第12話 体育祭

 梅雨入り直前。


 遂にその日がやってきた。


「ん~、暑いね~」


 グラウンドを眺めている隣のあおいさんが、自分たちを照らす日差しを手で隠しながら呟いた。

 まだ夏本番ではないけど、すっかり日中の日差しでは暑さを感じるくらいにはなっている。


 そして、本日は。



 パーン!



 火薬銃の音がして、レーンに立っていた選手が一斉に走り始めた。


 本日は、全く興味のない、『体育祭』である。

 周りからはそれぞれのクラスの走者を応援する声が響く。

 中には「〇組頑張れ!」なんて言う人もいるけど、名前よりは聞こえやすい気がする。


 普段からこういう応援というか、ノリというか、雰囲気が苦手なので、応援とかはしない。

 でも、今年は隣で一緒に眺めているあおいさんが一所懸命に応援していて、俺も少し応援したくなる気持ちが湧き出た気がした。

 男子の競走が終わり、今度は女子の競走の番になった。

 Cクラス女子の代表は――――なんと、ゆみさんだった。


 そんなゆみさんは俺達に向かって手を振る。

 自信にあふれたその表情が、どこか羨ましく思える。


「ゆみ~! がんばって~!」


 隣にいるあおいさんが声をあげる。

 他にも応援している人は沢山いるけど、ゆみさんはこちらを見つめていた。

 最近は仲良しだからね。

 そんな彼女を応援したくなり、俺も手をあげた。


「がんばれ~!」


 自分の精一杯の応援。

 たった一言、「がんばれ」という言葉を大声で出すのには、大きな勇気が必要だった。

 でも彼女を応援したいという気持ちが、そんな恥ずかしさ・・・・・をも超えてしまった。

 俺の声が聞こえたかは定かではないけど、ゆみさんは両手をあげて手を振ってくれた。


「多分聞こえたと思うよ?」

「そ、そうかな? こういうの初めてだからよくわからないや……」

「ふふっ、私は中学生の頃はよく応援してくださいって言われてたから、こうして応援していたよ~」


 ほぉ……彼女の意外な過去を知ることができた。


 こほん。

 いや、今はそんな事などどうでもいい。

 今は走者の応援が先だ。



 パーン!



 始まりを知らせる火薬銃の音が響いた。

 走者が一斉に走り始める。

 そんな中、一際早くスタートを決めたのは、想像だにしなかったゆみさんだった。


 というか!

 ゆみさんって足めちゃくちゃ速くない!?

 何なら、俺より早い気がするよ?


 二位との圧倒的な差でゴールしたゆみさんは、満面の笑顔でクラスに向かって手を振った。

 天真爛漫な笑顔が素敵だなと思える瞬間だった。

 そんな時、彼女の「もしも――――――私がそうたを好きだと言ったら、付き合ってくれる?」と、からかわれた日の事を思い出して、少し顔が熱くなるのを感じる。


 ゆみさんはクラスメイト達から祝福されて、笑顔だった。

 そして、最後にこちらを見て、満面の笑顔でピースサインを見せてくれた。




 次から次へと各学年の体育祭の種目が終わり、アナウンスで俺の出番を知らせる声が響き渡った。


「そうたの出番ね! 頑張って!」

「そうたくん、頑張れ!」


 二人の女子からエールを貰った俺は、本日の出番である『玉入れ』の時がきた。




 グラウンドに出ると今回一緒に出場する男子三人と女子四人が待っていた。

 声を交わすわけもなく、俺は彼らから離れ過ぎず、近すぎない距離で始まるまでの間、孤独と戦っていた。


 はあ……本当にこういうの苦手なんだよな。


 苦手というよりは、やったことがないから、自ら他人を拒否しているからこそ、分からないという感覚が大きいのかも知れないね。



 ピーーッ!



 開始のホイッスルが鳴った。

 俺達は地面に落ちている小さな玉を拾い、高くそびえる高台の籠にめがけて玉を投げ始めた。


 グラウンドの雰囲気に圧倒されながら、自分で出来る事をと思いつつも、頑張る必要はあるのだろうかという気持ちで、全力を出さず、のらりくらりと玉を拾っては緩く投げていた。


 その時。




「そうた!!! もっと本気で頑張れ!!!」




 俺の耳に届く声。

 そこには仁王立ちして、少し怒っているゆみさんと、同じポーズのあおいさんが見えた。


 あ……そうか……。

 ちゃんと俺を応援してくれている人……。

 いたんだ…………。


 自分の頬を叩いて気合を入れる。

 母さんが今の俺を見たら、どう思うだろうか。

 折角産んだ自分の息子がやる気のない姿で、ただこの時間よ終われ~と祈っているだけの息子だと知ったら、きっと悲しむに違いないだろう。


 ――――だから、これから本気で頑張ろう。遅い事なんてないはずだ。これから頑張ればきっと俺も変われるかも知れない。


 それから俺は全力で玉を拾い投げ続けた。

 クラスメイトの一人が玉を左手で大量に抱えているのが見えたので、俺も左手にいっぱいの玉を抱え込んだ。

 それから右手で二つずつ籠に向かって投げる。

 意外にも投げた玉は確実に籠に入っていた。

 夢中になって続けていると、またホイッスルの音がして、俺の短い出番は終わりを迎えた。


 何だろう。この気持ち。

 最初の三十秒ほど無駄な時間を過ごした。

 それが今になって悔しいと思えて仕方がない。


 その時。

 俺の背中を叩く感覚が伝わった。


「一条! やるじゃねぇか! お前、めちゃくちゃ正確に投げれるし、体力もあるな? 俺とかもう腕パンパンだよ~ははは」


 それを聞いた他のクラスメイト達も「俺も~」「私も~」と同意していた。


「あはは……自分でもこんなに出来るとは思わなかったんだけどね……」

「まじかよ! 隠れた才能かも知れないぜ?」


 あはは……玉入れる才能はいらないかな~。


 でも、クラスメイト達と一緒に笑いながら帰る短い時間は、今まで感じた事ないくらい、幸せな気分だった。


「おかえり! そうた、めちゃくちゃ凄かったぞ!?」

「おかえり~! そうたくん、凄かったよ!」


 二人が出迎えてくれる。

 本当に役得だね。


「ただいま。最初からちゃんとやったらよかったよ。ちょっと後悔……」

「いいんじゃねぇの? 去年とかテキトーにしてたイメージしかないし、でもこれで来年は最初から頑張れるじゃん」

「そうだな。これも全部ゆみさんのおかげだよ。ありがとう」

「へ? あたし?」


 驚くゆみさんがちょっと可愛い。


「ゆみさんの応援が聞こえなかったら、多分頑張れてないから」

「そ、そ、そ、そっか! ま、まあ、クラスメイトだからな! 応援くらいするさ!」

「そうだな。午後もまた応援してくれよ?」

「も、も、も、もちろん! いくらでも応援してやるよ!」


 ゆみさんは何故アタフタしているのだ?

 よくわからないけど、悪い気はしなかった。




 午前中が終わり、食事を終えて、今度は男子全員参加する『綱引き』に出場した。


 意外にも担任の青山先生はものすごい本気で、綱引きについて色々指導してくれる。

 去年もそうだったけど、青山先生って綱引きに何か思入れでもあるのだろうか?


「おう、一条。意外とやる気出してるじゃん」


 先の玉入れの時にも声を掛けてくれた木船くんだ。


「ああ、頑張るだけ頑張るよ」

「いいじゃん。最近女子と仲良いのが理由か?」

「……反論は出来ないな」

「いいじゃん~いい男っぷりを見せつけてやらねぇとな」


 まあ、それもまた男としてのさがというモノだ。




 パーン!




 火薬銃の音が響き、グラウンドの至る所で綱引きが始まった。

 二年生Cクラスのうちも、大きな掛け声と共に懸命に引っ張り続ける。

 そして、気が付けば、俺達は決勝戦に挑む事になった。


「いいか! あと一試合で終わりだ! 相手だって疲れている! ここが正念場だ! 頑張りすぎるってことはない、ただいつもの全力を出せば大丈夫だ!」


 青山先生……ちょっと言ってる事が理解できないです。

 まあ、でも悪い気はしない。

 俺達はクラスの女子達の黄色い声援の中、決勝戦に挑んだ。


 開幕と同時に相手が守りの体勢を取る。

 しかし、うちのクラスは全力で引っ張ろうとしている。

 ……これは恐らく相手の作戦だ。

 試合が開始されたら、先生の指示は違反行為となる。

 誰か……クラスに指示を出さないとマズイ……。


 誰か…………。






「相手が守りに入ってる! こちらの体力を減らすつもりだ!」





 誰かを待ってたら、負けるかも知れない!

 だから、気づけば俺は声をあげていた。

 それを聞いたクラスメイトの引っ張る力が弱まる。



「そろそろ相手が全力を出してくる! 俺達は倒れ込む体勢を取って耐えよう!!」



 言ってすぐに、相手のフォームが変わった事が見えた。

 しかし、俺達もフォームを変える。

 相手が引っ張る前に、全員が四十五度くらいに寝そべるくらい引っ張りながら耐える。

 相手に力強い引っ張りが思いのほか、耐えるのがしんどい。


「あとちょっと! 向こうだって疲れてる!!」


「「「「おう!!!」」」」


 俺の言葉にみんなが答えてくれる。

 だから俺達は引っ張られない。そのまま耐え続けた。

 少しして、引っ張る力が弱まった事を感じた。




「いまだ!!!」




 俺の声に合わせて、全員が姿勢を正して、綱を思いっきり引っ張る。


「「「「え! い! え! い!」」」」


 青山先生に教わった不思議な掛け声と共に、一心不乱に引っ張った。


 そして、俺達は優勝した。

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