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 こんな大声で泣いたのは初めてだった。泣く以外、雪崩のように襲い来る狂気から逃れる術はなかった。冷たくなっていく父の傍らで、亜紀は泣き叫び続けた。

「わたしじゃなかあ。そうよ、わたしが刺さんでも、りんが灰皿で殴ったけん、お父さんは死んだとよ。悪かとは、りんやけん」

 古畳に広がる生血が、彼女の膝に染み入った。電話が数回鳴ったが、出ることはできなかった。二時間も過ぎると、泣き疲れて眠りそうになった。だけどはっと気づいて、うつ伏せの遺体を裏返した。父の顔は、痛みや死の恐怖よりも、悲しみにゆがんでいるように見えた。胸の包丁は、思った以上に奥深くめり込んでいた。引き抜こうと差し出した手がぶるぶる震えだした。何度も試みたが、どうしても触れることができない。亜紀の奥底から溢れ出すものは、涙や鼻水だけではなく、胃の中のものも父の横に嘔吐していた。

「わたしじゃなか。悪いとは、この男と、りんだ」

 そう譫言のようにもらしながら、両足を持って、死体を引きずった。

「ちくしょう、このデブがあ、死んでからもわたしを苦しめやがって」

 ひいひい息を切らせながら玄関から引きずり出し、暗い地面を引きずり続けた。やっと裏の畑に着くと、亜紀はまたぶるぶる震えだしてうずくまった。幼い頃からの父との思い出が幾つも幾つも、彼女を呑み込んで揺さぶっていた。だけど半時も経つとふいに立ち上がり、古屋の横からシャベルを持って来て畑を掘り始めた。凍える北風の中でも、全身からウジが這い出すような気味悪い汗にまみれていた。深い穴を掘る気力はなかった。父が入る深さまで掘ると、足を持って、死体を闇の穴に引きずり入れた。もう一度シャベルを手にした時、誰かの足音が聞こえた。恐怖に縛られて身動きできず、ただ闇へ目を凝らしていた。

 人影が間近に迫っていた。

「誰ね?」

 しゃがれ声が問う。景子お婆ちゃんの声だ。

 がたがた震えていた亜紀は、胸が痛すぎて言葉が出ない。

「あき、ね?」

 老婆はすぐ近くまで寄って、闇にまぎれた顔を確かめようとする。

「あきやろ? 何で黙っとると? ここで何ばしよる? そうすけはおると? そうすけがいっちょん迎えに来んけん、何度も電話してもらったとぞ。ばってん、誰も出んし、しょんなかけん、歩いて帰って来たとばい。おや?」

 亜紀が泣きだしたので、老婆は驚きの声をあげた。亜紀の泣き声は闇を裂くように大きくなっていった。とうとう亜紀は膝から崩れ、畑に這いつくばって嗚咽した。

「どがんしたあ? あき、あき」

 祖母もしゃがみ込んで、ひいひい泣きながら土を指さす亜紀の背に手を触れた。

「えっ? 泣いてちゃ、分からんばい。どがんし・・」

 老婆は闇に目を見開いて絶句した。目の前の土の暗黒に、もう一つ、顔があったのだ。













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