天国と地獄

清見こうじ

残念な天使の命題

 ある、暖かな秋の日。


 小春日和のポカポカした柔らかい日差しが、枯れかかった芝生を照らしている。

 校庭の外側の南向きの斜面は、格好のサボり場所だった。

 春や夏の、湿り気を帯びた草いきれとはまた違う、乾いた草の匂いが、風に乗って鼻腔に届く。

 こんな日に、教室に籠って、つまらない講義を聞いてるなんてバカらしい。


 そんなわけで、自主休講。


 そもそもこの学校に来たことが間違いだった。


 体調崩して、受験に失敗して、滑り止めの滑り止めに入学するはめに。

 周りは皆、バカばっか。

 高校浪人なんてみっともないから行ってくれっていう、親の懇願がなければ、こんなとこ、来るもんか。


 バカばっかり……。


『このままじゃ留年するぞ』

 そんなはず、あるわけない!


『入試の順位はまぁまぁだったのに、入学してからは下がる一方じゃないか。遅刻も多いし、授業中居眠りも多い。夜ちゃんと寝てるのか?』


 何にも知らないくせに、あんな頭の固い教師に、俺の気持ちがわかるもんか。

 挫折の連続で、俺の精神こころはひどく傷ついた。

 深い悲しみで、夜も眠れない。


 成績やテストのみで、人間すべてを評価するような社会を作った、あの教師のような大人のせいじゃないか。

 世間体ばっかり気にする、親のせいじゃないか。


 同じように苦しみ傷ついた仲間が、日本中にいる。

 彼らと話しあったり、ゲームを楽しんだりしていると、夜眠れないツラさも軽減するんだ。


 その代わり、昼間睡眠をとるのは、生物学的には普通の状態だよな。

 人間、寝なくちゃ、生きられない…………。

 

 うつらうつらしながら、青空を眺めていると。


 目の前を、ぼんやりと、白いものがよぎった。


 え? 人が空に浮いてる?


 思わずガバッと起き上がり。


 ガツッ!


『あの、わかります?』


 突然の衝撃に目を覚ますと、そこは、真っ白な場所だった。

「え?」

 ここ、どこ?


 白い場所、といっても、室内、ではない?

 なんだかぼんやり光る、何もない空間。


『あの、意識あります?』

「あ、はい……え?!」


 目の前にいたのは、女の子、だった。

 輝く金の巻き毛のロングヘアーに、抜けるように白い肌、深く澄んだ青い瞳、整った目鼻立ち。

 それ以外の言葉で表現できない、超絶美形の。

 ……天使のような、女の子。


『あ、はい、天使です』

「へ?」


 よく見たら、白い背景に溶け込んでしまうほど、真っ白な羽が背中に生えていた。


「え、何で? 俺? 死んだの?」

『あ、正確には、仮死状態です』

「へ?」

『あの、予定では、校庭から飛んできたボールがぶつかって、軽いケガをするだけだったんですよね』

「は?」

『でも、急に起き上がって、そうしたら後頭部にガッツリ、ボールがぶつかって。まさか、10年後、大リーグでスラッガーとして大活躍予定のカネキ・タイチローさん(16)の、高校生活初のホームランボールに直撃されるなんて、運がいいのか悪いのか』


 見た目の割に口調が軽くて、なんだか残念な美少女だ。


「うん、そうだな……って、いや、今授業中だろ? 体育で使うボールなんて、軟式じゃないのか? 普通、それじゃ死なないだろ?」

『あ、ボール当たったところは、ちょっとこぶができたくらいです。ただ当たった勢いで、あなたが寝ていた土手から転げ落ちて、下の道路に頭からまっ逆さまに……で、即死、と』

「いや、それ死因、ボールじゃないし」

『そうなんですよね。寝ていたままだったら、跳ね返ったボールが足に当たって、軽く打撲だったんですけど。急に起き上がったもんで』

「へ?」

『一応、予定外なので、仮死状態で待機してるんですよね』

「じゃあ、もしかして、俺、死ななくて良かったんじゃ?」

『……まあ、そういうことになります、か、ね?』

 

 美少女「天使」は、言葉を濁しながら、チラッと斜め上方向に目を反らした。


「思い出した……俺、死ぬ前に、お前の姿見て、ビックリして起き上がったんだ」

『あ、……やっぱり? いや、目が合ったかなあ、とは思ったんですが……見えてました?」

「見えてた」


『いやあ、普通は見えないんですよ。ただ、お迎えの時は、見えるようにモード切り替えて行くんです。て言っても、霊感の強い人にはうっすら見えるくらいで。あなたも、霊感強かったんですね。で、今日も仕事中で。ほら、学校の裏の、古いお屋敷に一人暮らしのヨモヤマ・ゴザエモンさん(88)が、米寿のお一人様バースデーパーティー開催中にイチゴショートのイチゴ飲み込んで窒息して孤独死することになってたんで、お迎え行く途中だったんですよ』

「……悲しんだか、おめでたいんだか……てか、その個人情報いらないし。やたら説明くさいし」


『で、ですね。あなたが寝てると思ったんで、ちょっと遅れそうだったのもあって、フライングぎみに空中でモードチェンジしちゃって。本当は、到着してから落ち着いてチェンジする予定だったんですけど。道が混んでて』

「いや、空に道ないだろ」

『まあ、そうですね。ホントは寝坊しました』

「言い訳かよ」

『昨日遅くまでゲームしてたら明け方になってて』

「廃ゲーマーかよ」

『まだそこまでいってないです』

「てか、天国にもゲームあるのかよ」

『そこは、天国に行くまでの極秘事項で』

「もう言ってるし」

『サプライズって意味です。で、一応、1日の死者数は、厳密に数量管理してまして……ぶっちゃけ、あなたが死んだ方が先にカウントされちゃって、ゴザエモンさん、息吹き返しそうなんです』

「へ?」


『でも、本来は、あなたが死ぬ予定ではないですし、まあ、不慮の事故というか、イレギュラーというか、こちらにも多少の落ち度もありますし……』

「いや、めちゃくちゃそっちの落ち度だろ?」

『あ、まあ、そういうわけで、ゴザエモンさんも仮死状態で待機中なんですよ。で、ご希望があれば、蘇生してあげてもいいかな、と』

「いやいや、何で、上から目線なの?」

『いや、まあ、それは、いつも上から見てるので』

「そういう物理的なことじゃなくて……で、生き返してもらえるんだな?」


『生き返すだけなら』

「いや、何その含みのある言い方」

『あ……、いえ、まあ、ここまで内輪の話しちゃったんで、ぶっちゃけますけど。このまま蘇生すると、頸椎損傷でたぶん後遺症残っちゃうんですよ』

「はあ? 元に戻してくれないの?」

『はあ、私に出来るのは、「魂を運ばない」っていう、消極的対応だけなんで。完全治癒とか、時間戻すとか、しゃちょうの権限ないと無理なんで』

「そっちの責任だろ? 頼めよ」

『いやあ、そうすると、現場レベルでこっそり処理とかできなくて、報告書必須になっちゃうんで。これ以上減点されると、査定に響くんですよね。なんで、できれば穏便に』

「はあ? それって隠蔽?」

「別の言い方すると、そうなりますね』

「別とかじゃなく、隠蔽だろ」

『そこんトコは、どうかオフレコで……もうひとつ、取って置きの情報、流しますんで』

「何?」

『これもオフレコにしてもらいたいんですが。今回の事故がなかった場合のあなたの今後なんですが……冬休み明けのテストで赤点続出で留年が決まり、それをきっかけに引きこもり、以後20年間、親に寄生して自宅警備員、40歳目前に自宅を追い出され、生活苦で餓死、となっています』

「……マジ?」


『どちらにします? ヒッキー孤独死にしますか? 大ケガ後遺症にしますか? あ、ゴザエモンに譲ることもできまーす』

「そんな、ポテトにしますか、ナゲットにしますか、みたいに言われても。あと、最後のはナシ。っていうか、どっちもマジツラいんだけど」

『まあ、それがあなたの人生ですから』

「いやいや、少なくとも後者はアンタのせいだよね? ……これって、出るとこ出て訴えたら勝ち、とか?」

『いや、それだけは』

「ということは、訴えようと思えば訴えられるんだな」

『……どうしても、っていうなら、あきらめて始末書書きます』

 報告書じゃなくて始末書って自分で言っちゃってるし。

 俺は、もう一度、考えて。


 もう一度、今度こそ、ちゃんと生きたい、と思った。


「……始末書を書いて、元に戻してくれ。今なら、まだやり直せる気がする」

『……分かりました……はあ、この冬のボーナスは無しか…………新しいバッグ欲しかったのにな……』




 そして。

 無事に万全な状態で生き返った俺は、気合いを入れて、真面目に授業に取り組んだ。その結果、無事に留年を回避した。そして、さらにコツコツ努力し、2年生からは学年上位に返り咲いた。

 そこそこの大学に進学し、そこそこの会社に就職し、愛する妻を得て、子供にも恵まれて。

 ちなみに、予定通り死を迎えた哀れなゴザエモンじいさんについては、あの後、匿名で通報したので、死後すぐに発見してもらえたらしい。 

 金木カネキ多一郎タイチローにはホームランボールを渡して激励したら、感激して、さらに練習に励み、甲子園出場後プロ入り、その後、本当に大リーガーになった。今でも年賀状を送ってくれる。



『いやあ、目覚ましい転身でしたね。寿命まで変えちゃうなんて』


 ゴザエモンじいさんには敵わなかったが、俺は85歳の大往生で生涯を終えた。

 実直に定年まで勤めあげ、家族も大切にし、余生は孫やひ孫に囲まれながら、平凡ながらも穏やかな人生の終末。


 そして、またやって来た、真っ白な場所。


「また、アンタがお迎えか」

『あの減点で足踏みして、ずっと平天使しゃいんですよ。でも、ようやく次の人事で昇格できそうです』


 相変わらずの残念な美少女だったが、今は懐かしさが勝っていた。


「それは悪かったな。でも、おかげでいい人生だった」

『それは何より。そうそう、あの時お伝えしそこねてたんですが』

「?」


『もし、あのまま蘇生していた場合、後遺症はさほどでなく回復。ただ転落事故の原因であるカネキタイチローさんが積極的にリハビリに協力したことになって、あなたはプロ野球選手、その後の大リーガーの親友としてのネタを動画配信し、一気に100万回再生バズって、爆発的人気に。トップウーチューバーとして収益は億を越え。当時のナンバーワン人気の美人女優を妻に迎え、順風満帆の輝かしい将来が待っていました。ついでに私も、もう50年早く昇進してました』


「……だから?」

『いや、ちょっとした意趣返しです。あんまり効果なかったですけど』

「そうだな。俺は、自分で選んだ人生に満足しているよ。……アンタのおかげだ」

『……そう面と向かって言われると、困ります。……本当のことに、言わないといけなくなる』

「へ?」


『順風満帆に見えた人生でしたが、動画のネタのため無理強いされたカネキタイチロー氏が、実は事故の隠蔽のため脅されていたと世間に告白、大炎上し、ウーチューバーは廃業。藁にもすがる思いでデイトレーダーに転身しましたが浅い見通しで投資に失敗、莫大な負債を抱えて、妻との離婚し、最期は河原の段ボールハウスで孤独死、でした』


「……」

『やっぱり、自分の人生は、自分で責任を持たないとダメなんですね』

「天使のクセに、今さらだな」

『あの時、あなたに言われて始末書書いて、確かにボーナス減らされたし、出世も遅くなりました。……同じようなミスを隠蔽して昇格していた同僚は、バレて免職じこくいきになりました。ミスではなく、隠蔽が理由で』



「……まあ、ともかくも、誠実なのが一番さ、人間も、天使も」


『もしかしたら今のあなたなら、そちらの人生も変えてしまったかも知れませんね……』

「どうかな。ともかくも、向き合っていくしないだろうな。どんな人生でも、大切に、な」


『そうですね……さあ、逝きましょう。……本日の死者1名さま、天国にご案内いたします』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天国と地獄 清見こうじ @nikoutako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画