屋の予備のキーをフロントで管理していると言った。そして実際、さっきフロントから予備のキーを持ってきた。


 つまり、こういうことが考えられる。何者かが、この部屋で果物ナイフで夕夏さんの腹部を刺す。そして果物ナイフの柄に両手を添わせて、自殺したように見せかける。キーを木製のスペースに置く。

 更にドアから出て、持っていた予備のキーでドアに鍵を掛ける。それから予備のキーをフロントに戻す……。

 何ということだ、本当に夕夏さんは誰かに殺された可能性が出てきた……。

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