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ネットでシュークリーム有名店を探し、全種類買ってから、健史に教えられた精神病院を修は尋ねた。外から見ると、病棟の窓半分に格子があり、彼が七年過ごした刑務所を連想させた。受付で尋ねると、四十歳くらいの女性看護師に三階の特別室へ案内された。
「あなたのことは、りんさんのお父さんから聞いています」
と看護師は言う。
「りんは、元気なんですか?」
修の質問に、看護師は難しい顔で首を振った。
特別室は外からのみ鍵の開け閉めが出来るようになっており、やはり刑務所みたいだと修は感じた。だけど部屋の中は一流ホテル並みだ。ベッドは広く、テレビ画面も大きく、浴槽もトイレもある。壁には聖母マリアの絵画がかかっていた。
窓の左半分には格子があった。娘は奥の椅子に座って、窓の右半分からガラス越しに南西の太陽の方を、目を細めて見ていた。修はゆっくり歩いて、娘の横に立った。彼女は黒のポロシャツとハーフパンツを身に着けていた。夏の服装だが、寒そうな感じはない。膝の上に三毛猫のぬいぐるみを乗せ、指で撫ぜていた。ひと目見て、彼女がまるで別人であることに修は胸を痛めた。頬も胸も腕も足も、異常なくらい痩せ細っていた。黒髪は長く伸びていた。右の手首に包帯が巻かれていた。左の手首には切った傷が幾つも残っていた。
「りん・・」
名を呼んで、修は隣にひざまずいた。
鈴はまぶしそうに空を眺めたままだ。
「りん。何を見てると?」
鈴は独り言をつぶやくように、
「こんな晴れてる日は、あたし、行く所があるとです」
修は狂おしく鈴を見つめた。
「そう。どこへ行くとね?」
鈴の顔がゆっくり修に向けられた。だけど彼女の瞳は修に焦点が合っていなかった。
「どちら様か存じませんが、どうしてそんなこと聞くとです?」
修はシュークリームが詰まった袋を差し出した。
「りん、おみやげだよ」
鈴は無表情のまま袋を開いた。
「これ、何ですの?」
「世界で一番おいしいシュークリーム」
「あたしが、食べるの?」
「うん。約束したけん」
鈴は静かに抹茶シューを食べた。
半分食べると、鈴は袋から果肉の詰まったイチゴシューを取って、修に差し出した。
「あたし、こげん食べきらんけん」
「どうしてイチゴを?」
修は胸を熱くして聞いたのだが、鈴は修の顔の遥か向こうを見たまま答えない。
「おれ、イチゴ大好き」
世界で一番おいしいシュークリームは、鈴と二人で食べるシュークリームだった。
食べ終えた鈴が、空を見ながら言った。
「そういえば、あの人も。イチゴが好きだと言ってました」
修は食い入るように鈴を見つめた。
「あの人って、誰?」
にわかに鈴の瞳が涙に潤んだ。
「あたし、その人とはもう、会っちゃいけないとです」
修は鈴に義父の事件の事を聞きだそうと何度も思った。避けては通れない道だった。だけど壊れた鈴の心をさらに砕いてしまいそうで聞けなかった。それは鈴の胸の傷口をえぐることなのだ。
夕陽が西の山を焦がしても、鈴は南西の空をずっと眺めていた。その彼方に、大切なものが輝いているかのように、時折指をそっと伸ばして。
『こんな晴れてる日は、あたし、行く所があるとです』
と、そのか細い指は語っていた。
修はただその傍らで、そんな鈴を見つめていた。
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