第2章 交錯

1 デビューレース

 航がハンドルを握る黒のエクストレイルが、信濃町にあるスキー場に到着すると、会場では大型スピーカーから爆音の洋楽ロックが流れていた。その音楽のリズムに合わせて身体を動かす駐車場スタッフは、皆、お揃いの黒いTシャツを着ている。

 軽妙なトークでアナウンスをするMCの声、カラフルな幟旗、会場を行き来する人の波、そこはさながら音楽フェスのようだった。


「イイ感じじゃない?」

 会場の雰囲気に圧倒された爽夏が、目を丸くして航に語りかける。

「ヤバイね」

 航は目を輝かせて呟いた。

 この大会の主催者は、参加者が楽しめるという事を第一に考え、様々な趣向を凝らしている。レース後にバーベキューを開いたり、家族連れで参加できるように、キッズイベントを企画したり、会場では地元特産品のマルシェが催されることだってある。だから会場は選手だけではなく、数多くの人が集まって大いに賑わっている。

 大会に関わっているボランティアスタッフは、そんな主催者の意を汲み取って笑顔で機敏に動き回る。それがまた心地良い雰囲気を作り出し、参加者の気分を高揚させる。


 この大会のコースの大半は常設のハイキングコースが利用される。しかし中には殆ど使われていない登山道もあり、荒れている箇所も沢山ある。そんな所は、主催者自らが、草刈機やチェーンソーを担いで山の中に入り、下草を刈り、倒木を切り捨て、崩れている路面を補修して、選手が気持ちよく走れるコースへと仕上げて行く。出場する選手達が思う存分走れるように、と言う熱い思いが、会場に溢れているのだ。


 航と爽夏が受付へ行くと、明るく元気なスタッフが手際よくナンバーカードと参加賞を手渡してくれた。

「なんだかドキドキしてくるね」

 爽夏が浮かれている、航は爽夏の横顔を見つめて、ニヤリと笑った。

 車に一度戻って、レースの支度を整える。ウェアにナンバーカードを取り付け、ハイドレーションに水を入れ、トレイルシューズを履き、トレイルランニング用のザックを装着する。慌しく準備を終え、ウォーミングアップを始めると、スタート地点には早くも選手が集まり始めていた。会場に到着してからおよそ二時間、あっという間に時間が過ぎていく。航は高原を吹き抜ける風を全身に受け、ふーっと大きく深呼吸をした。


 スタート地点には、色とりどりのウェアを着たランナーが集まっていた。航と爽夏もその群れに合流する。マイクを握った主催者の男が、コースコンディションや、注意事項を説明し、最後に選手を鼓舞するような掛け声を飛ばすと、程なくしてスタートが切られた。

 スタートの瞬間、けたたましいホーンが鳴り響くと、それに続いて選手の気持ちを奮い立たせるようなハードロックが流される。五百名近い選手を送り出すMCの流暢な語り口、観衆が打ち鳴らすカウベル、そして拍手……

 ノースリーブを着ている爽夏の腕に鳥肌が立った。沸き立つような興奮が身体中を駆け巡る。これがトレイルランニングレースか、爽夏は昂ぶる気持ちを抑えようと、大きく深呼吸をした。


 七月と言う事で気温は高く、日差しは強い。それでも高原を吹き抜ける風は、爽やかだった。

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