33
誰か鈴を呼ぶ声が聞こえる。その声に体が震える。深い闇の底で鈴ははっと気づく。修の声だ。
「しゅう」
と呼び返して目を開けると、ここはベッドの上だ。すぐ横で、ベッドに上体をもたれた男が眠っている。鈴は上体を起こし、男の髪に触れた。
「しゅう」
嬉しそうに呼びかける。
男も目覚めて起き上がった。修ではなく、一成だ。
「あ、りんちゃん、気がついたとやね」
「あっ」
鈴は蒲団を頭からかぶり、男に背を向けて寝た。
「何だよ。ずっと看病してたのに、冷たいとやね」
と一成の声が襲ってくる。
昨夕の凶事を思い出して、鈴は痺れる左手首を確かめた。包帯が巻かれている。
「ここは、どこね?」
と蒲団の外に聞いた。
「ここは久留米の大学病院だよ。昨日救急車で運ばれたの、覚えとらんとね?」
「知らん」
「昨日はごめんね。だけど、ぼくはずっとりんちゃんに会いたかったとよ。好きじゃないなら、あんなことせんけん」
鈴は蒲団の中で唇を噛んで震えていたが、今何よりも大事なことを思い出し、蒲団から顔を出した。
「ねえ、今、何時ね?」
「五時半」
「土曜の朝の?」
「うん、土曜の朝の五時半」
鈴は飛び起きて、腕の点滴針を外した。着替えた記憶などないのにパジャマを着ている。服が見当たらないので、寝衣のまま病室を出ようとした。
「絶対安静なのに、どこへ行くと?」
一成が鈴の腕をつかんだ。
「離して。行かんといかん」
「どこへ行くと?」
「せからしかあ。離さんと、昨日あたしにしたこと、警察に言うけんね」
「寝てなきゃだめだって、あああ」
腕を咬まれて、一成が悲鳴をあげた。
鈴は左足を引きずりながら病室を駆け出た。廊下を走り、エレベーターで一階へ降りた。貧血で世界が揺れる。それでも行かずにはいられない。「どうしても、一分でも、いや、一秒でもいいから、りんと一緒にいたい」と前に修は言った。鈴も、どうしても、一分でも、いや、一秒でもいいから修に会いたかった。昨日、修から意外な告白を受けたが、この胸を突き破りそうな思いが鈴の答だ。今、修の胸でどろどろに溶けるくらい泣きたかった。一秒でもいい。その身を焦がす瞬間の中で永遠に生きていける気がした。だから病院を出て、夜明けの道をひたすら走った。治ることのない左膝が痛みだしても、足を引きずり、歯を食いしばって走った。だけど峠の家はあまりにも遠すぎた。道に倒れて修の名を呼んでいる時、彼女の横に車が停まった。
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