19
翌朝、夜明け間近の五時十分に峠の古屋に修が着いた時、鈴はすでに家の前の坂を下りていた。
その次の日、織姫星と彦星が時空を超えて見つめ合う五時前に着くよう迎えに行った。峠の途中の闇の中に転ぶ鈴を見つけ、車に乗せた。
「誘拐犯」
と鈴は呼んだ。
「女たらし」
とも非難した。
「誘拐犯だよ」
と修は答えた。
「女たらしやけん」
とも言った。
「だけど、おれの人生で、りんにだけやけん」
「気持ち悪かあ。ほんとよ」
鈴は切ない目でまだ暗い樹林を見ていた。
水天宮から梅林寺までの早朝の河原を、青が輝きだす大河を眺めながら、いつしか二人は手を取り合って行き来していた。レナ以外には無口な鈴も、この朝のひと時だけはおしゃべりがが絶えなくなった。初めは修から逃げていた鈴も、水鳥たちと顔見知りになった頃には、このひと時に唯一の幸せを感じるようになっていたのだ。そして修も、鈴に夢中になっていった。鈴にだけは、彼の心の本当を言えた。
塾の授業が休みの水曜と日曜には、修は夕方も弁当屋から峠の家まで鈴を送り届けた。スーパーマーケットで食材を買い、狭い台所で二人で夕食を作ろうとすると、料理好きの亜紀が鈴を押しのけた。亜紀と修が作った夕食を、景子お婆ちゃんを入れて四人で食べた。古屋の中では、鈴は無口になり、亜紀が修にあれこれ話しかけた。そしてペットに接するみたいに嬉しそうに修に触れた。
ある日、修が油断した時、亜紀の悪戯な唇が彼の頬をチュッと盗んだこともあった。
トイレから出てそれを目撃した鈴が、右足で古畳をドスドス踏み近づいて、座っている修の頬をいきなりビンタした。
「叩くけんね」
両手を腰に当て、目から炎を噴いて修を睨みつける。
「えー?」
「女子高生にチューされて、何ニヤついてると?」
「これがニヤついてる顔に見えると?」
頬を押さえ涙目で無実を訴える修の肩を、亜紀が両腕で抱いて強奪した。
「ちょっと、この暴力女、わたしのしゅうに何すると?」
と亜紀は義姉に刃を向ける。義姉妹の間にまたもバチバチ火花が散った。
「一つだけ言うけどね、この人はあたしのお客さんなのよ。それに、あきのことなんて、この人は好きじゃないけん」
唇を震わせて言う鈴の言葉を、亜紀は一刀両断、
「あんた、いつもしゅうのこと、好かん好かんって言ってるじゃない。わたしがしゅうをこんなに好きやけん、しゅうもわたしのこと、好きになるわ・・」
と言うと、修の耳に唇を寄せ、甘えた声で、
「ねえ、しゅう、今度わたしを遊びに連れて行って。わたし、しゅうとなら、キス魔になれるわ」
亜紀の唇が修の右耳にキスする直前、頬を撃つ乾いた音が部屋に響いた。
「あんた、何デレデレしてるのよ?」
と涙目で修を睨みながら鈴が叫んだ。
修は悲鳴を発する左頬を押さえ、鈴に負けない涙目で無実を訴えた。
「これがデレデレしてる顔に見えると?」
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