ミラーミラー

空木トウマ

第1話

北見の中学のクラスメイト山本が学校に姿を現さなくなったのは、3年生の2学期が始まってすぐの事だった。

成績優秀、容姿端麗、スポーツ万能と3拍子揃った上、生徒会長も務める山本は今まで欠席はおろか遅刻もしたことがなかった。

担任の教師は病気だと説明したが、それが嘘であることをクラスメイトの北見はよく知っていた。なぜなら山本が学校に来なくなったのは北見のせいだったからだ。

北見は山本と違い、成績もスポーツもぱっとしなかった。容姿も人並みで、おまけに地味で暗い性格だった。北見は自分にないものを全てもっていた山本の事をうらやんでいた。

夏休みが終りを迎えていた週の日曜日、たまたま街へ買い物に来ていた北見は、駅前にある大型電気店で山本の姿を見かけた。

もちろん北見は山本に声をかけるような事はしなかった。同じクラスであっても山本と特に親しいわけでもなかったし、それどころか今までろくに口をきいた事もなかったからだ。なんとなく同じ場所にいるのさえ、居心地が悪かった北見は、すぐにその場を立ち去ろうとした。

だが、山本に付き添いがいるのを見て考えが変わった。その相手は女性だった。

私服を着ているので正確な年齢まではわからなかったが、大学生くらいだった。ショートヘアで、黒と白のボーダーTシャツに白いミニスカート、グレーのブーツを履いていた。スラリとした体躯のよいまるでモデルのような女の子だった。2人が山本の隣にいるとまさに似合いのカップルという感じだった。

2人は北見の事などまるで気づくそぶりもなく、ディスプレイに並んだ携帯電話を手にとっては、きゃあきゃあと楽しそうにはしゃいでいた。

 その光景を見た北見は、なんだか自分がひどくみじめでちっぽけな存在であるかのように思えた。北見の思い込みに過ぎなかったのだが、日頃抱いていた嫉妬の感情がここにきて一層あふれだした。

 北見の趣味は写真だった。街に出る時は常に愛用のデジタルカメラを持ち歩いていた。 主に気に入った風景などを撮っていたのだが、可愛い女の子がいれば気づかれないように遠くから写したり、時には法に触れるような際どい写真を盗撮したことも度々あった。さらに趣味の悪いことに、北見はそうして集めた写真をネットに流したりもしていた。

 気がつくと、北見は2人を写真に撮っていた。これは山本の弱みになるかもしれないと考えたからだ。

 店を出た後も北見は2人の後を尾行して写真を撮り続けた。

 そして大通りから道をそれたところで北見にとっては格好の機会が訪れた。ひっそりとした路地には、けばけばしい看板のかかった汚い外観のラブホテルが並んでいた。手をつないだ2人はあらかじめ申し合わせたように軽い足取りでそのうちの一つに消えていった。

北見は夢中でラブホテルに入っていく2人の写真を撮った。そして画像が鮮明に写っているのを確認した北見は、いやらしい笑みを浮かべると近くのネットカフェに入った。そこで北見は、今取ったばかりの画像をネットに流した。 

その効果はすぐに出た。

夏休みが終わり、2学期の始業式。

山本はいつものように愛想よく「おはよう」と、クラスメイトに話かけたのだが、夏休み前と彼に対するクラスメイトの態度は180度変わった。

 それまである種山本の事を羨望の目で見ていた女子生徒は、汚いものでの見るかのような目つきになり、仲良くしていた男子生徒も山本と距離を取り始めた。初めは訳がわからないといった様子の山本だったが、すぐにネットでホテルに入ったという話を聞いたのだった。こうして山本は学校へこなくなった。


山本が不登校の状態になって何日か後、学校内に奇妙な噂が流れるようになった。

山本が学校に夜な夜な現れているというものだった。

北見は山本の姿を見たという隣のクラスの男子生徒の話を聞くことにした。

その生徒の話によるとこういう事だった。

本校舎の東側1階と2階をつなぐ階段の突き当たりに、全身を映せる鏡があった。部活が終わって返ろうとした時に、その鏡の中で山本の顔を見たという事だった。

 元々この鏡には逸話があった。どこの学校にでも一つはあるような怪談話の類だった。

それは鏡の前で30分立っていると、その中に引き込まれてしまうというものだった。

あるいは山本は鏡の中に入ってしまったというのだろうか…

生徒の話を聞いた北見はなんとも嫌な感じだった。

授業が終わった後、人気のなくなった夕陽の差し込む本校舎の東側廊下に来た北見は例の鏡の前でじっと立っていた。北見が立ち始めてから時計は30分を回ろうとしていた。

「やっぱりがせか」

 当たり前といえば当たり前だ。

 鏡の中に人間が入るなどありえない。

 廊下の脇に置いておいたカバンを拾った北見は帰ろうとした。沈んでいく夕陽に照らされて、北見の影が鏡に向かってすうっと伸びた。

「待って…」

「え?」

どこかから声がした。北見は周囲をきょろきょろと見渡した。だが、誰の姿もなかった。

とすれば…。

 それまで北見を映していた鏡にすうっと別人の姿が浮かび上がった。

「や…山本…」

北見が驚いて声をあげた。

現れたのは山本だった。

「やあ、北見君…」

 山本はひどくやつれた顔をしていた。

そこにはかつての面影は全くなかった。

「ひどい顔してるぜ…」と北見は言った。

 山本は自分の顔をなでた。

「そうかい?こっちには鏡がないから、今自分がどんな顔をしているのか分からないな…」

 北見は山本のやつれた姿を見るにつけ、初めてこの男の上に立てたと優越感を感じることができた。それは北見にとって最上の喜びだった。今の山本を見ていると北見は奇妙な話だが友情を感じることができた。

「…どうしてそんなとこにいるんだ?山本」

「…彼女のためだよ。話はもう聞いているんだろ?」

「…ああ、まあな」

 北見がネットに流した写真が発端となって、山本と彼女に関する情報はクラス内に溢れていた。

「…彼女は僕の家庭教師をしてくれていたんだ。それがきっかけで親しくなって、付き合うようになり、そしていつしか真剣に愛しあうようになった。でも、あの写真が出回ったせいで、彼女は僕との交際を親に知られてしまった。彼女の両親は大変しつけに厳しい人で、ひどく彼女を叱ったんだ。そのショックで今、彼女は自宅で寝込んでしまっているんだ…」

「そ…そうなのか」

「彼女は僕とはもう会えないとだけ電話してきたよ。多分そうなるだろう。それが最後の会話になってしまった。絶望は僕も同じだった。だからこっちの世界に来たんだ。永遠に自分んい罰を与えるためにね」

「山本何か俺にできることはないかな?」

「そうだな…。実はお腹が空いてるんだ」

「あ、丁度俺今、昼飯の残りのサンドウィッチならもってるぞ」

「そうか。それを鏡の前に置いてくれないか。30分立てばこっちに入れることができる」

「ああ」

 北見はカバンからサンドウィッチを取り出して鏡の前に置いた。

 そして北見は山本に付き合って話しをした。

「時間だ」

「え?…」

 気がついた時、北見の周りの景色は急に暗くなった。日が沈んだから?いや違う。それとは異質な暗闇だ。

 鏡の向こう側には、まさに沈んでいく夕陽を背に受け、山本が立っている。

 まさか…これは…。

 俺が鏡の世界にいるのか?

 北見の額から冷や汗がこぼれた。

 山本が冷酷に北見を見下ろしている。

「そこにいる間、僕は生徒達の話を聞いていたよ。声だけは聞こえるんでね」

「や…山本…?」

「あの写真を流したのはどうやら君みたいだな」

「ま…待て…違う。俺じゃない」

「嘘はやめろ。お前も自分で言ってただろ。ここで」

そのとおりだった。

確かに北見はここで叫んだ。

先ほどまでの沈んだ顔から一転して山本の顔には憎悪が浮かんでいた。

「僕も罰を受けた。お前も罰を受けろ。ただし…」

 山本の手にはハンマーが握られていた。

「永遠にな」

「や…山本、待て…待って…!」

 北見は必死に叫んだが、山本はゆっくりと歩いてきた。

 そして頭上に振り上げたハンマーを勢いよく振り下ろした。

「山本ー! 」

バリバリバリン。

鏡は派手な音を立てて砕け散った。

もうその中を覗く事は出来なくなった。永遠に。

 

 



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