第3話 一かけらの勇気
転校生美少女の早乙女さんが、隣の部屋に引っ越して来たシングルマザー早乙女さんだと知ってから二日が経過した。
会った時には挨拶するくらいにはなったと思うんだけど、俺と彼女の帰りの時間が合わず、毎日挨拶を交わす――――なんて展開にはならなかった。
あの日以来、俺は何も手が付かず、目標だった勉強を再開した。寧ろこれしか手がつかなかった。
机の上の教材『保育士』に目を落とした。
俺は幼い頃から頑張ってくれている母さんの背中を見て育った。
人より早く、考え方が成熟したと思っている。だから、高校生になってすぐに目標だった『保育士』になるために日々勉強に勤しんでいた。
『保育士』になる方法は大まかに二つ。
一つ目は専門的な大学、短大、専門校を卒業する事で保育士資格が貰える。
二つ目はそれ以外の大学、短大、専門校を卒業するか、二年以上の実務経験があれば『保育士の国家試験』が受けられて、そこで合格する必要がある。
大学は一切考えていない。
シングルマザーの母さんに負担を掛けたくないのだ。
だから高校生のうちに近くの保育園を訪れて、二年間実務経験を積んだ上で『国家試験』を受けるやり方を教えて貰えた。現在勉強している『保育士』の教材はその国家試験の為の教材だ。
普段からそんな事をしていた事が功をなしたようで、早乙女さんの娘さんの世話は初めての実践だったけど、上手くいって良かったと心の底から思っている。
それも相まってゲームが手に付かず、ずっと教材と睨めっこしているのだ。
数日後。
クラスで目が合った彼女は俺に優しく微笑んでくれて、俺もぎこちない笑顔で返した。
しかし、彼女の顔は未だに疲れた顔をしていた。
実は数回、彼女が俺に声を掛けようとしているのを知っていた。
だが、俺はそんな彼女を
理由は簡単で、俺は既にクラス内で浮いている存在だ。
そんな俺と関わったら良くない噂が流れて、早乙女さんに迷惑が掛かってしまうと思ったからだ。
人って、自分と違うモノに敏感だからね……。
そんな事を思っていると、隣から噂話の声が聞こえた。
「ねえねえ、転校生ってさ、子供いるらしいよ?」
「あ~、あの噂本当? 俺も聞いたわ」
「うんうん。隣の三井さんが見たってさ、毎日保育園から赤ちゃんを抱いて出るんだって」
「まじか~でもあれだろう? 兄弟って線も」
「それがね、どうやら前の学校で不良と絡んでいたらしいよ? その時に出来たから逃げたって噂だよ」
俺の耳に届く言葉は、心のない誹謗中傷の言葉だった。
確かに、女子高校生が赤ちゃんを抱いている姿には違和感がある。
しかも、それが毎日なら尚更だ。
それに反論したい。
と思ったけど、俺が言えるほど早乙女さんについて、知ってる事がない。
もしかして、本当にその通りかも知れない…………でもあの整理整頓された部屋や、娘さんを大切にしている彼女から、そんな姿は全く想像できなかった。
何も言えない俺は悔しくて拳を握った。
俺が反論すれば、火に油を注ぐように事が大きくなる。
だからこれ以上、悪い噂が広まらない事を祈るばかりだった。
数日後。
俺の祈りが届く事はなかった。
「ねえねえ、早乙女さん」
「はい? どうかしましたか? 鈴木さん」
鈴木さんというのは、言わばうちのクラスの不良グループの女子だ。
ただの進学校でも、こういうギャルみたいな女子もいるのだ。
「なんかさ~早乙女さんに
心のない言葉が突き刺さる。
クラスの全ての視線が早乙女さんに集中した。
みんなも気になっていたのだろう。
早乙女さんはというと、意外と冷静に聞いていた。
そして、彼女は一言も話すことなく、鈴木さんから視線を外した。
「へぇー! 本当にいるんだ! 凄いわね! 高校生で既に
それから鈴木さんの心のない言葉が早乙女さんに突き刺さり、クラス中では大きな噂話が聞こえ始めた。
…………これだ。
人ってどうして、自分と少し違うだけで、ここまでするのだろう。
少し人より早く子供がいたって、君達には何の関係もないじゃないか……。
それが言いたい。
でも言えない……そんな自分が悔しい……。
早乙女さんは表情一つ変えず、疲れた顔のまま、凛とした表情を崩さなかった。
その日の放課後。
俺はどうしても彼女が気になって、彼女の後をつけた。
というか、元々帰り道一緒だし……。
彼女が保育園に向かっているのも知ってる。
既に何人かの興味本位なクラスメイトが同じく後を追う。
彼女は気にも止めず、まっすぐ保育園に向かった。
そして、みおちゃんを抱いて出てきた彼女にスマホを向けて写真を撮るやつまで出てきた。
「やめろ! 本人に許可も得ずに写真を撮るなんて盗撮だぞ!!」
俺はあまりの怒りに彼らの前に出てきた。
「は? 一条じゃねぇか。これのどこが盗撮だよ。子供いるって証拠品だろうが」
「早乙女さんに子供がいるからってお前らに何の関係がある!!」
「は? か、関係はねぇけど……お前こそ何の関係があるんだよ!」
「困っているクラスメイトを助けるのに関係が必要なのかよ! お前らは最低だ! 彼女の痛みが分からないのか!!」
苦虫を嚙み潰したような表情になる。
怒っている俺を睨んでいた彼らは悪態をつきながらその場を後にした。
きっと面白半分の行為だったんだろう……でもそれがまた許せなかった。
「一条くん?」
後ろから早乙女さんの声が聞こえた。
「あ! さ、早乙女さん。ご、ごめん……」
「ふふっ、助けてくれてありがとう」
「そ、そんな…………クラスで何も言えなくて…………ごめん」
「ううん。私は大丈夫。私にはみおがいるから。例え、誰に何と言われても私は平気だよ」
「…………早乙女さんは強いね」
「ふふっ、そんな事ないよ? 毎日みおちゃんの子守りでいっぱいいっぱいなの」
でも以前のような絶望したような表情ではなかった。
ただ純粋に疲れた顔をしている。
その時。
きゃ~はは~
みおちゃんの笑い声が聞こえた。
「ふふっ、みおも久しぶりの一条くんが嬉しいのかな?」
早乙女さんは、すっと近づいてきて、みおちゃんを俺に見せてくれた。
俺を見つけたみおちゃんは満面の笑みを浮かべ、両手をパタパタさせながら笑い声をあげてくれた。
「この子がこんなに嬉しそうにするなんて、久しぶりなの」
「そ、そっか。あ、帰り道一緒だから、その間、みおちゃん預かるよ」
「本当? ありがとう。みおも喜ぶわ」
俺は早乙女さんからみおちゃんを預かった。
目の前の早乙女さんからふんわり良い香りがして、一瞬で顔が真っ赤になる感覚が伝わってくる。
「みおちゃん、久しぶりだね。お~お~」
みおちゃんを高い高いをしつつ、ぎゅーっと抱きしめて歩く。
甲高い笑い声で喜んだみおちゃんから、次第に声が消え、気づけば眠りについていた。
「安心して眠ってしまったみたい。あ、そうだ。一条くん。みおの抱き方、教えてくれてありがとう。おかげで最近ではだいぶ良くなったよ」
「そ、そっか……! それは良かった!」
満面の笑みの早乙女さんは、嬉しそうに俺達の前を歩く。
前から吹いた風が、彼女の長い髪を少し揺らして、彼女の美しさをより際立たせる。
「あ! 一条くん。一つだけお願いがあるんだけど……ダメかな?」
おねだりポーズをした彼女はまさに最終破壊兵器だった。
「俺に出来る事なら何でも言ってくれ!」
そう返すのが、また男の
「またご飯ごちそうするから、買い物の間、みおをお願いしてもいい?」
「全然良いよ、何なら毎日でも構わないから、必要になったら呼んでくれ。なんせ、隣部屋だし」
「ふふっ、そうだったね。隣が一条くんで本当に助かったよ」
一度家に戻って、彼女はすぐに支度をして買い物に出かけた。
俺はみおちゃんを風呂に入れたり、服を着替えさせたり、世話を楽しんだ。
帰ってきた彼女はすぐに料理を始め、またもや味わった事もない美味しい食事をごちそうしてくれた。
◇
「蒼汰が……」
「だっー! 彼女じゃねぇっつうの!」
「でも! 今日もこんな長い髪が!」
「ああああ! また付いてた!! いつのまに!?」
「やっぱり彼女ね!」
「違う!!」
その日も母さんの餌食になった。
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