16 勝敗の行方

 二時間ほど前、航は中野の背中を追って、瑪瑙山の山頂を超えようとしていた。

 先頭を譲らない中野の背中が、徹のそれと重なった。

 共に積んできたトレーニングの日々、航の心は、徹への思いで一杯だった。


 航は、瑪瑙山へ向かう途中、悪路に阻まれて中野から離されかけた。

 しかし山頂が近づき急登斜面に入ると、その差をじりじりと縮めて追いつく。

 この先に待ち構えているのは山頂からの下りゲレンデ。そしてシングルトラックの山道。さらには砂利道の林道だ。

 ゲレンデと砂利道は、スピードがある航が優勢だ。

 しかしシングルトラックは、悪路が予想される。そうなると、分が悪い。

 ゲレンデでリードして、シングルトラックで追いつかれ、林道でスピード勝負を仕掛ける。航の頭の中に、勝利への青写真が出来上がった。

 航は中野を射程圏に捉えながらゲレンデに突入した。

 そして下りに入るなり、意を決して仕掛ける!


 ゴール会場の飯綱高原。

 ゲレンデに漂う朝霧の中、姿を現したのは黒い影、中野だった……

 航はゲレンデで勝負を賭け、中野の前に出た。

 しかしその時、空から大量の雨が降ってきた。

 雨は勢いを増し、ゲレンデを川のように変えていく。

 どしゃ降りの雨は、航のスピードをそぎ落とした。

 経験に勝る中野が、下りのゲレンデで航を突き放す。

 航はなりふり構わず懸命に追った。

 しかし無情にも、差は開く一方だった。

 それでも航は諦めない。

 最後に待ち構える林道での逆転を信じて、中野の背中を追う。

 しかし追えども、追えども中野の背中が見えない……


 中野がゴールしてから五分後、霧の中から航が現れた。

 特設ステージの上では優勝インタビューが行われている。

 航のゴール接近に気づいた中野が、インタビューを中断するよう促した。 

 MCはマイクを一旦下げ、会場にいる全ての者が航のゴールに注目する。

 ゴールへ接近する航の表情には、達成感が浮かんでいた。

 出来る事は、全てやり切った。

 そんな満足げな顔で、もはやそこに苦難の色はない。

 中野のゴールを上回るような大きな拍手に迎えられる。

 航はゴールの手前で一度立ち止まった。

 そして、目の前に張られていたゴールテープを両手で掴む。

 大きく息を吸い込み、頭の上にテープを掲げると、空を仰ぎながらゴールラインを踏み越えた。


 身体中が汗と泥にまみれた姿は、この男がどれほど過酷な状況で、悪戦苦闘してきたかを物語っていた。

 爽夏の瞳には、逞しく、光り輝いた航の姿が映りこむ。

 爽夏は何かに突き動かされるように航へ駆け寄った。

 そして大粒の涙をこぼして、航に抱きついた。


 北信濃スーパートレイルは、台風接近による悪天候のため、レースは短縮された。

 短縮の発表は午前三時で、走行中の選手は次のエイドまで競技を続行し、到着したエイドがゴールと認定されることになった。

 ロードレースならば、発表と共にレースを終わらせる事ができる。

 しかしトレイルレースの場合は山中の選手を、その場で回収する事が出来ないため、回収可能なところまで移動させなければならないのだ。

 結局、完全完走となる飯綱高原まで到着できたのは、中野と航の二人だけだった。

 優勝が中野、航は準優勝となる。


 ゴール飯綱高原のひとつ手前、戸隠高原まで到着できたのは二十九名だった。

 そのうち女性は別所泉(ペーサー松本さやか)だけだ。

 航のライバルである佐山と上田は笹ヶ峰まで到着したが、体調不良によりレース続行を断念してリタイヤとなった。

 台風による暴風雨は、航のゴール後、三時間が経過した頃から本格的になった。  

 しかしその頃には全選手がエイドに到着していたので、大きな事故無く大会は幕を閉じる事ができた。

 悪天候も相まって、過酷なレースとなった第一回北信濃スーパートレイルだが、出場した殆ど全ての選手がコースの素晴らしさと大会の運営を賞賛し、出場した選手の殆どが、翌年の出場を希望していた。


 航のゴールから二時間が経過した頃、爽夏の電話が鳴った。

 発信元は小百合だ。

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