最終話

 先に馬車を降りたルークス王子が、続いて馬車を降りるシルビアをエスコートする。

 宿で着替えたシルビアは鮮やかな青のドレスで、彼女の長い銀髪が良く映える。


「なあ、もう夕方だが本当に奴は今日来るかな?」

「どうかしらね。でも加護の力は精神へ影響するみたいだから、あいつは今日来ると思うわ」


 シルビアに続いて侍従のバネットまで、ルークス王子のエスコートを受けて馬車を降りる。

 彼女が申し訳なさそうに「私まですみません」とお礼を言って歩道へ降りた後、腰に手を当てて待っていたシルビアへ質問する。


「えーとお嬢様、今日来ると思われるのはどうしてでしょうか?」


 バネットも商人の娘の格好をやめて、いつものメイド服に着替えている。


「この加護は頭の切れる人ほど精神への影響が大きいみたいなの。前に婚約解消してきた阿保のオッティ・シモンは、翌日の昼過ぎに言ってきたのよ。でも、イグニスはいろいろ考えて動いてるみたいだったから、多分すぐ加護の力に耐えられなくなるんじゃないかなと……」

「お、おい……や、やっと見付けた……。はあはあはあ……」


 シルビアが言い終わるかどうかというところで、息せき切らせて駆け寄ってきた男がいる。

 さっきまで自分の商会で偉そうに踏ん反り返っていた、赤髪の偉丈夫イグニスだ。


「ほーらね。流石、私の呪いの加護。凄いパワーだわ」


 彼女は腰に手を当てて踏ん反り返ったが、ルークス王子もバネットもネタが微妙なため、同意はせずに苦笑いですませた。


「な、なあ、シルビア様! ちょっと話がある!」

「こんなところで話は聞けないわ。喫茶店の中で聞きましょう」


「いや、そこじゃ人が多い。俺たちだけで話したい。貴女だって人が多いと困ることだ」

「ダメよ。店の中じゃなくちゃ聞かないっ」


 イグニスは人の多い所を嫌がったが、無視しておかずケーキの喫茶店に入るシルビア。

 ルークス王子とバネットもすぐ後について店へ入る。

 自分の要求をまるで聞いてもらえないイグニスは、従うしかないと諦めたのか先に入店した彼らの後を追って入店した。




 まあ普通女性なら、話の内容が分からない状況で、人に聞かれて困ることだと言われれば素直に従うんだろうけど。

 でも、私の場合はぜんぜん逆。

 まずその話が婚約解消だと想像つくし、その上で皆の前で告げてもらいたいと思ってるんだし。

 だってギャラリーがいなくちゃ、イグニスが特約を無視するかもしれないじゃない?




 彼女は特約を婚約書面で定めたからといって、それだけでイグニスを従わせるには弱いと考えていた。

 特約を守らない場合は裁判所へ持ち込んで強制してもらうことになるが、そんな面倒で時間のかかる手順は踏みたくない。

 

 ならば傭兵商会という、信用が大切な商売を人質にしてやればいい。

 契約を反故にするなど商人としては最も信用を失う行為で、そんなことを大衆の面前で出来る訳がない。

 商会の評判が下がれば、売上が下がって運営に支障をきたすだろうから、経営者であれば絶対に避けたいはずだ。


 公衆の面前で自己都合により婚約解消するのだとイグニスに宣言させ、特約の実行について居合わせた第三者の前で認めさせたいのだ。


「うふふ。今回も楽しみ」


 口角をあげて笑みを浮かべ、テーブルにつくシルビア。

 それを聞いたルークス王子は、またぞくりと体を震わせたが表情には出さずに同じテーブルについた。

 バネットは椅子に座らず、シルビアの横について背筋を伸ばし立っている。

 端から見れば貴族の男女がメイドを連れて入店したように見えるが、三人ともこれから起こるイベントに備えて表情を引き締めていた。


 三人が準備万端待ち構えているところに、長い赤髪の男が焦りをみせて近寄ってくる。


「いや、だから困るって言ってるだろうが。もっと人気のないところで……」

「私からの話はないの! 貴方がどうしてもって言うからここで聞くって言ってるのよ。ここで話せないなら別に帰ってもらってもいいけど? ねぇ、未来の旦那様?」


 シルビアは最後の部分だけワザと大きい声で言って、イグニスを突き放した。

 ただでさえ下町の喫茶店に貴族が入店して注目を集めているのに、婚約者同士の痴話喧嘩なのかと店の客たちの視線がさらに集まる。


「そ、そうかよ!!」


 どうしてもこの場で婚約解消を言いたくないのか、吐き捨てたイグニスは入ってきたばかりの扉に向けて引き返す。


 彼は理解しているのだ。

 自分が婚約解消を切り出せば、当然に彼女から特約を主張され、それを居合わせた客たちに聞かれてしまうということを。

 それが分かっているからこの店での話し合いを拒否したい訳で、イグニスが今、大変な葛藤と戦っているであろうことは、怒りを露わに扉まで歩いて行った彼が、いそいそとまた彼女の元へ戻ってきたことから想像がついた。


 シルビアの加護の力による婚約解消の欲求と、その欲求に従うことで訪れる特約による侍従落ち(しかも攫ったメイドの部下)という絶対避けたい事態。

 イグニスの精神が相当追い詰められているだろうことは、彼の落ち着きのない様子からよく分かる。


「おおお! も、もう我慢ならん! 今言う、すぐ言う、ココで言う!」


 ついに耐えきれなくなったのか、イグニスがシルビアの正面から立ったままテーブルにバンと手を突いた。


「すまない! さっきの話は無かったことにしてくれ」


 イグニスの振り絞るような訴えにニンマリと口の端を上げたシルビアは、ゆっくりと脚を組み替えると一呼吸置いてから語り掛ける。


「さっきの話って何?」


 一瞬言葉を失った彼は眉を寄せて黙り込んだ。

 すぐに「さっきの話」が何を指すのか説明すればいいのに、口を閉じて具体的な説明を拒んでいる。

 やはり婚約を解消したいと頼むところを、周りの客に聞かれたくないのだろうと三人には容易に想像がついた。


 それでもなお彼女は彼を追い込む。


「ほら、どうしたの?」

「うぐぐぐ……」


「言いたいんでしょう? 言ったら楽になるわよ」

「言う、言うが、特約は……侍従だけは勘弁してくれ……」


 許しを請うイグニスの態度を見たシルビアは、目を細めて顔を近づけると声のトーンを一段下げて小声で言った。


「特約を勘弁してくれ? 貴方、私の大切なバネットを攫って監禁しておいて、許してもらえるとでも思ったわけ?」


「う、くう。も、もう耐えられん。さっきした俺とシルビア様の婚約! 解消してくれ!」


 店の客全員がこの一部始終を注視していたが、ついにイグニスが婚約解消を主張したことでどよめきが起こった。


 ガガっと立ち上がり尻で椅子を下げたシルビアは、両手を広げて店内の客たちにアピールする。


「皆! 聞いててくれた? 傭兵商会のイグニスは、さっき私と婚約したばかりなのに解消したいんだって! もし婚約解消をするなら私の侍従になるって書面に書いたんだけど、今彼はそれでも婚約を解消したいと言ったのよ!」


 客たちは互いに顔を見合わせて、彼女が言ったことを咀嚼していたが、徐々に状況が飲み込めてくると客同士でしゃべり始めて店内が大きくざわついた。


「おい、聞いた? 婚約解消だとよ!」

「お貴族様の婚約が解消されるなんてあるのね! びっくりだわ」

「でもあの令嬢、なんであんなに嬉しそうなんだ」

「それは愛の無い結婚をしないで済んだうえ、さらに侍従をゲットしたからじゃない!」


 恋人と来ていた女性の言葉が核心をついているのか、それを聞いたシルビアとバネットが顔を見合わせてニンマリした。


「……くっそぉおお!!」


 膝をついて床を叩き悔しがるイグニスは、それでも組織のトップを張るだけあって、暴れたりせずにただ地団駄を踏んでいた。


 落ち込むイグニスの肩を叩いてルークスが苦笑いする。


「ま、ああ見えて彼女は優しいから悪いようにしないさ……多分な……」



 ざわざわと店内が騒がしくなったが、騒動に貴族が絡んでいるためか店員は止めることも出来ずにあたふたしていた。



「なあ、シルビア様……」

「なあに? イグニス」


 ヴェルファーレ家の庭でシルビアが優雅に紅茶を飲みながら返事をする。

 プチ家出から戻った彼女は、早速イグニスを呼びつけて侍従として働かせているのだ。


「俺はずっと侍従として貴女のそばに居なきゃならんのか?」


 シルビアの斜め後ろにはバネットが立ち控え、その隣に執事服を着込んだイグニスが並んで立っていた。

 クセのある長い赤髪に執事服、普通は見ない組み合わせだが意外にも似合っているのか、他のメイドたちの反応はいい。


 ちなみにシルビアのお茶の相手はルークス王子だ。

 彼も人攫い事件の関係者なので、イグニスの初出勤に合わせてお茶会という名目で招待された。


「何言ってんの。当たり前でしょ、侍従なんだから」

「マジか……」

「ところでシルビア、イグニスには何をさせるつもりなんだ?」


 優雅にお茶を飲むルークス王子の姿は、付き合い易い気さくな口調とは違って、洗練されていて品位に溢れている。


「そりゃ傭兵に頼みたいことだもの。護衛くらいしかないでしょ。四六時中よろしくね!」

「し、四六時中か……」


 軽く俯いてしょげるイグニスを見たシルビアはウフフと笑った。


「嘘よ。貴方がいないと傭兵商会がまとまらないでしょ。それは私にも不都合。普段は自分の仕事をしてて頂戴」

「でもそれだと侍従の仕事はできないぞ」


「いいえしてもらうわ。ウチが護衛を必要なときに部下を連れて駆け付けなさいっ。つまり、傭兵商会はヴェルファーレ家の言いなりということ。それが侍従としての貴方の仕事!」

「ほ、本当か! それなら助かる。……っていうかヴェルファーレ家御用達の扱いなら、それだけで貴族たちから凄い信用が得られるぞ。俺の最初の要望通りじゃないか!」


「はあ? そんなの知らないわ。私は侍従程度の給金で、必要なときに頼りになる護衛を頼めればそれでいいだけよ」

「おおおお!! マジか! それって護衛代金をくれるって意味だよな!? シルビア様、ありがとう! 貴女、最高だ!!」


 感激したイグニスがシルビアの前に出ると、ひざまずいてから彼女の目を見て礼を述べた。


 その様子を見たバネットが、当然とでも言いたそうにうんうんと頷いている。


「べ、別に貴方のためじゃないんだから。ちょっと! ひざまずくのやめなさいよっ」

「いや、こりゃまいった。俺は完全に貴女を誤解していたようだ」


「誤解?」

「ああ。シルビア様って控えめに言っても凄くいい女ってことだ!」


 正面切って褒められたシルビアは、男性からのアプローチに慣れていないため徐々に顔を赤くすると、横を向いて目を逸らした。


 急に立ち上がったルークス王子がイグニスに近付く。


「おい、イグニス!」

「なんだ? ルークス様」


「なんだ? じゃないだろ! お前は急に何を言っている!」

「ああ、シルビア様が魅力的だって言ったんだ。彼女ってさ、頭が切れるし判断力もある。一見きつそうでいて実は優しい。そして何より美人だ」


「そ、それは俺もそう思うが……。だが、あんなことがあったのに、お前がそれを言っちゃダメだろ」

「いや、彼女と俺はお互い独身だし今度は本気の恋愛を……」


「許される訳ないだろ!! シルビアは俺の……イヤ、何でもない! とにかく絶対にダメだっ!!」




 え!? 何!? 何なのこの状況!!??

 お、お願いだからやめて!

 は、恥ずかしくて死んでしまう……。




 いい男二人の言い合う姿を見ていたシルビアは、色恋で男性から褒めそやされることに慣れていないため、顔を真っ赤にして小さく震えていた。


 了


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政略婚を諦めた伯爵令嬢は、自分に素直に過ごすと決めました。 ただ巻き芳賀 @2067610

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