第3章 明暗

1 爽夏の憂鬱

 航と爽夏がトレイルレースのデビューを飾ってから、一年が経過した。

 二人は、大学四年の夏を迎えている。


 昨年に続いて出場した信濃トレイルランニングレースのパーティー会場で、爽夏は大勢の人に囲まれている航を、少し離れた所から見つめていた。

 デビュー戦で表彰台に立った二人はその後、選手仲間や大会関係者からレース情報を集めて、面白そうなレースを見つけては出場してきた。航も爽夏も、常に注目選手として取り上げられ、多くのレースで好成績を収めている。

 特に航の活躍ぶりは顕著だった。エントリーしたレースでは常に表彰台に上り、いくつかのレースでは優勝を飾ってきた。優勝の数こそ多くはないのだが、いつもその争いに絡んでくるので存在感は抜群で、またルックスや人懐こい性格が醸し出す明るい雰囲気、それに大学生であるという話題性は、大勢の人を惹きつけている。一躍、航はトレイルランニング界の人気者になっている。

 一方の爽夏も表彰台の常連選手になってはいた。しかし航ほど注目されている訳ではない。それは男子に比べると女子の選手層が薄く、注目度が低いと言うのもあるだろうし、航のようにガツガツと上を目指す態度を見せない爽夏の性格が影響しているようにも思える。それ故、爽夏は女子の有力選手と言うよりも、航のパートナーという見られ方をされるようになっていった。


 爽夏にとって、航の活躍は誇らしいものだし、嬉しい気持ちだって勿論ある。だけど航を取り巻く環境が変化した事で、二人きりで話す機会は減ってしまった。週末の活動は、トレイルレースへの出場がメインになった為、二人きりで山を走る事は殆ど無いし、航の父親の店で語り合う事も無くなった。その事が爽夏にとっては不満だった。だから航の活躍を手放しで喜ぶ訳にはいかない。


 爽夏は、航の中にいる自分の存在が小さくなっているのではないか、と不安な気持ちを抱えている。航は卒業後、トレランギアを取り扱う、ハングルース、という会社のサポートを受けて、プロランナーとして進む事が決まっている。一方の爽夏は、スポーツインストラクターの道へ進もうとしていた。

 就職したら二人で会う時間が無くなってしまうのでは、そんな事を想像すると爽夏の心はグラつく。山で再会した頃は、航に会えるだけで心がトキメキ、傍にいられるだけで幸せを感じられたのに、今は、航が遠ざかってしまうのでは、という不安のほうが大きい。


 これが友情の限界なのかも、そんな事を考えるようにもなった。そもそも男女の間に友情と言うのは成り立つのだろうか、そんな素朴な疑問も湧いてくる。

 そんな爽夏の思いに、航は恐らく気づいていない。航はこれまでと同じように接してくる。どんなに大勢の人に囲まれていても、二人きりで過ごす時間が減っていても、お互いの距離感は変わっていないと思っている事だろう。

 航にどう思われているのか、爽夏は何となく分かっている。自分が航にとって、気兼ねなく接する事が出来る人で、何でも遠慮なく相談し合えるパートナーとして認められている事、それは分かっているのだが、その関係性は、実に曖昧で微妙だと思う。爽夏は、航との関係が長く続く事を願っている。しかしその結び目は酷く頼りない。社会人になってしまったら、きっと今までの様には行かなくなるだろう。

 航はプロランナーとして益々注目されていく。一方で爽夏は日々の職務に忙殺されていき、航との距離が広がってしまう。航との楽しい思い出がひとつ増える度に、二人の結び付きが少しづつ緩んでいくような、そんな気がして、それが虚しさとなって爽夏の心を揺るがす。

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