第2話
田舎で起こった社交界襲撃事件は,その日のうちに大きなニュースとなり日本各地に伝えられた。ラジオニュースは犠牲者の数と名前,その地位を詳細に伝え,犯人は共産主義の過激派の若者たちだと決めつけ,女子供まで日本刀で斬り殺し,徹底的に焼き殺す残忍な暴力集団だと煽った。
翌日の新聞の朝刊では,ラジオニュースでは伝えられなかった多数の生存者がいることと,その多くが重症熱傷治療を専門とする医師のもとで治療を受けていること,その生存率はあまり高くなく,助かったとしても大きな後遺症が残ることが事細かに伝えられ,今回の襲撃事件は戦後もっとも残忍な方法での犯行だと一面を大きく飾った。
連日,世間を賑わすニュースとして大々的に警察も犯人を追ったが,犯人の足取りを掴むことができず,犯人が何人いてなぜ女子供まで惨殺したのか,その目的すらわからないままだった。
最初は全署態勢で,他県や東京からも過激派専門のチームが派遣されて捜査が続けられたが,六カ月過ぎると東京から来たチームが撤収し,その後地元の捜査チームも徐々に縮小されていった。
結局一年経っても犯人の足取りを掴むことも誰一人として捕まえることもできず,世間の関心は日に日に薄れていった。
医院で治療を受けたことと,すぐに救い出したことで私の状態は驚くほど軽く,煙を吸って意識を失っただけで済み,運び込まれてから二週間後には警察の保護のもと,自宅へと帰ることが許されていた。
事故で生き残った私の生存は不思議なほどニュースになることもなければ,犯人を目撃していなかったこともわかり警察も重要参考人から外した。
私は両親のいなくなった屋敷に帰されたが,家族のいない大きな家は寂しさと恐怖しかなく,これから先どうやって生活していくかまったくわからない不安に押し潰されそうになった。
すぐに親戚一同が集まり,すべての遺産相続をした私を養女として迎えたいと,親族間で争奪戦になった。あからさまにお互いを罵り,死んだ両親のことなど存在しなかったかのように振舞う大人たちに恐怖を感じ,私は徐々に人に会うことを避け始めた。
定期的に訪れる警察官と,以前からいる年配の使用人が残された私の世話をし,不自由はなかったが孤独に包まれたまま時間ばかりが過ぎていった。あれほど熱心に通い続けていた親戚も半年も過ぎると誰一人として顔を出さなくなり,家もすっかり静かになったころ,いままで見たことのないスーツ姿の男たちが三人で屋敷を訪れた。
男たちは無表情のまま茶色い封筒に入った書類を私の目の前に置くと,この屋敷が裁判所によって差し押さえられたことを伝えた。封筒には地元の銀行名が印刷されていて,そのマークを見た瞬間,いつも父親のところに来ては頭を下げている中年の男がいる銀行だと思い出した。
私はなにが起こっているのかわからないまま,黙って男たちを見ていたが,使用人をはじめ誰も何も言わずに男たちが勝手に家に上がり込むのを見ていることに腹が立った。男たちは時間をかけてゆっくり部屋を隅々まで確認するかのようにメモを取り,写真撮影をしながら両親の残していった遺産を見て回った。
時間を掛けて一通り撮影し終わると,一番年配であろう眼鏡の男がソファに腰を降ろし,その座り心地を確かめながら私と向き合った。
「君の父親が行っていた事業,投資,その他諸々,父親がいなくなった時点で誰も管理できなかったために,すべて消えてなくなってしまったんだよ。まぁ,君の父親にしかできない商売だったようで,他の誰にもそのやり方を理解できないでいたみたいなんだ。気がつけばすべて失われていたってことだ。あの事件さえなければ,こんなことにはならなかったんだけど」
眼鏡の男がさらに冷たい視線を私に送った。そして一週間後にこの屋敷を差し押さえるから,それまでに出ていく支度をするように言い,私が持てるだけの必要最小限の荷物だけを持ち出すことを許すと伝えた。
男たちがいなくなった翌日,母親の両親が小さな車で屋敷へやってきた。母親は決して裕福な家庭の出身ではなかったが,少なくとも車を所有できるだけの資産のある家ではあった。
祖父母の二人はなにも言わずに私の荷物をまとめると,そのまま車に乗せて屋敷を後にした。心の底ではなにが起こっているのか理解していたが,言葉が出ず放心状態に近いまま言われたことに従うしかできなかった。
生まれ育った屋敷から追い出されるように門をくぐった瞬間,涙が溢れ出し,いなくなった両親との想い出が頭の中を駆け巡った。舗装されていない道路はあちこちに穴があり,祖父の運転ではすべての穴を避けることができず,度々天井に頭をぶつけそうになるくらい車内で跳ね上がった。
祖父母の家に着くと,小さな庭を抜けて玄関へと出た。私の記憶している祖父母の家は手入れの行き届いた庭と埃のない隅々まできちんと掃除された家だった。
いま目の前にある家は,まるで廃墟のように荒れ果て,玄関の引き戸に嵌め込まれた職人によるガラス細工が割れていた。
「ああ……ごめんな。すっかりボロ家になってしまって。娘夫婦が亡くなってからしばらくして,おかしな男たちがやってきて家や庭をめちゃめちゃにしてしまったんだよ。警察にも来てもらったんだが,犯人がまったくわからん」
私の頭の中では,家に来たスーツ姿の三人組が浮かんでいたが,なにも言わずに黙っていた。
「死んだ娘たちの事件にかかわっている連中かもしれんから,下手に騒いでまた狙われてもいけないと警察にも言われててな……」
祖父母の家に来てから三日が過ぎた夜に,突然スーツ姿の男たちが現れた。私は驚き以上に戸惑い,彼らが祖父母の家にいる理由がわからなかった。
祖父が三人を居間に向かい入れ,声を殺してなにかを話し合っているのはわかったが,それ以上はなにを話し合っているのかわからなかった。時々祖父の鼻をすする音が聞こえ,声を殺して泣いているように思えた。
不安でどうしようもない私の肩を祖母がそっと抱き寄せた。古い着物の匂いとお香の匂いが上品に混じり合い,震える私の身体を包み込んでくれた。
「ねぇ……お爺様がお話をされてる方たちは,どちらの方なの?」
祖母はなにも言わずに私を抱き寄せる手に力を入れた。その皴だらけの手は,微かに震えていたが,私は祖母も黒スーツの男たちに怯えているのだろうと思った。
男たちが席を立ち,玄関へと向かう足音を聞きながら私は祖母に抱きしめられ,微かに感じる男たちの気配に怯えた。聞き慣れない車の音が玄関の近くで聞こえたかと思うと,タイヤを空回りさせながら砂利を激しく巻き上げる音が夜の静けさ破壊した。
「ねぇ……お婆様。あの方たちは何故あんなに乱暴なの?」
祖母は再び私を抱き寄せるだけでなにも答えてくれず,そのまま小さな寝室へ私を連れて行き,寝る支度をするようにとだけ言い残し,部屋を出て行った。
祖父母の家に来て一週間が経った日の朝,私の目の前に黒スーツの三人組が険しい表情で立っていた。
意味がわからず,祖母に助けを求めようと一歩足を踏み出した瞬間,眼鏡の男が私の頬を力任せに
人生で一度も殴られたことのない私はパニックになり,泣き叫んだ。助けを求めるというよりも,殴られたことの驚きと恐怖,そして痛みに叫ぶしかできなかった。
「お嬢さん。君のご両親の不幸は本当に残念だし悔やまれる。そして,君のお爺様とお婆様のご不幸が続くなんて,君はなんて不幸なんだ」
「え……?」
「お爺様とお婆様は,今朝早く自動車事故に遭われて亡くなられたよ」
家の柱時計の針はまだ朝七時を回ったところで,ほんの少し前に七時を知らせる乾いた音が聞こえたばかりだった。そんな早朝から祖父母が車で外出するなどあり得なかった。口の中に広がる血の味が不快で,止まらない鼻血をどうしてよいのかわからず,パジャマの袖で拭った。
「じゃあ,行こうか」
若い筋肉質の男が私の両肩に手を当てると身体を軽々と持ち上げ,無理矢理立たせた。驚いて手を払うと男は微笑み,私の髪の毛を鷲掴みにして力任せに引っ張った。
「大人しくしろ。こっちもお前をこれ以上傷つけるわけにはいかないんでね」
男はそういうと,私の腕を捻り上げ,そのまま家の外に連れ出した。
庭を横切り,男たちの車に連れて行かれるときに,祖父母の車がいつもの場所に停められているのを見て大声で助けを求めた。
喉が千切れるほど大声で叫び,男の手を振り払おうと力任せに腕を振り回した。
「しょうがないな……」
そう聞こえた瞬間,私の身体が激しい衝撃とともに祖父母の車に叩きつけられた。助手席のドアに身体がぶつかり,肘で窓ガラスを割るんじゃないかと思うほど大きな音を立てた。
「ほら,ジジィとババァにお別れしな」
痛みに耐えられずしゃがみ込むと,再び男に髪の毛を掴まれ,そのまま窓ガラスに顔を押し付けられた。
車の中には顔が風船のように腫れあがり,一瞬誰かわからないほど変形した祖父母が全身紫色になって座っていた。
人とは思えない色と腫れあがった顔を見た瞬間,私でも祖父母が死んでいるのがわかった。
「…………」
その瞬間から私の周りから一切の音が消え,痛みを感じなくなった。言葉も出すにただ目の前の変わり果てた祖父母を呆然と見ていた。
抵抗することさえ忘れたような大人しくなった私は男たちに連れられ,真っ黒な高級車に乗せられ,そのまま見たことのない大きなお屋敷へと連れて行かれた。
私が生まれ育った家とは違う,比較的新しい洋館はどこも重厚なベルベットのカーテンが下り,壁には大量の絵画が飾られていた。
一人でリビングに通されると,奥のドアから見慣れない男が現れた。男は真っ黒なスーツに身を包み,機嫌良さそうに私を見た。
「初めまして。君のお父上とはビジネスでご一緒させていただいたことがあってね。君のこともパーティで何度か見ていたから知っているよ」
「…………」
「酷い目にあったね。ソファに座ってくつろぐといい。そうだ。僕の自慢のオーディオで音楽を聴かせてあげよう」
「…………」
男は鼻歌まじりに何枚かのレコードを手にすると,音楽の教科書で見たような厳しい表情の外国人が指揮棒を手に持った一枚を選んだ。
「僕の大好きなクラッシックなんだ。このオーディオで聴くと,音の臨場感が最高にいいんだよ」
ベルベットのカーテンに覆われた窓からは外の様子はわからず,重い部屋の中に激しいクラッシックの音楽が響き渡った。しかし私には一切の音は聴き取れず,胃を不快にするような振動しか感じられなかった。
男は私を無視して目を閉じ,満足そうに音楽を楽しんでいるようだった。男を前に私はどうしてよいのかわからず黙って立っていると,そんな私の様子に気づいたのか男がソファをそっと指差した。
指示されたとおりにソファに腰をかけ,黙って男を見た。太い首に日に焼けた肌と時折見せる太い指が印象的だった。なによりも目に留まったのが,太い指につけられたいくつもの金の指輪だった。
やがて音楽がクライマックスに差し掛かると,テーブルの上に置かれた銀製のケースから無造作に葉巻を取り出した。慣れた手つきで葉巻の端を切り落とし,葉巻を口に咥えてから長いマッチで火をつけた。
チリチリと音を立てて葉巻の先が真っ赤になると,男は口の中いっぱいに溜め込まれた煙を一気にはきだした。
「私はコレクションが趣味でね。欲しいものはなんとしてでも手に入れる。この葉巻が入っているケースもフランスの貴族が使っていたものなんだよ。もともとは小物入れなんだけど,フランスの職人に葉巻入れにしてもらったんだ」
再び葉巻を咥え,口の中いっぱいに煙を溜め込み,頬を膨らませてからゆっくりと煙をはいた。独特の臭いが部屋の中に広がり,重苦しい色の壁をさらに暗くした。
「本当に……君のご両親は僕が欲しいものをなんでも持っていたよ……僕と彼の違いは,僕は手段を選ばないことと,僕が過激派連中の支援者でもあるっていうことかな……」
煙が漂う口元が微かに微笑み,男の太い指に嵌められた金の指輪が鈍く光った。
「君のお父上はね。実に優秀なビジネスマンだったよ。だから僕も彼と一緒に仕事をするのは楽しかったし,彼のことも大好きだった。大変尊敬していた」
チリチリと音をたてながら葉巻の先が真っ赤になり,厚い唇の隙間から大量の真っ白な煙をはき出した。男の目は酷く卑猥で,男のすべてが生理的に受け付けなかった。
「でも,彼は僕と仕事をするのが好きではなかったようでね。本当に残念だよ」
男の厚い唇が動くたびになにかを話しているのはわかったが,もはや私の耳にはなにも届いてこなかった。
「君も疲れただろう。ここのところ,ご両親や祖父母,そして大切な男まで死んで,さぞかし傷心だろうから。部屋を用意してあるから,そこで休みなさい」
葉巻をガラス製の大きな灰皿の縁にそっと置いて,ソファに座ったままそっと手を挙げると,気配もなくドアから眼鏡の男が滑るように部屋に入ってきた。
「お部屋にご案内しなさい。決して乱暴に扱わないように」
眼鏡の男は静かに頭を下げると,私の横に来て優しく腕に手を添えて私を立たせた。その仕草は紳士的で,暴力的なだけかと思っていた私は眼鏡の男の足元を見ながら混乱した。
「旦那様がお前の部屋をご用意してくださった。これからしばらくの間は,その部屋を使いなさい。きっと部屋に満足するだろう」
男に連れられて屋敷の奥にある大きな部屋に通された。ドアを開けると最初に目に入ったのが,職人の手によって細かい細工が施された総檜造りの重厚な台に収まった大型テレビだった。見慣れたレースのカーテンが台の上に敷物のように置かれ,かつて父親が自慢気に押していた銀色のスイッチが微かに変色しているのを見て胸が張り裂けそうになった。
部屋に一歩入り,見回してみるとよく知る使い込まれた調度品が並んでいた。その中にはさっきまで祖父母の家にあった柱時計もあり,私が生まれてから身の回りにあったものばかりだった。
「これで旦那様のコレクションが揃った。俺はお前を籠にいれるだけでよいと提言したんだが,旦那様はお前の父親の事業を奪い,さらにその事業を拡げられたのはさすがとしか言えない。まぁ,すべてはお前のそのフランス人形のような美しさを恨むんだな」
男の言葉は虚しく部屋のなかで消え,私の耳には届かなかった。それでも部屋の様子を見ただけで,あの黒スーツに金の指輪をしている葉巻の男が両親と祖父母を殺したのだと察した。
「これからお前はこの部屋で過ごすことにある。本来ならお前の使用人を使いたかったのだが,そいつは酷い火傷で使い物にならなくてな。治療費を払うくらいなら,その肉を家畜の飼料にしたほうがよっぽどお役に立つってもんだ。まぁ,やつの一部は残しておいてやったけどな」
男が部屋を出た直後に,重く冷たい大きなドアが閉まるのと同時に目の前の光景が私の心を押し潰した。一歩二歩と近づくにつれ,涙が溢れだした。そして壁に飾られた額の中の不自然に貼られた派手な絵の正体を認識した瞬間,私の心が完全に破壊した。
その額の中には,幼い頃に怖くて直視することができなかった鳳凰が真っ赤な目を天に向け,焼け焦げてボロボロになった虹色の翼を大きく広げて羽ばたこうとしていた。
翼を焼かれ,自由を奪われ,もう二度と羽ばたくことのできない小さな籠のなかで,すべてを奪われた私は漆黒の闇のなかに自身の心を永遠に葬った。
籠の中の少女 Gacy @1598
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