第32話 ミュージカルと接触
季節は11月にも入り、俺とあおいさんは今まで以上に仲良くなっている。
本日は、学校の行事で二年生だけミュージカル鑑賞会の為に、多くの学生で学校近くの会館に集まっている。
俺はというと、あおいさんとゆみちゃんと三人で青山先生に捕まって、身動きが取れない状態だ。
何故かって、俺が修学旅行から逃げたのが原因で、今度は逃げないように担任の青山先生が見張っているのだ。
いや、あおいさんがいるなら逃げないから……。
「それにしても、うちの学校ってミュージカルなんて見せてくれるの不思議よね」
「なんでも、校長先生の意向らしい。校長先生が変わるとなくなるって残念がる先生がいたな」
「へぇー!」
一年生の時に、そんな事を言っていた先生達の言葉を耳に挟んでいた。
会館の前には『レ・ミゼラブル』というタイトルの看板があり、主要キャラクターと思われる劇団員の写真が載っているポスターが一緒に存在感を放っていた。
確か、フランス革命を題材にした作品だと、事前に青山先生から聞いている。
演劇が始まり、ステージだけが照らされる。
主人公がパンを一つ盗んだだけで、酷い罰を受けるが、盗みはよくないよねという感情と、あまりにも重すぎる罪はどうなのだろうと、俺の中で葛藤が始まる。
そんな気持ちなど裏腹に、ストーリーはどんどん先に進む。
主人公や義娘との絆がとても繊細に描かれている。
何となく……何となくだけど、主人公を自分に、義娘をみおちゃんに置き返ってしまう。
もし自分が主人公の立場ならどうするのだろうか。
今なら、間違いなくみおちゃんの父親になりたいと願うだろう。
みおちゃんが恋しいな。
演劇が終わり、ダルそうにしているクラスメイトの中に、あおいさんは目を輝かせていた。
どうやら面白かったようで、興奮しているのが伝わってくる。
言葉には出さなくても、お互いの顔色だけで分かるほどには、あおいさんと一緒に過ごした時間も長くなったな。
ミュージカル鑑賞会の日は、鑑賞会が終わったらそのまま解散という流れになる。
クラスメイト達はここからが本番と言わんばかりに、それぞれ仲良いグループで、どこかに消えて行った。
珍しくゆみちゃんも、友人二人と一緒にカラオケに行くらしい。
久しぶりに俺とあおいさん二人だけの帰り道になった。
「そうたくん! ミュージカルって凄く面白いんだね!」
「俺もそう思ったよ。歌も上手いし、台詞一つ一つ聞き取りやすくて、音楽も良くてついつい見入ってしまったかな」
「うんうん!」
未だ熱が冷めないようで、あおいさんがハイテンションで演劇の内容のあれよこれよと話し続ける。
俺も楽しめたので、夢中で話しながら気づけば保育園の前にやってきた。
「行ってくるね~」
「いってらっしゃい」
あおいさんを見送って、数十秒待つ。
この時間帯は、迎えが殆ど来ない時間帯なので、出てくるのが早い。
保育園は大体6時前後がとても混むらしい。
帰って来たみおちゃんを、真っ先にぎゅーっと抱きしめる。
みおちゃんも嬉しそうに声をあげてくれる。
やっぱり、うちの
――と。とんでもない事が頭に浮かんだ。
◇
11月も終わり、12月がやってきた。
12月ともなると、さすがに毎日が肌寒い日が続き、暖かい日が殆どない。
みおちゃんは可愛らしいもこもこの服を着るようになっている。
これがまた可愛らしくて、本人もまんざらでもない笑みを浮かべるのだ。
12月上旬。
我々学生の最後の強敵、後期の期末テストが待ち構えている。
四人娘は相も変わらず、あおいさんの家で一緒に勉強を始めて、俺は紅茶淹れ係を続ける。
みおちゃんが眠っている時は、みんなの勉強を見てあげたりするけど、基本的に俺よりみんなの方が点数は高いはずなんだが……。
あ、ゆみちゃんだけ別ね。
勉強会も数日続き、期末テストの日がやってきて、クラスメイト達のうなだれる声を聞いているうちに、気づけば期末テストも終わりを迎えた。
俺は相変わらず、全教科60点を目指して、のらりくらりやっている。
念のために言っておくと、ちゃんと『保育士』の勉強もちゃんと続けている。
期末テストが終わると、我々学生は試験という拘束から自由になる。
ゆみちゃん達も、歓喜をあげていたくらいだ。
あとは冬休みまで少ない時間をダラダラ過ごすのが、この時期である。
そんなある日の事。
今日のゆみちゃんは遊びに行っているので、俺とあおいさんでみおちゃんを迎えに来た。
みおちゃんを連れ、買い物も終え、アパートに戻ると、アパートの前に黒い紳士服を着ている背の高い男性が一人立っていた。
普段あまり目にしない光景に、俺達にはそれだけで違和感を感じてしまう。
その時。
その男性は俺達に小さく会釈して、近づいて来た。
「葵様ですね?」
彼の口から出た言葉から、まさかあおいさんの名前が出るとは思っておらず、驚いてしまったが、当の本人は何か納得したように、気丈に答える。
「はい。私が葵ですが、どちら様でしょうか?」
「急な訪問大変失礼致します。お母様の件でお話があるのですが、少々時間を頂けないでしょうか?」
一瞬、彼の目線が俺に向く。
「彼と一緒でもいいなら、良いですよ」
「…………家庭の件になりますが、よろしいですか?」
「はい。問題ありません。そうたくん、大丈夫?」
「俺は大丈夫だよ。寧ろあおいさんを知らない男に一人っきりにするよりはマシだよ」
小さく笑みを浮かべたあおいさんが頷いて返してくれる。
「かしこまりました。ではどこかに移動しましょうか」
男性に誘われて、近くのカフェに入る。
いつも歩いている道の脇にあるカフェ。
入るのは初めてだ。
中はとても落ち着いた雰囲気で、優しい珈琲の香りに店内が満たされていた。
マスターと思われる方に席を案内され、男性が珈琲を、俺とあおいさんはオレンジジュースを頼んだ。
飲み物が来て、ようやく男性は口を開いた。
「自己紹介が遅くなり申し訳ございません。わたくしは、
西園寺家の…………執事!?
この現代の日本に、執事なんているんだ!?
「母からその
「そうでございましたか。それなら話が早くて助かります」
どうやらあおいさんは、その名を知っているそうだ。
その時、おぼろげに、彼女の母親が残したとされている手紙に書かれていた『実家』という言葉を思い出す。
もしかして、実家の名前なのかも知れない。
「葵お嬢様。貴方様のお爺上のご当主様がお会いしたいとの事でございます」
執事さんは、一枚の紙を前に出す。
そこには連絡先が書いてあった。
「わたくしの連絡先になります。まもなく冬休みに入るでしょう。その時に一度お越しいただきたく思います。良い返事をお待ちしております」
「…………その紙は受け取っておきます」
「ありがとうございます」
執事さんは頭を深く下げる。
強制的に連れ戻すとか、拉致していくとかではなく、あくまであおいさんに選択権を渡しているのに、好感が持てる。
「旅費などはこちらで準備しておりますので、その時にお渡し致します。それと、これもぜひ受け取って頂きたいのですが」
そう話す執事さんが、少し分厚い封筒を前に出す。
何となく中が少し透けて、中身が見える。
「それは結構です。私達の生活は十分間に合っていますので」
「……そうでございましたか、大変失礼致しました」
決して無理強いはしないね。
それにしても、あれほどの大金を簡単に出して、執事を雇っているってことは、あおいさんの実家は大お金持ちに見える。
「お爺さんに会うか会わないかは、少し考えさせてください」
彼女は少しだけ怒った声で、そう言い残し、俺達はカフェを後にした。
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