第7話 夜泣きの原因

 部屋に置いてある小さな時計の針が動く音が静かに響いている。


 チクタクチクタク


 そんな音と一緒に自分の心臓のドキドキする音も聞こえる。

 一分しか経っていないのか、それとも十分経ったのか、それとも一時間……。

 緊張で眠れない俺に小さな声が聞こえた。


「……そうたくん…………寝てる?」

「……ううん…………」

「えへへ…………私も眠れなくて……」

「そ、そっか…………寝るってこんなに難しいんだな……」

「そうね……」


 みおちゃんが起きないように、俺達は小さい声で話し合う。

 いつもはお互いを見ながら笑顔で話している言葉も、こうして囁くような声で話すと、彼女の声がまた刺激的に俺の耳を掻き立てる。


「…………そうたくんは、どうして私達を助けてくれるの……?」


 少し不安が混じった声だ。


「……俺が生まれた時から、うちも一人親でさ……ずっと母さんが苦労していてさ…………ずっとその背中を見て育って来たんだ。母さんはずっと笑顔で……でもいつかそれが無理して笑っているのを知ってしまってさ…………悲しい気持ちより、母さんを守りたいって気持ちの方が大きくなって……」

「……ふふっ、そうたくんらしいね」

「そうかな? それでさ、あおいさんの顔を見た時、あの頃の母さんの面影を見てしまってさ…………それに、みおちゃんも疲れた顔をしていたから、それが気になってさ」

「…………うん。みおちゃんも疲れた顔をしていたよね……」

「でも今はとても良い顔をしている。だから、もっと自信持っていいよ?」

「ふふっ、それも全部そうたくんのおかげね」


 少し沈黙が流れた。そして――――


「ありがとう……」


 俺にとって、最も嬉しい言葉が聞こえた。

 別に何かを求めて彼女達と接してきた訳じゃない。

 彼女達と過ごしている日々が楽しいから、俺はここにいるし、これからも手伝おうと思っている。

 だから、彼女から感謝の言葉を聞けたのが凄く嬉しい……。

 そんな良い雰囲気になったところで、


 おぎゃー!!!!


 俺達の真ん中で眠っていたみおちゃんが泣き声をあげた。

 急いでみおちゃんを抱きかかえてあやす。

 あおいさんは少し心配そうに見つめていた。


 部屋の温度は暑い訳でも寒い訳でもないけど……どうしたんだろうか?


 みおちゃんをあやしながら、起きる原因を探した。

 赤ちゃんが泣いて起きる原因は、部屋の温度、お腹が空いた場合、喉が渇いた場合。つまり、赤ちゃん自身が体に不快感を感じた場合、泣き起ると言われている。


 少し身体中を触ってみる。

 特に汗をかいていない……? どこか痒いのか?

 あやしたみおちゃんの服の中に手を入れて肌を触ってみる。膨れ上がっている部分が全く無い。痒い訳ではなさそうね。


 もう少し様子を見る為、静かになったみおちゃんをそのまま寝かせた。

 みおちゃんのおかげで少し緊張がほどけたのか、俺達はそのまますぐに眠った。


 一時間後、またみおちゃんの泣き声で起き上がった。

 今度はあやさずに原因を探そうとみおちゃんの動きに注目してみる。


 あおいさんの不安そうな表情が視界の端に見えるけど、今はみおちゃんに集中だ。


 ゆっくり見ていると、みおちゃんのちょっとした動きに気になる点があった。

 それは、両足で何かを払うような仕草をしている。

 足元の布団を開いてみた。

 何となく、足元がほんの少し濡れているのが分かった。漏らした――――とかではない。


「もしかして、みおちゃんを寝かせる時、毎日靴下を履かせているの?」

「え? う、うん。足が冷えないように履かせているよ?」


 みおちゃんの布団は、他の布団よりも足元に厚みがある布団を採用している。

 きっと足元が冷えないようにと思って使っているのだろう。

 しかし、こんなに沢山被せてしまったら、足元に汗をかいてしまい、上半身と下半身の温度差が嫌になるはずだ。


「もしかして、みおちゃんが起きる原因。足元にあるかも」

「足元?」

「うん。この布団は足元が分厚く出来ているでしょう? これに厚めの靴下を履かせてしまうと、恐らく足で汗をかいてしまって、それが気持ち悪くなって起きるんじゃないのかな?」

「でも……赤ちゃんは体温調整が苦手だから、足を冷やさないようにしてって……」

「うん。それはそうなんだけど、赤ちゃんの体温は基本的には高いんだ。周りが寒くなって体温の調整が上手く行かないときはあるけど、眠っている時は体温がずっと高くなる。この部屋は暖かいからそれを簡単に維持出来るはずなんだ」

「そっか……」

「試しにみおちゃんの靴下だけ脱がせてみよう」

「うん!」


 みおちゃんの靴下を脱がせてもう一度寝かしつける。

 ほんの少し汗に染みた靴下がなくなったからか、みおちゃんはすぐに眠りについた。

 俺は靴下をあおいさんにも渡すと、あおいさんも納得したかのように大きく頷いた。

 遂にみおちゃんの夜泣きの原因を突き詰めた嬉しさを喜ぶ前に、俺達は眠さに負けて、そのまま眠りについた。




 ◇




 ん…………何だか暑苦しい…………。


「ハッ!?」


 知らない匂い・・に、目が覚めて起きた。

 起きた部屋は自分の部屋ではなく、見慣れない部屋だ。冷静にここを思い出した。


 …………ここ、あおいさんの寝室だった。


 隣を見ると、あおいさんは既に起きたようで、布団にはいなかった。ほんのり甘い匂いが外から入ってきているから朝食を作っているのかも知れない。

 俺が暑苦しいと思った原因は、隣にいるみおちゃんだった。


 あれから一度も起きる事なく眠っている。夜泣きは赤ちゃんにとってもストレスになるから、普段からも浅い眠りを繰り返してしまう。

 でも、これならこれからお互いに熟睡出来そうで良かった。

 部屋を出ると、思っていた通り、あおいさんが朝食を準備していた。


「おはよう!」

「おはよう」


 あおいさんの満面の笑顔の挨拶を、寝起きの朝一で聞けるなんて…………役得だな、本当。


 俺は洗面台を借りて、顔を洗った。

 鏡に映る自分の顔は、どこにでもいるような平凡な顔で、髪も邪魔だからとただ短く切っているだけ。

 辛うじて、母さんのご飯が美味し…………くないので、大食いはしてなくて体型がやせ型なのが唯一の救いか。

 あおいさんが用意してくれた朝食も、極上の旨さだった。…………この生活を繰り返していたら、間違いなく太りそうだ。


「みおちゃんがこんなに長い時間眠るなんて吃驚だよ」

「一時間ごとに起きていたって言っていたもんな…………でもこれからはしっかり寝たおかげで、昼間は長い時間起きていると思うよ?」

「そっか! いつもなら昼寝も長かったけど、夜泣きでみおも眠れなかったのね?」

「そうそう。元々赤ちゃんは長い時間眠るけど、しっかり寝たら長時間起きてるからね。あ! 赤ちゃんが寝てる時は、頭の向きも気を付けてあげてね」

「頭の向き?」

「そうそう。赤ちゃんの頭は柔らかいから、ずっと同じ方向で眠らせると、頭の形が変わっちゃうから」


 それを聞いたあおいさんが顔色を変えてみおちゃんに走った。

 いや……そんなすぐすぐには変わらないんだけどね?

 みおちゃんの頭の形を確認し、安堵したようにため息を吐いた。


「あ、そうたくん」

「うん?」

「えっと……今日と明日は…………」


 もじもじしている彼女がまた可愛すぎる。


「俺なら予定とかないから、みおちゃんの事なら任せておいて」

「…………ありがとう!」


 少し困った表情から笑顔で感謝を言う彼女は、窓の外から降り注ぐ日の光に当たり、ゲームに出てくるような聖女様に見えた。




 ◇




 そうたくんがうちに来てくれるようになってから、とても助けになっている。

 おかげでみおの泣く回数も減り、しまいにはみおの夜泣きの原因まで見つけてくれた。


 本当に……そうたくんには一生返せないくらい恩が出来てしまった。


 そんなそうたくんは、どうやら物欲がないようで、何が食べたいか聞いても「あおいさんが作ってくれるのは全部美味しいから何でもいいよ」と言っていた。

 作る方からすれば、作ったモノ全部美味しいと言ってくれるのはありがたいんだけど、たまにはこういうの食べたいって言われて作ったモノを美味しいと言われるのも嬉しいのよね。

 まあ……それはおいおいかな。


 今日は土曜日で休み、明日も休みの日曜日。


 そうたくんにお出かけをしようと言い出そうとしたら、なぜか上手く言えなかった。


 彼は勘違いしたようで、みおの世話は任せてくれって言ってくれたけど……本当はそうじゃないんだよね…………でも、みおを連れて出かける事が如何に大変か知っている私は、彼にそれ以上何も言えなかった。


 ただ…………


 彼と週末を過ごせる事が嬉しい。

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