第三話
伝言男から期限は翌日の朝までと言われたが、シルビアとルークス王子はそのまま傭兵商会へと向かう。
彼の馬車で今すぐ傭兵商会へ乗り付けて、相手の準備が整う前に決着を付けようというのだ。
傭兵商会はギルドのような組合とは違い、商会長をトップとした体育会系で利潤を追求する組織。
護衛や警備、戦争などあらゆる武力行使を有料で引き受ける武力のプロ集団として有名である。
傭兵商会に到着した二人は、訪問者向けの一階受付でヴェルファーレ家の者だと話すと、二階奥の部屋に商会長のイグニスがいると伝えられた。
早速、今回の首謀者で傭兵商会の代表、イグニスと対面である。
唇を強く結んだシルビアが、形だけのノックをして「どうぞ」の返事を聞く前に勢いよく扉を開けた。
部屋の両脇には本棚、正面奥の窓際にはこちら向きに大きな机があり、こちらを向いて椅子に踏ん反り返る三十台くらいの赤髪の男性がいる。
バネットを攫った組織の男は、シルビアが想像していた太ったオヤジではなくスタイルの良い偉丈夫だった。
クセのある赤く長い髪で、ジャケットの上からも分かる筋肉質な体、行儀悪く机の上で脚を組んでいる。
手前には応接用の低いテーブルを挟むように二つのソファが置かれ、なんとそこにバネットが座ってお茶を飲んでいた。
「あんたねぇ。優雅にお茶なんか飲んじゃって、私がどんだけ心配したと思ってるのよ」
腰に手を当てたシルビアが声を荒げると、バネットはすまし顔でこちらを見た。
「ご心配をお掛けしました。私はこの通り、丁寧に扱われています。ですからどうか今回は、程々で許してあげてはもらえませんか」
「何が程々よ。自分の心配よりも相手の心配をしちゃって」
「今までの奴ら比べますと、それほどの悪党ではなさそうですし」
「でも私、貴女を攫ったことは許せないから」
学園時代の悪友としてシルビアを知るルークス王子は、好き放題振る舞う最近の彼女を知らないのか驚いている。
「お前、いつもそんなにやり過ぎるのか?」
「そ、そんなことないわよっ」
ひょんな会話で日頃の悪女ぶりをルークス王子に知られてしまい、シルビアは顔を赤くした。
「……おい!」
いきなり部屋に入り込んで、自分たちで勝手に会話を始めたのが気に食わなかったのか、部屋の主が怒気を込めて呼び掛けた。
「どうやらヴェルファーレ家の者らしいが、俺は侍従なんか呼んでねぇ。そっちの男も当主のレパード様じゃねぇだろ」
「ごちゃごちゃ、うるさいわね! 人攫いみたいなことしておいて、偉そうに文句垂れてんじゃないわよ!」
今回の首謀者相手に一歩も引かず、正面から言い返すシルビアに赤髪の男は呆気にとられた。
「いや、お前、侍従のクセに態度デカいな……。口も悪いし……。なあ、シルビア様。あんた、侍従に一体どういう教育してんだ?」
赤髪の男は、明らかにソファへ座るバネットに向けて苦言を呈した。
それを聞いたバネットが、ゆっくりとシルビアの方に顔を向ける。
彼女は今にも吹き出しそうなのか、口に紅茶を含んだまま頬を大きく膨らませて、口先を必死に閉じていた。
シルビアが腰に手を当てて呆れた様子で指摘する。
「あはは。あんたバカね。シルビアはこの私よ。こっちの娘は侍従のバネット。反対よ」
指摘を受けた赤髪の男は「はあ?」と声を漏らすと、やれやれと憐れむような表情をして小さく首を横に振った。
「お嬢様を助けたい一心で下手な演技をするのは分かるけどよ、そんなひどい態度の令嬢がどこにいんだよ。令嬢ってのはな、ソファで優雅にお茶を飲むシルビア様みてぇのをいうのよ」
彼は「うんうん」と小さく頷きながら、腕を組んで満足そうにバネットを見ている。
バネットはさっきからシルビアの方を向いたままだが、頬を膨らませて目に涙を溜め、プルプルと小刻みに震えていた。
あと少しで紅茶を吹き出しそうだ。
ちっとも勘違いを認めようとしない商会長イグニスに対して、ルークス王子が一歩前へ出た。
「おい、商会長! 令嬢ってのは素行のいい奴ばっかりじゃないんだ」
「いや、この態度で令嬢だと言い張るのは流石に無理があるだろ。シルビア様は名門貴族ヴェルファーレ家のご令嬢だ。当然お淑やかに決まってる」
「イグニス、お前は何にも分かってないな。態度が大きくて口が悪い彼女こそ、まさしくシルビアじゃないか! なあ?」
「違うだろ。おい侍従、シルビア様はお淑やかだろ?」
ルークス王子と商会長イグニスの双方が同意を求めてくる。
「……それ、答えなきゃダメ?」
自分の言動が原因とはいえ、敵である商会長イグニスが主張する「お淑やか」を彼女自ら否定し、仲間であるルークス王子が主張する「態度が大きくて口が悪い」を肯定するのは、流石のシルビアも嫌なようだ。
眉を寄せた渋い表情のシルビアは、返答に窮して口をすぼめたので変な顔になった。
「ぶほぉ!」
主人の変顔を見たバネットがついに耐えきれなくなり、口に含んでいた紅茶を盛大に吹き出した。
◇
「まさか、本当に貴女がシルビア様とは……失礼した」
驚くことに赤髪の男イグニスは、シルビアの前まで来ると跪いて非礼を詫びた。
「……じゃあ、バネットを連れて帰るから」
濡れたテーブルを拭くバネットの手をシルビアが掴んだところで、イグニスが手に持ったベルを鳴らした。
「帰るのは話が終わってからにしてもらいたい」
ベルの音を聞きつけた男どもが、ドヤドヤと部屋に侵入してくる。
鎧こそ付けていないが、鍛錬していると分かる屈強な体躯の男ばかりが五人、部屋のドアを塞いだ。
「本当はレパード伯爵と交渉したかったんだが、まずはシルビア様にお話ししよう」
配下たちに威圧的な行動をとらせつつも、イグニス本人はいたって穏やかな口調だ。
それが逆に脅しになるのを分かってやっているようで、彼は口元へ微かに笑みを浮かべた。
部屋に走る緊張にシルビアとバネットが身を寄せ合うと、彼女らを守るようにルークス王子が身構える。
「その前に彼女たちの安全を保証しろ」
身構えて警戒を続けるルークス王子は、イグニスの前に出たが、怪訝な顔をした商会長は彼を足先から頭までじろりと見た後、どっかとソファに腰かけた。
「平民にしてはいい服を着てるが、お前は一体何者なんだ? 使用人かと思ってたがどうやら違うな……。もしやシルビア様の婚約者か?」
「シ、シルビアに婚約者はいない。俺は仲のいい友人だ」
「友人……ってことは貴族か。それは失礼した。お二人共まずは座ってくれ」
これまで見せたイグニスの態度は、貴族に対する礼儀が全くもってなっていない。
だが、それでも貴族とは良好な関係を維持したいという配慮が、発言のところどころに見え隠れした。
一見したら、商売相手である貴族に対して、育ちの悪い者が精一杯気を使っているように見えるけど……。
でも私には、イグニスがワザと粗野な態度をとって主導権を取ろうとしているだけで、本当は礼儀を尽くせるだけの素養があるように見えるのよね。
武闘派の傭兵商会トップであるこの男、実は交渉上手な切れ者なのかもしれない。
シルビアは周りを確認するが、現状を打開したくても扉は男どもに塞がれている。
帰るにはイグニスに従い、話を聞くしか手段がなさそうだった。
シルビアとルークス王子は顔を見合わせて頷くと、大人しくイグニスの向かいのソファに座った。
一人の屈強な男が台車を押しながらローテーブルに近づくと、三人分のティーセットを並べ、バネットが使っていた分を下げた。
「タフネスが入れる紅茶は美味いんだ。飲んでくれ」
丁度喉が渇いていたシルビアは、躊躇せずに紅茶へ口を付ける。
「あらほんとね! 美味しいわ」
とてもムキムキの男が淹れたとは思えない美味しい紅茶に、シルビアが感嘆の声をあげる。
その様子を見ていたイグニスは、目を見開くと「へえ」と声を漏らした。
「この状況で肩の力を抜いて紅茶を飲めるとは。しかも味に正当な評価まで。てっきり紅茶を引っ掛けてくるかと思ったが」
「そんなことしないわよ。えーと、ねえ貴方、タフネスだっけ? 貴方の淹れた紅茶、本当に美味しいわよ」
急に話しかけられ、日頃紅茶を嗜む貴族令嬢に美味しいと称賛されたタフネスは、よほど嬉しかったのか顔を赤くするともじもじした。
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