8 緊張感と達成感

 キャンプ場近くの駐車場に停めた黒のエクストレイルの荷台には、水色とピンク色の洗濯カゴが2つ並んで載せられている。


 航と爽夏は、弾んだ呼吸を整えながら、装備の片づけを始めた。

 航はザックと泥だらけのシューズ、裏返しに脱いだソックスを、そのままカゴへ無造作に放り込み、汗でしっとりとしているシャツの上からパーカーを着込んで、ビーチサンダルに履き替える。

 こういうときの航の行動は大雑把だ。細々した事は後回しにして、とりあえず次の行動に備える。後で出来る事には時間を割かず、今やりたい事を優先するタイプなのだ。

 一方で、爽夏はザックからハイドレーションを外し、残った水を捨て、二つ折りにして丁寧にカゴへ仕舞いこむ。

 それほど汚れていないハイソックスを綺麗に丸めてジッパー付きビニール袋に入れ、シューズは踵部分についていた僅かな泥も、ブラシで擦って綺麗にする。

 装備の片づけが終わると、爽夏は着ていた上着を脱ぎさり、スポーツブラ一枚になって、ウエットタオルで汗ばんでいた身体を丁寧に拭いていく。


 航は、そんな爽夏の様子を横目に見ていた。

 そして、その姿にほくそ笑みながら、小銭入れを持って自動販売機のほうへと向かう。再会したての頃の爽夏は、何をするにも遠慮がちだった。いつも気配りしながら動くものだから、何となくぎこちなかった。それが最近は大胆になり、自分のやりたいように動くので、それが親しみやすさを生んでいる。そんな爽夏を、航は微笑ましく思っている。


 航がペットボトルのコーラを二本ぶら下げて戻ってくると、爽夏の着替えは終わっていた。人差し指と中指、中指と薬指、それぞれの間に挟んだコーラを爽夏のほうへ差し出すと、ありがとう、とにこやかな笑みを浮かべ、そのうちの一本を受け取った。


 航が後部座席から、おにぎりが入ったコンビニの袋を取って、荷台に腰掛けると、その隣に爽夏も座る。航は少し背中を丸めてツナのおにぎりをパクつき、爽夏は宙に浮いた足を、ブラつかせながら、梅のおにぎりを美味しそうに頬張る。こうして並んで食べるのが、自然な雰囲気になっていた。


 突然、爽夏が何かを思い出したかのように口を開いた。

「さっき抜いて行ったの、何だろ?」


 何を聞かれているのか、よく理解できなかった航は、何だろうね? と如何様にも受け取れる曖昧な答えを返した。

 すると爽夏は、航の相槌を待っていたかのように口を開く。

「あの緑色のランニングシャツ、あれって緑山大学のユニフォームだよね。もしかして陸上部の学生かな? でも陸上部が箱根のこんな山の中でトレランなんてするかなぁ? それにしても、挨拶もしないで、右手だけ挙げて、走り去って行くって、あり得ないよね」


 爽夏のぷりぷりとした物言いに、そうだね、と同調しつつも、航は大して気に留めていない。それよりも、爽夏と一緒に山の中を走り、今こうしてお腹を満たしているこの時間を満喫していた。走っている時の心地良い緊張感と、走り終えた後の達成感、それにコカコーラに、おにぎり…… そして爽夏が漂わす、何となく甘い空気感が、たまらなく好きなのだ。


 走り出す前の肌寒さは、すっかり消え去り、春の暖かさに包まれた、穏やかな時間が流れている。

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