第6話 彼女の驚きの提案

 次の日の放課後。


 今日も変わらず、みおちゃんを迎えに行く。

 以前とは違って、横に並んで歩く彼女の小さな吐息が聞こえそうだ。

 しかも、時折俺の腕に長い髪が触れて来ては、優しいシャンプーの香りがする。


「あ、早乙女さん」

「……」

「……早乙女さん?」

「……」

「…………えっと、俺、また何かやらかしたのかな……?」

「もぉ……そろそろ名前で呼んでよ、あおいって」

「そ、それは……」


 昨日からずっと名前で呼べと言われるけど、恥ずかしいというか、女子を名前で呼んだ事ないから分からないんだよ……。


「あ、あ…………あ…………」

「もう口利きません~」

「え!? …………あ、ぁぉぃさん……」

「ぷっ、そうたくんったら、あんなに私を守ってくれるって大声で言ったのに、未だ名前で呼んでくれないなんて酷いよ」

「そ、それとこれは別というか……まぁ、頑張るよ」

「ふふっ、頑張ってね」


 いたずらっぽく笑う彼女がまた可愛らしい。


「そういえば、どうしたの?」

「あ、みおちゃんの夜泣きについて聞きたくて」

「ん………………実はそれが一番の悩みなの……」

「やっぱり……どれくらいの頻度で起きるの?」

「えっと、一時間置きに」

「一時間置きに!?」


 予想外の返答に驚いてしまった。

 毎日一時間置きの夜泣きの中、俺だけのうのうと寝ていたってことか……。


「え? なんでそうたくんが落ち込むの?」

「……あおいさんが頑張っている間に、俺だけのうのうと寝ていたと思うと…………」

「そんな事思ったの!? …………じゃあ…………一緒に――――」


 彼女が少し先に走って行き、ふわりと振り向いた。

 満面の笑みを浮かべた彼女から衝撃的な言葉が飛び出す。











「――――――――一緒に寝る?」




 ◇




「母さん」

「……」

「母さん……」

「…………明日ね?」

「え? う、うん。今日はさすがにあおいさんも色々準備があるだろうから……」

「!? あおいさん…………そっか。分かったわ」


 母さんに宿泊の事情を説明して、許可を貰った。

 幸い明日は金曜日。次の日は休みだ。

 朝からバタバタしなくても済むし、みおちゃんの夜泣きの原因も見つけやすいし、負担も少ないし、丁度良いタイミングだ。

 何かを決意した母さんが少し不安だけど、まあ大丈夫だろう……。




 ◇




 次の日の放課後。


 俺は緊張した様子であおいさんと一緒にみおちゃんを迎えに行った。

 今日は初めてのお泊り会…………既にその緊張で吐き気すら感じている。


「ふふ、そうたくん? なんか緊張してない?」

「そ、そりゃ……緊張くらいするよ」

「ふふっ、今日は楽しみだね~」

「お、お、おう」


 またいたずらっぽく笑うあおいさんが可愛らしい。

 保育園に着いて、帰って来たみおちゃんを預かった。


「じゃあ、このまま買い物にも行っちゃおう~」

「う、うん」


 軽い足取りのあおいさんに付いて行き、スーパーマーケットに入って行った。

 いつも来るスーパーマーケットのはずなのに、あおいさんと来ると全然雰囲気が違って見えた。

 彼女は慣れた足取りで店内をどんどん歩き進め、籠に肉や野菜を入れ始めた。

 その仕草は歴戦の主婦のようで、値段を見比べては「ん~今日はちょっと高いね」と呟く彼女を後ろから眺めていた。


 みおちゃんは珍しい光景なのか、周りを見渡しているけど、見えているのだろうか?

 まだ歳は1歳との事だから、見えてはなさそうだ。

 どちらかと言えば、周りの音が珍しくて驚いている感じかな?

 素早く買い物も終わり、家に帰って来た。


「夕食、直ぐに準備するね~」

「う、うん! みおちゃんは寝てるから、俺は風呂掃除しておくよ」

「ありがとう! 風呂場に掃除道具置いてあるから~」


 俺は恐る恐るあおいさんの家の風呂場に入った。

 いつもあおいさんからふんわり香る香りがしていた。

 ボディーソープとシャンプーはあまり見た事がない銘柄だった。ちょっと高級品っぽい感じ?


 俺は風呂場脇に置いてある掃除用具で風呂の掃除を始めた。

 うちの風呂も基本的には俺が掃除をするので、何の苦もなく進める。

 風呂掃除が終わり、リビングに戻ってスヤスヤ寝ているみおちゃんを確認して、あおいさんを見ると一所懸命に料理をしている。

 たまに、髪をかきあげる仕草にドキッとする。


「あ、あおいさん。ちょっと家に行ってくるよ」

「分かった~いってらっしゃい」

「うん。いってきます」


 俺は急いで家に戻り、掃除や風呂掃除を終わらせた。

 丁度終わったタイミングで、隣の部屋から赤ちゃんの泣き声が聞こえたので、あおいさんの部屋へ急いだ。

 あおいさんの部屋に戻ると、とても美味しそうな匂いが充満していて、あおいさんは慣れた手付きでみおちゃんを抱っこしてあやしていた。


「あおいさんお待たせ」

「お帰り~ご飯も丁度出来たよ~」

「うん。匂いだけでお腹がすくよ」


 あおいさんがみおちゃんをあやしている間に、見慣れている食器を並べる。

 ガスコンロの上には美味しそうな焼肉とスープも用意されていた。

 いつもの皿だけ準備しておく。盛り付けはあおいさんがしないと怒られるので、皿の準備が終わったら、あとはテーブルを拭いて箸を並べておく。

 準備が終わり、みおちゃんの世話を交代した所で、チャイムが鳴り、母さんが入って来た。


「お帰りなさい~」

「ただいま~、今日はこういうの買って来てみたわよ」


 母さんは手に持った袋をあおいさんに渡した。


「わあ! 刺身ですね。これも一緒に頂いちゃいましょう~」


 意外にも刺身が好きというあおいさんはご機嫌になって盛り付けを進めた。

 みおちゃんのなでなでと顔すりすりを終わらせた母さんと、食事の準備を終えたあおいさんでテーブルを囲った。


「「「頂きます~!」」」


 目の前のご馳走を無我夢中で食べる。

 あおいさんの料理は本当に何でも美味しいし、見るからにバランスがいい。

 野菜を主軸にしっかり作るし、サラダも食べやすい工夫をしてくれているので素晴らしい。


 元々小食な母さんと俺でもご飯を残さず食べるようになった。

 食事が終わり、母さんは家に戻る。

 明日は土曜日だけど、母さんは仕事なのでゆっくり休んで貰わないとね。

 俺も一度家に戻り、急いで風呂に入り、寝間着とか布団とかを運んだ。


 そして、最後の布団を運ぶ時だった。


「蒼汰~ちょっとこっちに来てくれない?」

「ん? どうしたの、母さん」

「ちょっと渡したいモノがあって」


 …………渡したいモノ。物凄く不安を掻き立てる単語だ。母さんが座っているテーブルの向かいに座った。


「はい。これ……」


 母さんからちいさな紙袋を渡された。そして、真剣な顔で告げた。


「もしもの時はちゃんと使うんだよ?」


 い、いや……これって……開けたくないというか、既に感づいてしまったというか……。


「母さん……」

「いいの。人は何があるか分からないんだから。二人が決めた事ならそれでもいいと母さんは思うよ? でも既にみおちゃんがいるからね? ちゃんと考えてあげてね?」

「い、いや、まだ付き合ってすらないよ!」

「こういうのは、付き合ってなくても気を付けるべきなの!」

「そ、そうかも知れないけど! 俺はそんなつもりであおいさんと仲良くなった訳じゃないから!」


 そう話すと母さんが少し寂しそうな目をした。


「……その、ありがとう。一応貰っておくよ……」

「ええ」

「じゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃい」


 俺は最後の布団を持って、隣のあおいさんの部屋に向かった。






「そうか……蒼汰も、もう大人になったんだね……また一人か…………久しぶりね……」


 蒼汰の母は寂しそうに両足を抱え込んだ。




 ◇




「おかえり~」

「ただいま~」


 あおいさんの部屋に向かい、布団を敷く。

 普段は入らない寝室に入ると、風呂場よりも良い香りがしていた。

 急いで布団を敷いて、真ん中にみおちゃん用の布団を敷いた。


 リビングに戻ると、みおちゃんと戯れているあおいさんがいて、聖女のような笑みを浮かべていた。

 最初会った頃は、あんなに疲れた顔だったのに、すっかり良い笑顔になって来たね。

 暫くテレビを見ながら、みおちゃんと遊び、夜も更けて寝る時間になった。


「……そうたくん。そろそろ寝ようか?」

「う、うん……」


 少し恥じらいの声が余計にこっちまで恥ずかしくなってくる。

 念のため、寝室においた鞄の中の紙袋を思い出して、更に恥ずかしくなった。

 眠っているみおちゃんをゆっくり布団に寝かせる。

 寝間着のあおいさんは何も言わず布団に入って行った。

 俺はみおちゃんを真ん中に、あおいさんとは反対側の布団の中に入って行った。


 ……。

 ……。

 ……。


 布団に入ってからどれだけの時間が経過したんだろうか?

 自分の心臓の高鳴りが、あおいさんに聞こえないか心配になるくらいだ。

 女の子と一緒に寝るなんて初めての経験で、赤ちゃんがいるとはいえ、同じ部屋…………時間が経過すればするほど緊張してしまう。


 まだあおいさんの寝息の音は聞こえてこない。

 女の子って眠ってる時ってこんなに静かなんだろうか……。

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