21

 久留米市の繁華街のビルの一階に、改装したばかりのキャバクラ『薔薇園』はあった。肩や胸間や太ももを露出させる派手な服を着せられただけで、鈴は泣きそうだった。一方、車中で泣きじゃくっていた亜紀は、その衣装や煌びやかなアクセサリー、綺麗な化粧という仮面をかぶると、舞台に立つ女優になった気がして胸を熱くしていた。

「では、りんさんとあきさん、どちらが男性たちに認められるか、どちらが女性として魅力があるのか、今夜だけ、勝負してください」

 と須田は言った。

 そう言えば、嫌がる亜紀も意地を見せると思ったのだ。その予想は的を射ていた。亜紀は鈴に異常なまでのライバル心を燃やしていたのだ。

 須田はこうも付け加えた。

「この商売ができんかったら、あきさんにはエンコウをしてもらうけん」


 亜紀の最初の客は、若手ビジネスマンタイプの四人組で、隣に座ったのは、スラリとした亜紀好みの男だった。ハイボールを飲むと、約束ごとのように肩を抱き、胸や腿に触ってきた。「ドスケベ」と心で罵倒しながらも、亜紀は華やかな笑顔の仮面で触らせておき、男の指が服の下に伸びてくると、巧みにあしらった。

「社長さん、わたしのそこは高いですよ」

「へーえ、いくらね?」

「一回、十万。前払いで」

 そう言って妖艶に笑った。それでも払う客であれば触らせるであろう自分を感じて、亜紀は心が震えた。

 接客初日から、亜紀は甘えた声と思わせ振りな話術、そして男心をくすぐるスキンシップで、客たちを魅了した。


 鈴の相手は、五十半ばの男で、白髪が目立ち、目が大きくて丸かった。

「原口さま、お久しぶりです。このこは今日が初めてのユーコ、可愛がってくださいね」

 とキャバ嬢のナオミが鈴を紹介した。

 原口という客が自分の肌もあらわの体をなめ回すように見るので、鈴は体じゅう赤くほてった。

「こ、こんにちは、あ、間違えた、こんばんは。あたしは、その、えーと、ユーコといいます。あ、あの、あたしで、ごめんなさい」

 動作もしどろもどろで鈴は原口の隣に座った。

 原口は鈴をじっと見つめた。

「あやまることなんてなかよ。ユーコちゃんは、わたしが昔、本当に愛した人によく似ている。顔も雰囲気も名前も似てるけん、どっきりしたよ」

 以前、家にテレビがあった頃に観たドラマと同じようなセリフを言うので、鈴の心は『この人、危険だ』と警戒警報を鳴らした。

 水割りを作っていたナオミが、カカシのように固まっている鈴の代わりに口をはさんだ。

「それは嬉しいねえ、ユーコ、このかたはMDゴムの重役なのよ。似てるといえば、けんじさんとユーコも、同じ目をして、お似合いだわあ」 

 ナオミは鈴が何か言うのを促したが、口をつぐんだままなので、原口にグラスを差し出しながら、

「けんじさん、ごめんなさいね。このこ、ウブだから」

 原口はウイスキーに口をつけながら鈴の腰を抱いた。

 鈴の全身に鳥肌が立った。警戒警報が最大レベルに跳ね上がった。

「いやあ、わたしはユーコが気に入ったよ」

 男の手が鈴の胸に触れた瞬間、鈴は我を忘れ、頬を引っ叩いていた。

 男が手にしたグラスが揺れ、ウイスキーが背広を濡らした。

「叩くけんね」

 と言った直後、鈴は失態に気づいて、自分の右手を咬んだ。

 鈴と亜紀の勝負は、たったの数分で決着したのだった。


 地下の事務所で、鈴は須田の前にひざまずいた。

「さっき、あなたは言いましたよね・・この商売ができなかったら、エンコウをやってもらうって」

 涙をこらえる目で須田を睨む。

「それは、あきさんに言ったとよ」

 と幹部用の椅子に座る須田は言った。

 鈴は膝で進んで須田にすがった。

「あたしがそれをやりますから、あきちゃんを解放してください」

「あんたは、お客にビンタしたとよ。あんたにはこの仕事は向かんとたい」

「だってえ、それはあのおじさんが、あたしの胸に触ったけん」

 鈴の腕に鳥肌がよみがえった。

 須田はあきれ顔で天井を見やった。

「それなのに、あんたはエンコウをすると?」

「何だってします。だからあきを・・」

「あんた、エンコウの仕事ば、知っとっとね?」

 鈴は首をかしげ、

「エンコウ、っていうなら、公園での仕事でしょう?」

「まあ、公園から始まる場合もあるけど」

「あたし、がんばるけん」

「やっぱり、あんたには向いとらん。あんたが百万稼ぐあいだに、あきさんは一億稼ぐとよ」

 立ち去ろうとする須田の足に、鈴はなおもすがりついた。

「あたし、そのエンコウをするとが夢だったとよ。ほんとよ。だから、あたしにさせて」

 須田は立ち止まって何やら考えていたが、ひざまずいたままの鈴の前にふいにしゃがみ込んで、悪魔の笑みを見せた。

「嘘じゃなかろうね? 今度は失敗せんやろうね?」

 どこまでも転げ落ちそうな危うい坂にいることを、彼女は知らなかった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る