第10話 好き

 週明けの学校。


「なあ、そうた」


 親しげに声をかけてくる鈴木さん。


「ん? どうしたの?」

「えっとさ。またあおいんちで赤ちゃんの世話させてくれる?」

「ん? それは俺が決める事じゃないと思うけどな……」


 何故か俺に聞いて来る鈴木さん。

 みおちゃんの世話は俺じゃなくて、あおいさんに聞いて貰わないと……。


「でも世話はそうた担当なんだろう?」

「あ~、そう言われれば、そうなんだけどさ」

「じゃあ、決まりね!」


 まあ、いっか。

 取り敢えず、あおいさんにも相談しておこう。

 ホームルーム後、すぐにあおいさんに話すと、鈴木さんが恐る恐るやってきた。

 あおいさんも笑顔で承諾してくれたので、そのまま三人でみおちゃんを迎えに行った。


「なぁ、そうた」

「うん?」

「そうたは中に入らないのか?」

「保育園は関係者しか入れないんだよ」

「え? でもみおちゃんを世話しているじゃん」

「それは行為であって、関係者ではないんだよ。だって俺らだって毎日クラスで時間を過ごしているけど、家族って訳ではないでしょう?」


 それを聞いた鈴木さんは、小さく唸る。

 返す言葉が見つからない感じだ。


「でも、いつかあそこに入って、みおちゃんを迎えてあげたい――――とは思うかな」

「そっか。それが今のそうたの夢?」

「ん~夢の一つではあるかな。でもそれ以上にもっと大きな夢があるよ」

「へぇー! そうたの夢か…………きっと大きいんだろうな」


 大きいんだろうか?

 でも、今の俺にはまだまだ遠い目標だ。

 いつか保育士になれたら、そこに迎えに来てくれたあおいさんと会えるのだろうか。

 そんな未来を思い描いていたら、保育園から出て来たあおいさんとみおちゃんが手を振って近づいてきた。


「おかえり~みおちゃんは今日も元気か?」

「うん! 今日も元気にしていたみたい!」


 鈴木さんが少しは慣れた手付きで、みおちゃんの頭を撫でてあげる。

 頬っぺたも優しくフニフニ触ってあげると、みおちゃんが嬉しそうに笑い声をあげた。


「あ、そうたくん。鍵渡すから先に行って貰える? 私はゆみちゃんと買い物行ってくるから~」


 と、あおいさんが鍵を俺に渡してくれた。


「分かった。じゃあ、俺達は先に帰るね」


 俺はみおちゃんを預かり、家に帰って行った。




 ◇




 蒼汰が澪を連れて家に向かった後、葵と由美。


「ねえ、ゆみちゃん」

「うん? どうしたの?」

「ゆみちゃんって、そうたくんの事。好きでしょう?」

「は、はあ!? な、何言ってんの!」


 買い物の帰り道。

 葵から放たれた言葉に、由美が驚く。


「だって、そうたくんを見つめる由美ちゃん、ものすごく可愛いもん」

「うぐっ」

「ふふっ、あのね。由美ちゃん」

「う、うん?」

「私、すごく応援してるから!」

「は? あおいは?」


 聞かれた葵は、空を眺めた。


「私にはみおがいるから。それに、そうたくんにはゆみちゃんみたいに活発な女の子が似合うと思うの」


 少し悲しむ葵の横顔を見た由美は、何も返せなかった。

 自分の心の想いを握り締めて。




 ◇




「おかえり~」

「「ただいま~」」


 帰って来た二人に何かあったのだろうか?

 二人とも、少しだけ顔が暗い。


「ご飯準備するね! ゆみちゃんはみおをお願いね?」

「おう! 任せといて!」


 腕をまくる二人。

 いつの間にこんなに仲良しになったんだろうか?

 みおちゃんの世話を始めた鈴木さん。

 以前教えた事は全部覚えていて、二回目なのに既に慣れた手付きだ。

 随分上手くなっている気がする。


「ん? どうした? そうた」

「いや、随分慣れたなと思ってさ」

「……そりゃ、練習したから」

「へ?」

「…………子育てがこんなに大変だと思わなかったから、事前に準備しておくことに越したことないだろ? だからそうたに教えて貰った事は全部覚えてるよ」


 意外な返事に驚いた。

 そんな彼女の努力が垣間見えて、みおちゃんの世話がとても上手になっていた。

 オムツ交換も顔色一つ変えないでこなしている。

 前回はあんなにアタフタしていたのに、人ってこんなに変われるもんだね。


 すると、あおいさんが出来た料理を運んできた。

 みおちゃんは鈴木さんに任せていたので、そのまま料理運びを手伝う。

 鈴木さんとみおちゃんを見つめるあおいさんの笑顔は、とても幸せそうに見えた。


 …………もしかして、このまま鈴木さんが来るようになれば、俺はいらなくなるのだろうか?


 そんな不安な気持ちを抱きながら、運び終えた料理を前に囲う。


「「「いただきます!」」」


 相変わらず美味しい料理が、ますますこの日常の幸せを感じさせてくれた。




 ◇




 すっかり夜暗くなったので、鈴木さんを家近くまで送る事になった。

 鈴木さんはいらないと言っていたけど、流石に女の子一人で夜道は駄目だろう。

 あおいさんとは違い、少し間隔が離れたまま歩く。

 話題もなくて、何も話さないまま歩き続けた。

 そもそも女子と話すのも、何なら人と会話自体が得意じゃないから、こういうのは苦手だ。

 うん。思い出した。俺って、元々人と距離をとって生きて来たんだ。

 母さんに迷惑かけないようにと思って、友人も作らず、誰かと遊んだりもした事がない。

 最近帰り時間が遅いけど、そもそも毎日真っすぐ帰宅していたから。


「なあ、そうた」

「うん?」

「…………そうたはあおいの事、どう思っているの?」

「ぶふっ! は、はあ!?」

「…………」


 あまりにも急過ぎる質問に、吃驚してしまった。


「どうもこうも、俺はみおちゃんの子守りを手伝っているだけで……」

「ふぅ~ん、あおいの事は好きじゃないの?」

「………………よくわからない」


 正直言えば、『好き』なのかも知れない。

 彼女の仕草一つ一つにドキっとするし、いつも彼女の事を考えているし。

 でも、それは『好き』という気持ちよりも、『憧れ』に近いのかも知れない。

 あおいさんは、誰でも一目見れば一生忘れないほどの美人だ。

 そんな美人さんと関われる事なんて、めったにない。

 だから、そういう意味でも『憧れ』なのかも知れない。


「俺さ、友人が一人もいないんだよ」

「……一年生の時から、いなかったよな」

「ああ。基本的に俺は拒否しているから」

「……噂聞いた事あるよ」


 どうやらクラスでも噂になっているんだね。

 でも、それもそうよな。

 人って、自分と少しでも違うと、すぐに敵対し始めるから。

 俺の噂が出回っていたとしても、何ら不思議ではない。


「だから、人を好きになる気持ちも理解出来ないし、俺は自分の夢以外は全く興味がないんだよ」


 すっかり日が落ちて、空には月と星の光が暗い夜空を彩っていた。


「もしもさ」


 そんな中、俺よりも一歩先を歩いていた鈴木さんが口を開いた。


「もしも――――――私がそうたを好きだと言ったら、付き合ってくれる?」


 初めて言われた言葉。


 『好き』という言葉と、『付き合う』という言葉。


 最初全く理解出来ず、自分の脳内をフル回転させ、その言葉の意味を探す。

 『好き』。誰かに心がひかれる事。

 確か、そういう意味なはずだ。

 そんな言葉を、目の前の鈴木さんが俺に放った。いや、そんな事有り得ないか。


「あはは、鈴木さんはまた俺を揶揄からかうのか?」


 止まっていた鈴木さんからは、何も返ってこない。

 短い沈黙が続いた。

 そして、


「そうね。そうたは馬鹿だから、からかいがいがあるな~、うち、ここだからここまででいいよ。送ってくれてありがとう」


 振り向く事なく、そう告げた鈴木さんは、早足で目の前の家に入って行った。




 俺は帰り道、少し夜空を見ながら色んな初めての気持ちに戸惑っていた。

 鈴木さんが言ってくれたからかいの言葉。


 ――――それは本当にからかいの言葉だったのか?


 俺もそんなに馬鹿ではない。

 色んなゲームをやっていて、主人公とヒロインの恋愛模様も描かれている作品が殆どだ。


 …………これがツンデレってやつ!?


 ま、まさか……そんな訳ないか。

 俺なんかを好きになる人がいるとは思えない。

 自分の姿は鏡越しに何度も見ている。

 冴えない顔。覇気のない顔。面白味もない顔。

 そんな俺自身を自分が一番理解しているつもりだ。

 だから、あれはからかいの言葉で間違いないはずだ。


 …………でも、自分の中にある『あおいさんを好きなのか?』という気持ちに初めて気づいてしまった。

 既にあったはずのその気持ちに目を逸らしていた。

 でも……彼女にはみおちゃんがいる。

 俺なんかにかまけていられないはずだ。






 だから、俺は自分の気持ちに『蓋』をした。

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