5 勝敗の行方
航の脚には力が漲っていた。
上り坂に入って汗をかき始めると、身体の動きが益々、良くなっていく。上り坂である事を忘れてしまうほど、軽快に前へ進み、そして着々と標高を獲得していく。
トレイルシューズから伝わる路面の感触、張り出した小枝を首だけで素早く交わす動作、道を塞ぐ倒木の飛越、蜘蛛の巣、藪、泥濘、あらゆる自然の障害物と対峙し、それを物ともせずにクリアしていく、この不規則性がたまらなく心地良い。
外輪山の尾根に出た時、前方に黒いザックを背負った女性の姿を見つけた。
爽夏だ! 距離は数百メートル、心の中で、ごちそうさま、と呟き、さらに走りに力強さを加える。どこまででも上げられる自らの身体能力に酔いしれた。
曲がりくねったコースを抜けて、前方が見渡せるようになったところで、爽夏を射程に捉えた。一完歩ごとに距離は縮まっていく。もうここまで来たら、いつでも捕まえられる。航はニヤリと笑った。
20メートルほどあった差を一気に詰めて、爽夏の後ろにぴたりと付いた。
速さが全く違うので、簡単に追い抜くことは出来る。しかし航は抜かない。
背丈の高い笹で両側を覆われている山道は、その道幅が狭い。
狭い山道で無理矢理に追い越しを掛ければ、道端の自然植生を踏みにじる事になるし、接触すればお互いにバランスを崩してしまう。もしも山道を踏み外してしまったら、大きな怪我へと繋がりかねない。
航は、後ろに付いたまま暫く走って、コース幅が広くなるところまで待った。
爽夏は、航の気配を背中越しに感じつつ、必死に粘る。
抜かれると分かっているのに……
笹のトンネルを抜けると、道幅が一気に広がった。
レストハウスは目前……
爽夏は、最後の力を振り絞った。
しかし航は、爽夏にあっさりと並びかけ、横顔をチラッと覗き込むと、背中をポンと叩いて前へ出る。一瞬の出来事だった。
爽夏よりも僅かに早くレストハウスに辿り着いた航は、腕時計のストップボタンを押した。1時間25分4秒で表示が止まる。目標タイムより約5分早く到着した事に口元を緩める。
爽夏は十秒ほど遅れて到着した。俯いて前かがみになり、膝に手を置いて、肩で息をする爽夏。一方の航は、大きく一度深呼吸をしただけで、既に息が整っている。
「また…… 速くなったね……」
息を弾ませながら、爽夏はサンバイザーを取り、額の汗を手の平で拭った。
「ソフトクリームが賭かっているから真剣だぜ」
航はおどけたように答える。
負けたほうが、ソフトクリームを奢る、それが二人のルールになっていた。
2つのソフトクリームを手にした爽夏が、売店のスライドドアから出てくると、航は、ごちそうさま、とニヤリと笑い、ひとつを受け取り、展望台へ向かって、さくさくと歩き始める。
展望台には古ぼけた木製のベンチが置かれている。そこへ二人並んで、腰掛ける。
小さなベンチに肩を寄せ合って座り、芦ノ湖を見下ろすその後姿は、まるで恋人同士のようだが、二人はそういう関係ではない。
ソフトクリームを美味しそうに食べる航を見つめながら、爽夏は、再会した日の事を思い出していた。
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