4 山伏峠へ
航からLINEで、やすらぎの森通過! の知らせが届いたとき、爽夏は、芦ノ湖スカイライン料金所脇のトレイルに差し掛かっていた。
芦ノ湖西岸のハイキングコースから離れると、山伏峠までは激しい上り坂が続く。
鼻歌を歌いながら走っていた時とは一転して、息を弾ませながら、前へ進まなければならない。
それでも爽夏の軽やかな足取りは衰えを知らない。小刻みなステップを踏みながら、軽快に山道を登っていく。一見すると、その場で足踏みをしているように見えるかもしれない。しかし確実に前へ前へと進んでいる、これが爽夏のランニングスタイルなのだ。上り坂で、ギアを上げて加速していく航と、ギアを落として、脚への負担を軽くする爽夏、二人の走りは対照的だ。
森の中の山道や、丸太の階段を乗り越えると、箱根外輪山の尾根筋に出る。
このあたりに来ると、コースは森林防火帯(山火事の広がりを防ぐために樹木が伐採された帯状地帯)となるので、視界が開ける。
目的地の山伏峠レストハウスを、山上に捉えた。
あと少し…… 今日は、何としても逃げ切る……
足元に現れた、山伏峠2キロ、の案内板。それを確認して、一旦、足を止める。
振り返って、今来た道を見下ろすと、冬枯れした芝と、熊笹の上に、大きな青空が広がっていた。首を左に振れば、群青の芦ノ湖、それに駒ケ岳…… 小さな雲の塊が西から東へと流れていく。
こんな景色を独り占めできるなんて最高だぁ、爽夏は頬を緩めた。
調子はすこぶる良い、今日は逃げ切れそうな気がする、そう思って、ところどころに見通せるハイキングコースを目で追うと、水色のウェアを身に纏った男が、かろうじて目視できるほどの小ささで確認できた。僅かな時間、眺めている間に、その姿がどんどん大きくなってくる。航だ……
「やばっ、もう来たぁー」
爽夏は、ひとり言を呟いて、慌てて二、三歩後ずさりをすると、すばやく向きを変えて、また元のリズムで走り出した。
ここからの航の追い上げは何度も見せつけられている。
この距離なら逃げ切れる、そう思っていても、あっという間に捉まってしまうのだ。爽夏は、いつもより早めに動きを切り替えた。
上体を前傾させて、着地した足を素早く引きつけ、真下に振り下ろす。
両腕を鋭く振り、全身を使って上り坂を駆け上がる。
これまでのような、省エネ走法ではなく、残っている力を搾り出すような力強いフォームに切り替えた。
「今日こそは、逃げ切るんだ」
もはや体力を温存する余裕は無い。
残り2km、跳ね上がる心拍数に、溜まっていく乳酸、激しい呼吸、ヒリヒリする気管支の痛み、そして破裂しそうな肺…… 全力疾走がどこまで持つか、自分に挑む。爽夏は顎を引いて、視線を落とし、無我夢中で笹藪のトンネルを突き抜けていく。
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