第36話 父親になるという事は

 次の日。


 俺達は一旦帰る事にした。

 元々一泊の予定だったから、爺さんもそれ以上は引き止めなかった。

 ただ、あおいさんに出来れば一緒に暮らしたいと話していて、あおいさんは「考えておきます」とだけ返した。


 帰り際、あの冷たく当たる伯母がいなかったのは、とても良かった。


 と思っていたら、まさか、先回りして、駅で待ち伏せしているとは。


「伯母様、昨日今日はありがとうございました」


 頭を下げるあおいさんに、伯母は相変わらず返事をせず、ただ怒っていた。


「もう西園寺家には関わらないで欲しいわ」

「…………それは保証できません」

「っ!? 貴方ね! 遺産は必要ないって――」

「遺産はいりません」

「っ!?」

「遺産が欲しいなら、全部どうぞ、もしお爺さんが私と澪に残した場合、私が全て伯母様にお返ししますので、ご心配しなくて大丈夫です」



「…………あ、あんたみたいなどこの骨の馬かも分からない父を持つ子なんて、いらないのよ!」



 そう叫んだ彼女は、やってしまったと言わんばかりに自分に驚いていた。

 すぐに訂正しようとした時、


「はい。私は父親が誰かはわかりません。ですが、お母さんから貰った愛情は確かなモノでした。だから、それだけで十分です。お父さんについては、澪のお父さんでもある、お父さんがいますから」

「っ! あ、貴方は父親がいないあの子を育てる気なの!?」

「はい。お母さんとお父さんから貰った愛情なら私の中に沢山あります。これからみおにそれを注ぎます。もうみおは私の娘ですから」


 そう言い放ったあおいさんは、少し怒って先に新幹線の中に入って行った。

 俺も向かう前に、彼女の前に立つ。


「な、なんなのよ! 血も繋ながっていない人をお父さんって!」

「…………可哀そうですね」

「は?」

「貴方は『血』が繋がっていなければ、家族ではないと言いたいのですよね?」

「そ、そうでしょう! だって!」



「俺はみおちゃんの父親になりたい。もうみおちゃんは自分の可愛い娘のように思っています。まだみおちゃんの父親になれる資格はありませんが、みおちゃんの本当の父親があおいさんにしてくれたように、俺もみおちゃんの父親になりたいと思っています。俺とみおちゃんには血は全く繋がっていません。ですが、俺達の間には、確かな絆があります。だから、俺は『血』など関係ないと思います。だから――――貴方は可哀そうだと思います」



 俺はそう言い残し、崩れる彼女を後にした。






 自分を通り過ぎた二人の男女を、舞香は昔の自分と妹と重ねる。


「お姉ちゃん……私、この子を産みたいの」

「だ、駄目よ!」

「この子は生きているのよ? 旦那はいないけど……それでも私が旦那の分まで愛するわ。だからお姉ちゃんにも応援してほしいの!」

「そ、そんな…………茉莉……どうして旦那を教えてくれないの?」

「それは…………」

「私が何とかするから、お父様にも協力を仰ぐわ。その旦那にだってちゃんと責任はあるのよ?」

「…………お姉ちゃん。私一人で頑張るから……」

「駄目よ! 茉莉? いい? その子は――――――」


 最後に交わした最愛の妹との会話が思い浮かんだ。

 ずっと後悔してきた人生だった。

 あの時……どうして自分は応援してあげれなかったのだろう。


 その怒りは、最愛の妹の腹の中にいた子供に向けられた。


 あの子がいたから、茉莉は……自分の手を離れてしまったと、ずっと思っていた。

 いざ、その娘を目の前にすると、その気持ちが再度湧き上がった。


 でも……本当はそうじゃなかった。

 ずっと――――――






「ごめんなさい……茉莉……ごめんなさい…………応援してあげれなくて、ちゃんと力になれなくて、ごめんなさい…………」


 駅には舞香の悲しそうな謝る声が響き渡った。

 そして、舞香はさっきまでの自分の過ちに気づいた。




 ◇




 きゃっきゃー!


 みおちゃんが興奮が収まらないようで、はしゃいでいる。

 下ろしてと言わんばかりに手足をぶんぶん振り回す。


「ふふっ、みおは元気ですね~」

「だね」

「最近、パパ・・にあまり抱っこして貰ってないですからね~」

「…………?」


 俺の頭の中にはてなマークを数十個飛ぶ。

 パパ? 誰?

 疑問を思いながら、あおいさんに聞いてみようとすると、あおいさんが少し顔を赤らめていた。


「だって…………そうたくん、みおのお父さんになってくれるんでしょう?」


 あおいさんは一体何を言っているん……だ?


「…………そうたくん、先の言葉は嘘だったの?」


 先の言葉…………?

 自分の頭の中にある記憶を掘り返す。


 ――――「俺はみおちゃんの父親になりたい。もうみおちゃんは自分の可愛い娘のように思っています」

 ――――「俺はみおちゃんの父親になりたい。もうみおちゃんは自分の可愛い娘のように思っています」

 ――――「俺はみおちゃんの父親になりたい。もうみおちゃんは自分の可愛い娘のように思っています」


 俺の耳に流れる自分の言葉。

 聞こえるはずもない自分の言葉。


 ああああああ!

 い、言ったよ!

 何と言うか、爺さんと色々あったから、無我夢中でそう言ってしまったよ!


「あ、あおいさん!」

「は、はい!」

「そ、そ、そ、その…………へ、変な事言ってごめん!」

「…………」


 ものすごく残念そうな表情を見せるあおいさん。


「変な事なんだ…………」

「え、えっ!? そ、そ、そ、その、あれは、なんだ、あれは、その! 本心というか、心の底から思った言葉が出てしまって!」

「えっ、本心……なの?」

「えええええ! う、うん! そ、そ、そ、そうなんだよ!」


 隣の席の人から「静かにして頂けますか?」と怒られた。

 その隣で一緒にあおいさんが謝ってくれたけど、その日の事は駅に着くまで、何も覚えていない。




 ◇




「ねえ、そうたくん」

「は、はいっ!」

「ふふふっ、食べたいモノある?」

「はい! グラタンがいいです!」

「えっ? 珍しくちゃんと答えた!?」

「は、はいっ!」

「そうたくん? 歩いている足と手が同じ方向で上がってるよ?」

「は、はいっ!」

「ふふふっ」




 ◇




 気付けば、俺はあおいさんの家にいて、良く分からないまま、みおちゃんと遊んでいて、美味しそうな匂いを感じる。


「はーい、そうたくんの大好きなあおいちゃん特製のグラタンですよ~」


 ――――「そうたくんの大好きなあおいちゃん」

 ――――「そうたくんの大好きなあおいちゃん」

 ――――「そうたくんの大好きなあおいちゃん」


 ああああああああ!


「そうたくん!? あ、熱いからね!? ほら、ふ~してあげるから!」


 ああああああああ!


「ふふふっ、そんなに美味しそうに食べてくれてありがとう~」


 ああああああああ!


 気付けば、また風呂で溺れかけた。




 ◇




 そうたくんがみおの父親になりたいと言い放ってくれたのが聞こえた。

 どうしてだろう……私の胸は止まる事なく、そうたくんに聞こえないか心配になるくらいだ。


 帰り道、新幹線の中で、それとなく聞いて見たら、最初は違うと言っていたけど、本心だと言ってくれた。

 本当に嬉しくて……こんなに嬉しいのは久しぶりかも知れない。


 それからそうたくんはずっと上の空で、食べたいモノを聞いたら、まさかちゃんと答えてくれるなんて……それにしても、そうたくんってグラタンが余程好きなのかな?

 すっかり冬の中、外は寒いのでグラタンがとても美味しい季節だから、これから沢山作ってあげなきゃ。


「そうたくん。いつもありがとう。メリークリスマス」


 私は、目の焦点が合っていないそうたくんの、頬に初めての――――――

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