28
暗い部屋の隅で、薄っぺらな蒲団に潜り、鈴は声を殺して泣いていた。部屋の反対の隅で義祖母が寝息をたてている。亜紀はまだ帰ってこない。三毛猫のレナが今夜もグールグール、喉鳴らしで鈴を癒している。
「ねえ、レナ、あたし、どうしたらよかと?」
『にゃんでそんにゃに泣ゃくかにゃあ?」
暗がりに見開く瞳が問う。
「あたし、してはいけないこと、してしまったと。ああ、あたし、あの人とキスしてしまった。絶対やっちゃだめなのに、あたしの方から求めてしまった」
今もその興奮が胸を焼き焦がしているのに、涙が溢れて止まらない。
『初めてのチューだにゃ。にゃんにゃんしちゃって、よかにゃあ」
「からかわんでよ。あたし、殺人犯なんだよ。それもお義父さんを殺したとよ。それをあの人に打ち明けようとしたけど、どうしても言えんかった」
『半分、言いかけたのににゃあ』
「ちゃんと打ち明けて、ちゃんと別れを告げんといかんとに、ああ、どうしよう? もう、無理なの。もう別れられない。ねえ、レナ、あの人の言ったこと覚えとるね?」
『あたいは、聞いとらんにゃあ』
やさしい喉鳴らしが心に響いている。
「胸が苦しくなること、いっぱい、言ったとよ。あいつ、女たらしだから。でも、あたし以外に女たらしになったことはなかけん、とも言ったと。ほんと、女たらしよね?」
『女たらしにゃ。気いつけらっしゃい」
「こうも言ったわ・・一分でも、いや一秒でもいいから、りんと一緒にいたい、って」
『あたいも、ずっとりんと一緒にいたいにゃあ』
「おれを幸せにできる人は、この世に一人しかおらん、とも言ったと」
『その一人って、誰かにゃあ?』
「レナは誰だと思う?」
闇の瞳が見つめ合った。
『もしかして、あたいかにゃ?』
「それはたぶん、違うと思うよ」
『にゃんでにゃ?』
「だってレナは猫じゃない」
『そうかにゃあ?』
「あの人は、ヤクザに殺されかけた時、あたしのこと、こう言ったとよ・・たった一人の愛する人やけん。だから、りんを傷つけるやつは、たとえ神様であろうとおれが許さんけん・・そう言ったとよ」
『りんは、そん人を、よっぽど好きにゃんだにゃあ。そいつの言葉はにゃんでも覚えてるにゃ。あらあら、また泣ゃく』
鈴は身も声も震わせた。
「覚えてるわ。どうしようもなく忘れられんとよ。こんなに好きになる前に、早く別れんといかんかったとに、もう、心が痛いよう。痛いよう。ねえ、レナ、あの人、河原でこう言ったとよ・・デートしてくれんなら、おれはまた、筑後川に飛び込むけんって。変なこと言うでしょ? また飛び込むって、あいつ、いつ筑後川に飛び込んだとやろ?」
『いつかにゃあ? りんが知ってるじゃにゃかにゃ?」
「思い当たることはあるけど、あの人、冬にあたしを二回助けてくれた人じゃないって言ったし。あの時は、二回とも相手の顔をまともに見る余裕がなかったけど、あたし、その人とあの人が同じ人だって感じたこともあったとよ。でも、やっぱり違うよねえ」
『違うかにゃあ?』
「今度の日曜日、最後のデートをしたら、あたしもう、思い残すことなんてないわ」
今夜も鈴の胸にレナが爪をたてた。
『死んだらだめにゃ』
「死なないよ。あたしが死んだら、あの人、悲しむでしょ? あたし、誰も知らない遠くへ行くわ」
『そんにゃことして、そん人が永遠にりんを待ち続けたら、どうするにゃ?』
鈴は闇に身を縮めてしばらく考え込んだ。
そしてつぶやいた。
「やっぱり、あたし、死ぬわ。そうするしか道はないみたい。お義父さんを殺したとやけん、その罪と罰は自分で償うしかなか。家族に迷惑かけるけん、自首もできん。やっぱり、どう考えても、あたしが死ぬ以外に、罪を償う道はなか。でも、死ぬ前に、最後に、一生分の幸せなデートをさせて。ああ、神様、死んで罪を償いますので、どうか最後に、あの人と北山湖へドライブさせてください」
『死にゃにゃいで』
とレナが叫ぶ。
「湖畔の小径を、二人手を取り合って歩けたら、そんな幸せ他にないです」
『死にゃにゃいでよ』
「あたし、あの人のために、心を込めてお弁当作ります。そしてそれを一緒に食べれたら、そんな幸せ他にないです。そして、おいしいソフトクリームも二人で食べるとです」
『だめ、死にゃにゃいで』
「その日だけは、森の中でしゅうにだっこされても、あたし、叩きません。そしてボートで二人、湖へ漕ぎだせたら、そんな幸せ他にありません。それから、【希望の橋】を渡り、【幸福のトンネル】でキスできたら、もう死んでもいいです。ああ、だから神様お願いです。人殺しの罰として、あたしのこの命を捧げますから、どうか今度の日曜まで、あたしに生きる猶予をください。最後に、彼の言う『秘密』のことを、あたしにたちに体験させて、あたしを母の元へ連れて行ってください」
レナが蒲団から出て、涙味の頬を舐めた。
『秘密ってにゃんにゃ?』
しょっぱい顔してレナは聞く。
「秘密やけん言えんと、やって」
鈴も蒲団から出て、レナをトイレのために外へ出した。
玄関の外でレナは一度振り返って語りかけた。
『ずるかにゃあ。にゃんで秘密かにゃあ?』
闇へ歩く三毛猫を見送りながら鈴は言った。
「言えんけん秘密たい、てよ」
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