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 一成が車から降りて、鈴に呼びかけた。

「そんな足で、どこへ行く気ね?」

 鈴は涙を流しながら言った。

「あんたの力は借りたくないけど、もう時間がなかとよ。あたしを送ってくれんね?」

 峠の家へは長門石橋を渡って筑後川を越えた。だから鈴が助手席でいくら目を光らせても、修の空色のムーブとすれ違うことはなかった。

「ねえ、もっと飛ばさんねよ」

 一成の肩を叩いて鈴は急かした。

「死にたいと?」

「このまま地獄まで飛ばしてもいいけん」


 峠の古屋には義祖母しかいなかった。鈴がいくら修の名を呼んでも返事はなかった。もう仕事の時間も迫っていた。弁当屋最後の仕事日だ。急いで着替えて、一成の車に戻った。

「申し訳ないけど、JR久留米駅の近くまで送ってください。仕事に遅れそうやけん」

 運転しながら一成は聞いた。

「絶対安静なのに、仕事、休まんとね?」

「地獄へ行く前に、やらないかんことはやり遂げなきゃ」

 弁当屋に着いたのはすでに六時半過ぎだった。車から出て見送る一成に「ありがとう」と頭を下げ、鈴は仕事場へ飛び入った。急いでいたので、近くに空色の軽自動車が停まっているのを見逃してしまった。

 その車の中で、修はその光景を愕然と見ていた。

「あの二人、幸せなんやね?」

 と修は確認した。

 隣の亜紀が彼の手を握って答えた。

「あの二人、幸せな生活に戻ったとよ」

 修は涙をこらえて笑った。

 亜紀は震える肩に頬と髪をもたれ、ここぞとばかりに誘惑した。

「しゅう、わたしをどこへでも連れてって。わたし、しゅうが好き。やけん、どっか連れてってよ。わたしの全部、しゅうにあげるよ」


「って、結局連れて来たのはここかーい」

 蒲団の上に寝転がり、亜紀は手足をバタバタさせた。修は直行で峠の古屋に亜紀を送り届けたのだ。















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