2 最後のレースへ

 パーティーが終わり、会場から人が流れ始めた。大会関係者や選手仲間から解放された航は、爽夏の元へとやって来た。二人は会場の外に出て、キャンプファイアーの残り火の前にしゃがみこみ、この日のエピソードを語り合っている。


 航は一年前の反省を活かし、前半の上りで大きなリードを広げてしまおうと、積極的な走りをした。その作戦は功を奏し、前年度チャンピオンの佐山雄一に折り返し地点で二分の差をつけていた。しかし前半のオーバーペースが祟り、後半のビッグパワーヒルを下り終えたところで、後ろにピッタリとつけられてしまう。

 航にとって苦手として下りは終わった。あとは平坦なシングルトラックとゴール前、緩やかな傾斜を上るゲレンデのみ。平らなところだったら、航は、絶対的な自信を持っている。しかし、どこまで走っても、佐山を振り切る事は出来なかった。

 前半のオーバーペースが、航の走力を蝕んでいたのだろう。逆に残り100メートル、得意な筈の上り坂で逆転を許し、準優勝となった。

 航はそんな事を悔しそうに話した。それでも航の顔に浮かぶのは、どちらかと言えば清々しさだった。どことなくこの結果に満足しているように思える。焚き火のオレンジ色の炎が航の顔を染めた。爽夏は、その顔を食い入るように見つめている。


 佐山雄一は、今年、既に5勝を挙げているトレイルランニング界の第一人者だ。特に30キロから50キロのミドルディスタンスと呼ばれる種目では、絶対王者の呼び声も高く、前年から通算で8連勝している。そんな佐山を、航はゴール直前まで追い詰めた。勝ち切る事こそ出来なかったが、それは航の評価を下げるものではなく、どちらかと言えば、高い評価に値するものだった。

 航が放つ輝きは、爽夏にとって眩し過ぎる。すぐ傍にいる航の輪郭がぼんやりとして、まるで遠くにいるように思えた。


 パチパチと音を立てる炭火を眺めながら、航が話題を変えた。

「十月あたまに開かれる、飯山トレイルフェスティバルって知ってるよね?」

「うん、知ってるよ、佐山さんがこの間、推薦していたレースでしょ」

「次のレースにどうかな?」

「うん、わたしも考えてた。そのレースを学生最後のレースにしようかなって……」

 学生最後のレース、というキーワードを聞いてか、航の表情が変わった。爽夏の顔を覗きこむように航は言う。

「えっ、もう最後のレース? トレイルシーズンはまだまだ続くのに?」

「うん、色々と走りたいレースはあるけど、卒業研究の追い込みに入らなきゃいけないし、希望就職先へのインターンの予定もあるの」

 爽夏の話が進むにつれて、航の表情は、複雑になっていく。

「そうかぁ、斑尾が爽夏と一緒に走る最後のレースかぁ……」

 航が魅せた寂しげな表情に、爽夏は胸が締め付けられるような感覚を憶えた。

 二人で走る最後のレース、この言葉の響きが、爽夏には何とも切なく聞えた。

 大学を卒業して、それぞれの社会人生活が始まってしまったら、これまでの関係はどうなってしまうのだろう? そんな事を考え出すと、やりきれない気分になって来る。

 二人の間に流れていた、しんみりした雰囲気をかき消すように、航が笑顔を浮かべて口を開いた。

「次のレースで有終の美を飾ろうぜ! 佐山さんはその日、別のレースに出ると言っていたから、不在だし」

「そうだね、綾さんも、佐山さん達と同じレースに出ると言っていたわ」

 爽夏が笑顔を浮かべて答えた。

「鬼の居ぬ間に…… テッペン頂いちゃおうか?」

「うん、鬼の居ぬ間に…… ね」

 航と爽夏の間に明るさが戻ってきた。

 航と一緒に立つ表彰台のテッペン、その姿を思い浮かべて爽夏は頬を緩めた。しかし、その先の景色に思いが及ぶと、爽夏の心にまた暗い影が広がり始める。

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