3 デッドヒート

 選手を一人抜く度に、航の調子は上がっていく。

 ビッグパワーヒルの後も、緩やかな上り基調が続き、航は着々と順位を上げていった。谷間に差し掛かると、いったん標高が下がる。北向き斜面の岩場は苔が張り付いていて滑りやすい。心臓に負荷が掛かる上り坂を終えて、一息つきたいところだが、安全な足場を確保する為に、気持ちを張り詰めなければならない。

 危険エリアを脱し、渓流に架かる吊り橋を超えると、再び急な上り坂がやって来る。神経をすり減らして下り切り、ほっとしたのも束の間、今度は肉体的な負荷に襲われるのだ。殆どの選手は膝に手を当てて俯きながら、一歩一歩急坂を登る。そんな中、航は力強く走り続ける。

 そして坂を登りきって、高原牧場の中にあるエイドステーションに到着した時、航は総合三位に順位を上げている事を知らされた。


 前を行く二人は、航のエイド到着と同時に、出発した。差は殆どない。先行して行った二人から視線を外さずに給水を済ませ、何かに弾かれたかの様に、航は飛び出して行った。

 コースはここで折り返しとなる。往路の上りは、一転して下りになる。上りが得意な航にとってアドバンテージはない。それでも離されまいとして必死に食い下がった。航が苦手にしているテクニカルな下り急斜面では離されかけた。それでも傾斜が緩くなると、持ち前の脚力を活かして追いつく。

 離される、追いつく、また離される、食い下がる、その繰り返しで、かろうじて先頭集団にしがみついている。


 ここでコースに変化が現れた。往きに渡った吊り橋を超えたあと、急な上り坂がやってきたのだ。距離は短いが、これが最後の登りだ。この機を逃せば、勝ち目は薄い。そう直感した航は勝負に出た。前を走る二人を、半ば強引に追い抜き、先頭に踊り出る。さらに数メートル、数十メートルと引き離しにかかった。

 ここで差を広げておかないと勝てない、航は自分に言い聞かせた。

 息が上がる、乳酸が溜まる、ペースを落としたいという衝動に駆られる。でも勝つ為には、ここで絞り出さなければならない。航はトップギアで駆け上がった。


 坂を上り終えた時、後続選手の息遣いが遠くに感じられた。なだらかな林道を走り、カーブで振り返ってみると、百メートルほどの差が出来ていた。勝てるかもしれない、航の身体の中を燃え滾った血が駆け巡る。

 後続との差を気にしながら、砂利だらけの林道を緩やかに下り、草が生い茂るエリアに突入すると、ビッグパワーヒルの頂上に到達していた。前半、一気に順位を上げた得意の上り坂、後半はここを駆け下りる。

 この坂を下り切れば、原生林のシングルトラックを残すのみだ。標高差の少ないシングルトラックならば走力を活かせる。逃げ切れる、このレース勝てる! 航は確信した。


 しかし、ビッグパワーヒルを下り始めて、わずか十数秒後、早くもその確信が揺らぎ始めた。後続の足音が急速に近づいてきたのだ。航が一歩踏み出す毎に、その差が縮まっているように感じられる。迫り来る息遣い、後方から降ってくるような足音。 

 前向きに転がってしまいそうな程の急斜面は、脚が千切れてしまいそうなくらいランナーを加速させる。航は、恐怖心を振り払って全速力で駆け下りた。しかし、追っ手のスピードには抗えない。

 下り切るまで残り百メートル、追いつかれ、一気に追い抜かれた。

 航を抜き去った二人は奇声を発しながら、全身を躍らせるようにして、想像を絶するスピードで駆け下りて行く。見た事の無い凄いものを見せつけられた航は、その走りに圧倒され、追い縋るのをあっさりと諦めて、敗北を受け入れた。


 緑の山と青空をバックに聳え立つ真っ黒なゴールゲートは、太陽の光を反射して威風堂々としている。航がゴールゲートを視界に捉えた時、先行して行った二人の姿はもう見当たらなかった。

 会場にMCの声が響く。

「ナンバーカード122、葉山航選手、神奈川県、三位で帰ってきました!」

 両手を広げ、ゴールゲートをくぐる。大会プロデューサーに握手で迎えられ、健闘を讃えられた。航は、観客の拍手に両手を挙げて応え、笑顔を振り撒いた。

 それから三十分後、爽夏が女子選手二位でゴールする。爽夏は自分の順位を意識しておらず、ひたすらペースを守り続けて走りきった。

 MCの「女子準優勝 小島爽夏」、という叫び声にも、過剰な反応をする事はなく、ゴール地点で待っていた航のところへ駆け寄って、笑顔を交し合った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る