7 緑色の人影
山伏峠を過ぎると、道幅はぐっと狭まる。
一列になって進むのが精一杯な登山道、このようなところをトレイルランニングではシングルトラックと呼ぶ。
小刻みなカーブと細かいアップダウンを繰り返しながら、徐々に標高は下がっていく。木の根や風化した岩などが散在し、険しい山道となるせいか、人の気配は殆どない。
爽夏は木の根や浮石などの障害物をクリアする時は、細かいステップを刻んで素早く切り抜ける。大きな力を使わずに流れに従って前へ進む省エネ走法だ。
一方の航は障害物の手前で、力強く踏み切って飛び越えようとする。踏み切る前に歩幅をあわせる必要があるので、一度ブレーキをかけ、大きな力を使って飛び越えなければならない。そのためロスが大きい。また着地点が不安定であれば、バランスを崩す事もあり、それを立て直すのに、またエネルギーを要する。
それでも航は持ち前の身体能力の高さで、それを事も無げにやってのける。簡単に出来てしまうから、走り方を直そうという、気にはならない。
後ろを走っている航は、爽夏の見事な脚さばきに魅了されていた。ここまで数多くの悪路があったにも関わらず、爽夏の白いハイソックスには殆ど汚れがついていない。その一方で、自分のふくらはぎは泥だらけになっているのに、気づいていた。気づいてはいたが、気に留めてはいなかった。
コースは芦ノ湖展望公園に差し掛かった。芦ノ湖へ降りる道と、外輪山を周回する道に分かれる分岐点で、芦ノ湖スカイラインから車でアクセスできる為、観光客の写真撮影スポットにもなっている。
航がザックのサイドポケットからスマートフォンを取り出し、立ち止まろうとすると、その仕草に気づいた爽夏は、景色は心に刻んでおくものよ、とまるで子どもを諭すような口調で言い放ち、脚を止めることなく、芦ノ湖方面に進路を取った。
苦笑いを浮かべた航は、すぐさま、付いて行こうとしたが、丈の短い熊笹に躓いて、転びそうになった。
一瞬はっとしたが、爽夏に気づかれなかった事に安堵して、照れくさそうに走り出す。スタート地点の湖尻水門へ降りるまでは、あと1キロほどだ。
芦ノ湖展望公園と湖尻水門の間は、利用するハイカーが少ないせいか、かなり荒れている。ガレた岩場、それに苔がびっしりと張り付いたいかにも滑りそうな石段、ところどころ、倒木が道を塞いでいる事もある。
足元の路面状況に注意を払いながら、慎重に坂を下っていくと、航は背後から小気味良い足音が近づいてくるのを感じた。
ハイカーが追いついて来る事はあり得ない。
トレイルランナーかな? と思考を巡らせていると、足音は急激に大きくなってきた。明らかに接近してくる速度が速い。微かな恐怖を感じ、スピードを緩めて振り返ろうとした。その刹那、右行きます!と言う、大きな声が聞こえた。
そして次の瞬間、振り返ろうとした航の右側を、掠めるように緑色の人影がすり抜けて行く。暴走、とでも表現したくなるような無謀なスピード……
先行する爽夏は声が聞こえてから、少し間があったので、左寄りに進路を取っていた。緑色の人影は、爽夏の右側に空いた僅かなスペースを、加速するように駆け抜け、振り返る事もなく、右手を軽く挙げた。
「感じわるー」
爽夏が、低い声で呟く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます