第四話
「で? 一体なんで私を攫おうとした訳?」
「いや、攫おうなんて気はさらさら……。ちょっとした申し出があるんだが、傭兵商会の俺らじゃ、話を聞くどころか、会ってもらえ無さそうなんでな。シルビア様をご招待して話を聞いてもらおうとしただけだ」
「今さら誘拐じゃなく招待だとかそういう体裁はいいから。どうせ話を聞かないと帰してくれないんでしょ? なら聞くから早く話しなさいよ」
「ずいぶん話が早いな。もっと事情説明に手間が掛かるかと思った」
シルビアがすんなり話を聞こうとするのが意外のようで、イグニスは拍子抜けした様子だったが、気を取り直すとそれではと身を乗り出して説明を始めた。
「つまり、傭兵商会がヴェルファーレ家の後ろ盾を得たいのね? 貴族の護衛やパーティの警備の受注を増やしたいけど、平民で構成された自分たちじゃ中級以上の貴族に伝手がないから、攻めあぐねていると」
「そうだ」
「それで? 傭兵商会の後ろ盾となったヴェルファーレ家には、どんなメリットがあるの?」
「傭兵商会の力を自由に使えるようになる」
貴族は社交的な付き合いを増やせば増やすほど、身の回りには危険が増える。
この王国には盗賊や兵隊崩れが多く、決して治安がよいといえない。
身を守るためにはそれなりにコストがかかる。
平民なら自らを守る武器を携帯するか、人目のない所や遅い時間に出歩かないようにする。
貴族の場合は自前の護衛を抱えたりするが、長期雇用なので当然かなりの報酬を支払わなければならず、経済的に簡単な話ではない。
ヴェルファーレ家は比較的裕福なので専属護衛を多少雇っているが、パーティなどを主催する場合には多くの人数を必要とするため、そのときに困らないよう日頃から一定数を雇い入れていて経済的な負担が大きい。
もし、必要な時だけ信用できる人材を確保できるなら、貴族側にとってもメリットが大きい。
だが警護や警備は、物理的にも内情的にも裏切られた際のダメージが深刻で、本当に信頼できなければ任せられない。
臨時の警備は信用が著しく欠ける訳だが、傭兵商会の今回の申し出は、ヴェルファーレ家にその信用の部分を担って欲しいということなのだ。
「悪くない話だけど。貴族社会はそんなに安易じゃないの。今まで何の付き合いも無かったのに、メリットがあれば急に明日からよろしくとはならないのよ」
「やはりな。有力貴族ほど、昔から経緯などを踏まえて付き合いを厳選するんだろう。こちらも正攻法で、すんなり付き合いに加えてもらえるとは思っていない」
イグニスは目つきを鋭くしてシルビアの様子を伺った。
相対する彼女は顔を少しだけ動かすと、出口を塞ぐ男たちを目の端で確認する。
「……確かに正攻法じゃないわね」
「このような交渉で気分を害したのは謝る。だが、いかに名門貴族と付き合うのが難しいとしても、トップの俺がヴェルファーレ家と
「親戚? ……ちょっと何言ってるのか分からないんだけど。親戚って何?」
「シルビア様」
「何よ」
「俺と結婚して欲しい」
話の展開からは予想もつかない急な申し出で、シルビアはポカンと口を開けてイグニスを見つめた。
求婚される雰囲気など微塵も無かったのだから、彼女の思考が追い付かなくても無理はない。
当事者である彼女よりも、隣にいたルークス王子がいきり立つ。
「貴様! 言うに事欠いてシルビアと結婚だと!? ふざけるな!」
「別にふざけてなどいない。シルビア様に婚約者はいないのだろう? 互いにメリットがある結婚、つまり政略婚の申し込みだ」
「シルビア、相手にする必要はない。結婚とはもっと慎重であるべきだ」
「貴方はシルビア様の婚約者ではないはずだ。 私はシルビア様へ正式に結婚を申し出ている。互いの問題に口を出さないで欲しい」
うぐぐと口をつぐんだルークス王子は、隣にいるシルビアの様子を横目で確認している。
彼らのやり取りを見ていたシルビアは、しばらくフリーズして目を白黒させていたが、瞬きを繰り返すと目の焦点を元に戻した。
そして、ようやく思考が再起動したのか急に目を細めると、姿勢を正してからイグニスを見つめた。
「わたくしは、日頃からヴェルファーレ家のためとなる良縁を求めておりました。貴族令嬢に生まれ数々の縁談がありながら、今まで婚姻に至らなかったのは、今日この日のためだったのだと確信致します」
「は、判断が早いな……。でも、それでこそ名門貴族の令嬢、肝が据わっている」
「書面を交わしましょう。政略婚の条件を決めて契約として残す、これはヴェルファーレ家の令嬢として必定」
「あ、ああ、もちろんだ。俺も契約書は残すべきと思うが……。なんだか、その……別人みたいだな……」
そばに控えるバネットが小さな鞄を開いてペンとインクを取り出すと、ローテーブルの前に置いた。
「ああっ、本気のときのお嬢様! 本当に素敵です!」
いつもは少し冷めた態度のバネットが、頬に手を当てて熱っぽくシルビアを見つめると、物憂げに、ふう、と小さく吐息を漏らした。
ルークス王子は、目の前で他の男が彼女にプロポーズするのを見たためか複雑な表情をしているが、当のシルビアが乗り気なため口を挟むのをやめたようだ。
シルビアはというと目の前に紙が用意されても、目線を向けただけですぐペンを握ろうとはしない。
彼女は姿勢を正したまま、正面の赤髪の男に視線を戻す。
「ですが、契約は
「なぜだ?」
「このステラ王国の貴族が婚姻する場合、あらかじめ王家直轄の貴族院に届け出て承認される必要があります。王国が貴族の親族関係を管理しているためです」
「自分たちの一存では婚姻できないということか?」
「そうです。体裁は貴族関係の管理ですが、実質は有力貴族の積極的な結びつきをけん制し、王家の統治を脅かさないためです」
「いや、こちらとしても国のお墨付きは是非とも欲しい。そのために貴族院への届け出が必要なら婚約で異存ないが……」
言い掛けたイグニスはニヤリと口の端を上げる。
「保険は掛けさせてもらうぞ。特約に、ヴェルファーレ家からの婚約解消はいかなる理由があっても受け入れない、と加えてもらう」
それを聞いたシルビアも微かに笑みを浮かべた。
「かまいません。でも親族になるため婚約するなら条件は対等であるべき。こちらからも特約をお願いします」
「ほう。なんだ?」
「わたくしは、当家の侍従バネットに働いた貴方の振る舞いを忘れておりません。もし、イグニス様の方から婚約を解消する場合、わたくしの侍従としてバネットの下で働いてもらいます」
イグニスは目を見開くと、声に出して笑いだした。
「あーはっはっは! なんだその特約は? 俺の方から婚約を解消する訳ないだろ」
すんなり了承したイグニスは、笑いながら婚約書面にサインをした。
終始、表情を変えず微笑を浮かべたままのシルビアは、まるで仮面を被ったように感情を表に出さず、淡々と婚約書面にサインをすませる。
その様子をルークス王子とバネットが無表情で見守っていたが、二人とも努力して無表情を維持しているのかほんの僅かだけ震えていた。
「さあ、これで貴方の希望は叶ったでしょ? いいかげん、私たちを帰らせて頂戴!」
契約が終わり元の調子に戻ったシルビアが、さっと席を立ち上がると腰に手を当てて要求する。
「いや、悪いがこちらも慎重なんでな。このメイドは婚姻成立まで預からせてもらおう」
それを聞いたシルビアは腰を手に当てたまま、「また意味のないことを……」とつぶやいて首を横に振った。
「お嬢様すみません。お手間をお掛けします」
バネットも面倒くさそうにイグニスを見た後、すまなそうにシルビアへ謝罪した。
二人の様子を見守っていたルークス王子も、やれやれという感じで立ち上がると目つきを鋭くしてイグニスを正面から見据えた。
「貴族との関係を得たければ、メンツを重んじる貴族との付き合い方を覚えろ。今ここでバネットを返さなければ、別の貴族を敵に回すことになるぞ」
彼は今までとは違う低く強い口調で、要求の多い商会長に対して物申した。
言葉の意味や本気度を感じ取ったイグニスは、一瞬だけ沈黙した後に作り笑いを浮かべる。
「……それは本意ではないな。分かった。メイドは返す。まあ、既に契約書があるんだからな」
ルークス王子から視線を外したイグニスは、顎で指図して扉の前にいた配下たちをどかせた。
ようやくイグニスの部屋を出ることができた三人は、三様の表情で傭兵商会の中を進むと建物の外に出る。
シルビアは口角を上げて含み笑いをしながら。
バネットは無表情を装うべく目を細めて。
ルークス王子は吹き出しそうなのを我慢して。
三人揃って傭兵商会を出るとルークス王子の馬車に乗り込む。
客車の扉を閉めて三人無言で顔を見合わせると、ようやく表情を緩めた。
「バネットが無事でよかったわ」
「皆様にはご迷惑をお掛けしました」
「シルビアはもう侍従に間違われないように、令嬢らしく振舞わないとな」
「う、うるさいわよ、ルークス!」
「でも俺は正直気に食わないな。後で婚約が解消されるにしても、体裁は奴の方から婚約解消を言い出す訳だから」
「本人が気にしてないんだからいいのよ。本当に好きな相手から婚約解消されたらショックだけど、ワイルド系は別に好みじゃないし」
その言葉を聞いたルークス王子は一瞬嬉しそうにした後、すぐに表情を戻す。
「で? 奴はいつ婚約解消を言い出すんだ?」
「それはあいつの根性次第。いつまで私の加護の力に逆らえるか見ものね」
「お嬢様。せっかくですから、イグニスに侍従になる約束を守らせましょう。そろそろ私も後輩が欲しいと思っていましたし」
「もちろんよ。あいつはいろいろ使い道がありそうだもの」
「では、さっきの喫茶店で婚約解消の申し出を受けてはいかがでしょうか」
「俺は反対だな。シルビアが婚約解消されるのを、他の客や従業員に知られるぞ」
「あらルークス、優しいのね。でも多分平気よ」
シルビアがにやにやと口角を上げてバネットを見ると、バネットも目を細めて冷笑する。
心配したはずのルークス王子は、二人の怪しい微笑みに背すじをぞくりと震わせた。
「まずは宿へ行って服を着替えるわよ!」
自分の恋愛以外だと強気のシルビアは、これから起こるイベントを前にして貴族令嬢らしいドレスへ着替えることにした。
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