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 六月初旬の土曜の午後五時過ぎ、峠の古屋に鈴が帰り着くと、黒のベンツが狭い坂を塞いでいた。

 白髪の須田とスキンヘッドの誠二が、部屋の中で待っていた。

 祖母の年金と鈴の収入からぎりぎりの生活費を引いて二十五万円、それが今の木下家が払える限度であり、それを鈴は差し出した。

「お約束通り、あきさんを連れて行きますよ」

 と、領収書を渡した後、何食わぬ顔で須田は言った。部屋の隅でそ知らぬふりしていた亜紀が、驚きの声を上げた。

「えっ? 何? 何のこと?」

 須田は亜紀に目を据え、やさしく言った。

「あきさん、あなたは華やかで、男性を惹きつける魅力がある。あなたはうちの店でナンバーワンになる才能があるとよ。そうなったら、高級車にも乗れるし、立派な家も建てれるよ。嘘じゃなか。今から、うちの店に来てみらんね? さあ、これは、わたしからのプレゼントだよ」

 亜紀は須田が差し出したスマホを受け取りはしたが、すぐに鈴の後ろに隠れた。

「そんな、嫌よ」

 鈴は須田を睨んで、

「ちゃんとお金、返しているじゃないですか」

 冷徹な笑顔で須田は返した。

「何度も説明してるだろう? あんたらが払っているのは、これまでの借金の利子なんだよ。約束は守ってもらわないと」

「あきはまだ高校生よ。あたしが行く。あたしが夜も働くけん」

「高校生と言っても、先月十八になったやろが。調べはついてるとよ。あんたらが秘密を守れば、退学にもならんし、高校も卒業できる。あきさんが望むなら、大学にも行かせてあげるよ」

「あたしが行くち言うよろが。ほら、あき、その携帯、あたしに渡さんね」

 亜紀はスマホをポケットに隠して首を振る。

 須田は鈴の顎に手を当てた。

「この世界には向き不向きってもんがあるとよ。あんたは、目が大きくて、胸もそこそこだ」

 須田の手が動いて鈴の胸を触った。

「あっ」

 鈴は男の頬に平手打ちを放ったが、須田はさっと避け、薄笑いしながら続けた。

「だけど、あんたは夜の世界で生きていくには、かんじんなものがない・・華やかさと、その裏に秘めたエロティシズム、その甘美な匂い・・あんたは見るからにかたぶつすぎるし、裏に秘めているのは悲しみばかり。そして何よりその足だよ。足を引きずって歩かれちゃ、店の雰囲気が一変しちまう。だけどあんたの後ろの、その娘は違う。多くの男を虜にできるその娘の才能を、あんたも知っているんじゃないね? 嘘や演技といった、あんたにはできんこともその娘にはできる。あんたらを長いこと観察してきたけん、わたしには分かるとよ。三年後、この世界で大金を手にして、あきさんはわたしに感謝することになるよ」

「あんた、ずっと前から、あきちゃんを狙っていたとやね?」

 鈴の問いかけに須田は背を向け、玄関へ歩きながら連れの大男にささやいた。

「せいじ、あきさんをお連れしろ」

 誠二は鈴に近づくと、片手で彼女を払い飛ばし、亜紀の腕をつかんだ。亜紀は悲鳴をあげて逃げようとするが、男の力は巨大な機械のよう。

 景子お婆ちゃんが大きな足にすがりついて訴えかける。

「あきば連れて行くなら、わたしば殺せ。わたしば・・」

 蹴り飛ばされた老婆が畳に転がった。

「お婆ちゃん」

 と二人の娘が叫んだ。

 鈴が介抱しようとすると、義祖母は気狂いの声を絞り出す。

「わたしはよかけん、あきば、あきば・・」

 玄関から引っ張り出された義妹を、鈴は裸足で追いかけた。車に乗り込もうとする須田の腕にしがみついて叫んだ。

「試してみないと分からんでしょう? あたしとあきと、どっちができるか、試してみんと分からないわ」











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