第10章 希望
1 恋人たちのクリスマス
シーサイドカフェ渚のカウンター席には、小さなクリスマスツリーのオブジェと、北信濃スーパートレイルの準優勝盾、それに花柄のフォトフレームに収められたトウモロコシを頬張る三人の写真が並べられている。
店内に流れるマライヤキャリーの「恋人たちのクリスマス」によってクリスマスムードを高まる。
12月に入って寒さが厳しくなってきたせいか、テラス席は殆ど使われていない。
ぽつんと一人、航が二人掛けのテラス席に座って、手紙を読んでいるだけだ。
カウンターに並べられた大きめのマグカップに、健一がコーヒーを2杯注ぐと、爽夏はそれをトレーにのせて、航が座っているテラス席へ運んでいった。
爽夏が、航の隣に寄り添うように腰を下ろした。
手紙を読み終えた航は、爽夏のほうへ視線を移す。
爽夏は航の瞳から何かを読み取ろうと思って見つめた。
「どんな感じ?」
首を傾げながら爽夏が尋ねた。
「順調に回復しているってさ」
航は小さく頷き、笑顔で答えた。
手紙の主は徹だった。
航が北信濃スーパートレイルに出場している時、徹は生死の境目を彷徨っていた。
航が黒姫高原で追い込まれているとき、徹は一度目の心肺停止状態に陥った。
そして戸隠でハンガーノックに陥って倒れたとき、二度目の心肺停止となった。
徹は、絶体絶命の状態から二度も生き返ったことになる。
それは立ち会っていた医師が驚愕するほどの出来事で「奇跡が起きた」と口にしたそうだ。
その事を伝え聞いた航は「奇跡が起きたのではなく、起こしたのだ」と言った。
その後、徹の体調は緩やかに快方へと向かっている。
そして先月、骨髄移植が行われた。
未だ楽観できない状況ではあるが、スーパートレイルが終わってからの回復ぶりは目覚しく、悲観的な予測は消えた。
「また徹と走れるといいね」
爽夏が微笑みかける。
「きっと良くなるよ。あいつ、しぶといからさ。俺にリベンジしたいんだって……」
航が欠伸をしながら言う。
「そっか、飯山で航に負けたこと、まだ根に持ってるんだね」
「負けず嫌いだからな」
「航も徹くらい負けず嫌いだったら、優勝してたかもね」
爽夏が悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「もしかして優勝できなかった事、不満なの?」
航は口を尖らせた。
爽夏は笑みを浮かべて、航と向き合う。
「不満なんて何にもないよ。完走できたのは、世界の中野と航の二人だけだったわけだし、泥だらけになってゴールしたシーンは凄く格好良かったよ。航の希望どおりの景色じゃなかったかもしれないけど、色んなものが見えたよね。航と徹と私。三人のシングルトラック。最後まで登り詰めてよかったよね!」
ひと言ひと言に力を込めて、爽夏は嬉しそうに語った。
「爽夏に、そう言ってもらえると完走した甲斐があるよ。本当は、森の中を一人で走るの凄く怖かったんだぜ。切り株が人に見えたり、突然近くで動物の鳴き声が聞えたり、早く明るいところへ行きたくて必死だったんだ。ゴールにいた爽夏を見たときは本当に泣きそうだったよ」
楽しそうに話す航に、爽夏は意味ありげな視線を投げかけ、少し間を置いてから、口を開いた。
「ねぇ航、ひとつ質問していい?」
「いいけど、なに?」
「航にとって、私は恋人、それとも友達?」
航の動きが一瞬止まった。
爽夏と視線が重なる。
束の間の沈黙が漂った後、航は含み笑いを浮かべた。
「決まってるじゃん……」
航はそう言って、視線を遠くの海に走らせる。
爽夏はぷくっと頬っぺたを膨らませた。
爽夏の背中に航の手が回される。
肩にもたれかかって爽夏は目を細めた。
テラス席のかがり火が穏やかな風を受けて揺らめく。
真っ赤な夕日は、空を染め、富士山のシルエットをくっきりと浮かび上がらせた。
テラス席の二人は、肩を寄せ合って同じ景色をぼんやりと眺める。
航は爽夏のぬくもりを感じていた。
そして心の中にあった壁を一つ乗り越えた気がした。
「私も100マイル走っちゃおうかな?」
爽夏が沈みゆく夕日を見つめて、ポツリと呟く。
航は爽夏を見つめ、その肩を強く引き寄せた。
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