8

「何てことしたとお」

 と亜紀は泣き叫んだ。

 宗助は立ち上がって、箪笥からタオルを出し、それで後頭部を押さえた。

「ゆりこは死んだとばい。りんと一緒になってもよかろうもん」

 と言い訳する開き直った父を見て、亜紀の頭に血が昇った。

「あんな女と結婚して、死んだらその娘に手を出だすなんて、あんた、畜生以下じゃない」

「好きなんやけん、しょんなかろう?」

「好きって、あんた、誰のこと、言うよっと?」

「りんたい」

 父を睨む亜紀の目が嫌悪で尖った。

「りんって? あんたみたいな恥知らずが、何で生きとっと? ケダモノ、ケダモノ」

 宗吉は貧血で目の前が暗くなり、ふらついて弁当が置いてある炬燵の上に座り込んだ。

「それより、早よ救急車ばよんでくれんね。血が止まらんごたるけん」

 怒りの血が頭で煮えたぎる亜紀は、ぷるぷる震えたままで電話を取ろうとしない。

「あんたも、太田さんみたいに死ねばよかあ。わたしのほんとのお母さんが死んだのだって、あんたのせいじゃなかね。その上、借金だっていっぱい作りやがって。クラスで携帯持ってないの、わたしだけなんだよ。わたしの人生、あんたのせいで、めちゃくちゃじゃんかあ」

「何かあ? 誰のおかげで今まで生活できたと思とるとかあ?」

 宗吉も逆ギレして拳で娘の頭を殴ると、自分で電話機へと歩いた。受話器を取ってボタンを押しかけた父に、逆上した亜紀が飛びかかった。

「あんたに出す治療費なんてなかとやけん。クソジジイが、また借金を増やすつもりかあ?」

「せからしかあ」

 受話器を握った宗吉の右手が、今度は亜紀の顔面を殴った。流しに飛ばされた亜紀の頭で沸騰する血は、彼女の正気を奪い、その体を狂乱させた。亜紀は目の前の、流しの上にあった包丁を手に取ると、「おまえがせからしかったい」と叫びながら、父に突進していた。振り向いた胸に刃先が入り、驚いた父は「あっ」と発しながら、腰を引いて足を滑らせた。その足が亜紀の足を絡むように蹴った。ドスンと仰向けに倒れる父の上に、凶器を握りしめた亜紀も倒れ込んでいた。胸部に痛烈な衝撃を覚えて、亜紀は「うっ」と呻いていた。見ると、包丁の柄尻が彼女の胸の中央に突き当たっている。

「ひっ」

 と短く叫び、亜紀は父から離れた。

 倒れたままの亜紀の横で、宗助がふらふら立ちあがった。

 宗助は呻き声をもらしながら、自分の胸に刺さった包丁を見つめた。凶器の刃が、肋骨の間にきれいに食い込んでいる。経験したことなない劇痛に頬がゆがむ。もう一度受話器を手に取ったが、ボタンを押すのを途中でやめてしまった。

 もう自分の命が助からないということを直観したのだ。もう宗助の人生に残された時間は、ほんの数秒しかなかった。最後の奇跡を希求して、震える手を差し伸べた。だけど娘は倒壊したまま、その手を取ろうとしない。

「あ、あき」

 それが宗助の最期の言葉だった。目の前が真っ暗になった後、膝から崩れ落ち、娘の横にうつ伏せに倒れた。体の重みで凶器はさらに急所深く食い込んでしまい、体がぴくぴく震えた後、宗助は動かなくなった。

「あっ? あれっ? お、お父さん? ね、ねえ、どしたと?」

 亜紀はぶるぶる震えながら、父へと這い、無言の背中にしがみついた。しばらくして泣き声が奔出した。亜紀が真っ二つに裂けて、そこから噴き出すような泣き声だ。

「ああ、誰がこんなことしたとお? お父さん、ねえ、誰がこんなことしたとお? ねえ、わたしじゃなかよねえ? あああ、わたしじゃなかと言ってよお」













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