第二話
「ケーキへニンニクを入れるなんて、普通思いついてもやらないわよ」
「すごい臭いですね」
「ほら、あなたも座って付き合いなさい。今は町娘二人って設定なんだから」
シルビアは、横に立っていたバネットを向かいの椅子に座らせると、彼女の皿のニンニクケーキをひと欠け取って食べさせた。
「もぐもぐ……甘さを排した薄塩味の生地に動物性脂が練り込まれ、不思議とニンニクがよく合います」
「この、一見アーモンドチップに見えるニンニクチップが、思いの外いい香りね。とても食欲をそそられるわ」
今日の宿を確保したシルビアは、お付きの侍従、バネットを連れて話題の喫茶店でお茶を楽しんでいた。
この店は高価な砂糖を使った定番の甘いお菓子の他に、巷では珍しいおかずケーキというものを売りにしていた。
今までのお菓子に飽きた貴族令嬢たちにとって、今、最もホットな話題の一つである。
だが、下町にあるこの店は令嬢たちには訪れ難く、シルビアも今まで来れていなかった。
それが今日は家出のために商家の娘の恰好をしているのが幸いし、こうして念願叶ったのだ。
今はプチ家出中なので馬車ではなく、移動はシルビアとバネットの女二人で徒歩だ。
そうすると、貴族然とした如何にも金持ってますという恰好では、変な奴らが絡んできて恐喝や強盗など危険な目に合うかもしれない。
プチ家出に慣れた二人はその点を考慮して、ちょっと裕福な商家の娘風の衣装を着てきたのだ。
以前母親からは、そんな恰好でうろうろするなと小言をもらったシルビアだが「家出中の恰好にまでケチを付けるな!」と強弁したら、もう何も言われなくなった。
「やあ、めずらしいところで会ったな」
二人が丁度おかずケーキを食べ終わったところで、テーブルに近寄ってシルビアに話し掛ける男性がいる。
シルビアもバネットも黙っていれば美女であるため、プチ家出で街を歩くと声を掛けられることがある。
でも声を掛けてきた男性は、シルビアが知っている相手だった。
「ルークス殿下じゃない!」
「しー! 街へ出ているときは呼び捨てにしてくれよ」
ルークス・レイモンド。
ステラ王国の第四王子で学園時代からのシルビアの悪友。
王族だが権威をかさに着ず、男前でノリがよく、そして何故かシルビアに優しい。
本来であれば高貴な生まれの王子が、こんな下町をうろつくなんてあり得ない話。
だが彼は、その自由奔放な性格からちょくちょく身分を隠して街へ遊びに出ているのだ。
ちなみに彼の服装は下町にお忍びで来ているからか、王族然とした煌びやかな物ではなく、割と落ち着いた貴族の服である。
この辺が偉ぶらないルークス王子らしいのだが、ただ単に下町で遊び慣れているともいえる。
侍従のバネットいわく、ルークス王子はシルビアに好意があるとのことだが、星の加護が気になってまともな恋愛に臆病な彼女は、彼の好意がよく分からない。
そんなシルビアも彼には好意を持っているが、逆に自らの想いが恋心にならないよう、ルークス王子はただの友人なんだと強く意識するようにしていた。
好きになっても悲しくなるだけ。
彼女は破局の星の下に生まれた。
互いの愛がない婚約では、星の加護の力が働いて相手の方から婚約解消を言い出してしまう。
そのためシルビアは、貴族令嬢として政略婚ができるように、少女の頃から婚約相手を惚れさせるように諭されて育ったのだ。
だが彼女は、性格上計算高い恋愛なんてとても無理だし、相手に媚びて注意を引くなんて恥ずかしくてできない。
幼い頃から破局の星という特別な加護に怖気づいて、恋愛にはかなり臆病になっているのだ。
一方ルークス王子の方は、シルビアが自分で破局の星の加護持ちだと打ち明けたので、既にそのことを知っている。
最初に打ち明けられたその話に彼は驚きはしたものの、だからどうしたという感じで大して気に留めたふうでもなかった。
「へぇ、お嬢様でもニンニク食べるんだね?」
「いいでしょ、ニンニクくらい食べたって。そもそもここはそういうお店よ。大体今日は誰とも会うつもりなんてなかったし……」
「俺と会ったよ?」
「べ、別にルークスと待ち合わせしてた訳じゃないし!」
口を尖らせたシルビアは顔を横に向けた。
彼女が臭いを意識して彼から顔を背けていると、バネットが横に来てさっとハーブミントの葉を差し出してくれる。
急いで口に放り込むシルビア。
彼女は仲のいい男性からニンニクケーキのことを指摘されて、穴でもあったら入りたい気持ちになった。
「平気平気。実は俺も同じなんだ」
勝手に同じテーブルについた彼は、手の平を顔の前でヒラヒラと横に振った。
何が同じなのかとシルビアが見ていると、なんと彼にもニンニクケーキが運ばれてきたのだ。
きっと私たちを見付けたときに、気を利かせて同じものを頼んでくれたんだわ。
王子なのに気取らない、こういう優しいところが女にモテるのよね。
でも正直言うと、ニンニク料理を食べているときは、声を掛けずに放っておいて欲しいのだけど。
それでも久しぶりに、学園での悪友に会えたことが嬉しくて話が弾んだ。
「それで、二人してそんな恰好でお茶してた訳か」
「たまにこうやって家出して、私の境遇をお母様に思い出してもらわないと、結婚しろしろ言い出して大変なのよ」
紅茶の代わりにオニオンスープを飲むルークス王子は、残ったニンニクケーキを美味しそうに頬張ると軽い調子で質問する。
「破局の星の加護ってさ、相手がシルビアのことを好きなら働かないんだよな?」
「いいえ、相手だけじゃなくて私も好きじゃなきゃダメなのよ……ってちょっと! こんなとこで話さないでよ! これでも一応秘密にしているんだから。内緒だって言ったでしょ?」
「悪い。そうだった」
素直に謝るルークス王子を可愛らしく思ったシルビアは、すぐ機嫌を直すと話を続ける。
「まあ、政略婚の相手は元々実利が目的だし、好き嫌いで婚約してる訳じゃないから、愛ある婚約なんて無理な話なのよね。そもそも私みたいな女が相手をその気にさせるなんて、とてもできないわ」
「そうかなぁ。俺にとってシルビアはかなり魅力的だよ?」
「えっ、なっ! ちょ、ちょっと何言ってんの!? またそうやって人のことからかって!」
顔を赤くして抗議したシルビアをルークス王子は楽しそうに見ている。
そんなやり取りをそばで見ていた侍従のバネットは、また始まったと呆れた表情をして退屈そうに手遊びを始めた。
「このおかずケーキって結構美味いな。もう一個注文しよう」
「えーじゃあ私も食べようかな。でも品揃えが奇抜すぎてメニュー表じゃ味の想像がつかないのよね……。ねぇ、せっかくだからおかずケーキのショーケースを見に行かない?」
シルビアは笑顔で立ち上がると、ショーケースを見に行こうとルークス王子を誘った。
「バネットはテーブルにいてもらえる? 全員が席を離れちゃまずいだろうし。注文は私と同じものでもいい?」
「恐れ入ります。では私はここでお待ちしています」
主人が立ち上がり、侍従がテーブルに残るのは普通では考えられないことだが、ルークス王子と楽しそうに話すシルビアを見たバネットは、気を遣って素直にテーブルで待つことを了承した。
二人してああでもないこうでもないとショーケースの前で思案し、シルビアがトマトとチーズのおかずケーキ、ルークス王子がベーコンとアスパラのおかずケーキを注文した。
「おまたせ、バネット」
フンフンと鼻歌交じりで席まで戻ったシルビアは、表情を強張らせた。
バネットの席に彼女の姿はなく、代わりに瘦せこけた怪しい男が座っていたからだ。
「誰なんだ、お前は?」
シルビアを下がらせたルークス王子は、あくまで小声で痩せた男に問い掛ける。
彼は立ち上がると不敵な笑みを浮かべた。
「俺はただの伝言役。いいか、よく聞け。ヴェルファーレ家の令嬢、シルビア様は我が傭兵商会に丁重にご案内した。会いたければ当主が明日の朝までに傭兵商会へ交渉に来い」
「え⁉ ちょっと貴方何言ってんの??」
「あくまでお嬢様はご招待しただけだ。丁寧な応対を約束する。だから通報はするなよ。通報したらどうなるか、分かってるな?」
バネットが攫われた⁉
でもこいつら、私を攫ったと思ってるの?
それって私と間違ってバネットを攫ったのよね⁉
何か交渉するのが目的みたいだけど……。
それよりも人違いだって教えて、こんな馬鹿なことをやめさせなきゃ!
「ねえ、あんた間違ってるわよ。あの娘じゃなくて私が……ムグムグ」
焦ったシルビアが間違いを指摘しようとしたが、バネットが残していったニンニクケーキを口に放り込まれてしまった。
ルークス王子が食べさせたのだ。
「何やってんだお前ら……。とにかく俺は伝えたからな」
伝言が終わったのか男は立ち去った。
眉間にしわを寄せたシルビアが、立ったままルークス王子に詰め寄る。
「ちょっと! 何で間違いだと言わないのよ」
「今間違いだと伝えて、バネットに人質の価値がないと思われたら、逆にバネットの命が危ない」
「そ、そうか、そうよね。ありがとう!」
「だが対応が難しいな……」
「なんで? 急いで家に戻ってお父様に頼めば何とかしてくれるわ」
「いや、侍従のためにヴェルファーレ伯爵が危険を冒して自ら乗り込み、直接交渉するとも思えない」
シルビアは父親であるレパード・ヴェルファーレを思い浮かべる。
彼女はあの優しい父親なら、自分が攫われたとあればきっと助けに動くと思った。
でも、攫われたのがシルビアではなく侍従のバネットならば、ルークス王子の言う通り警備隊に通報するのが順当だろう。
何せ彼女の父親は典型的な事務方で、荒事には全く向かないからだ。
「でもそれで警備隊へ通報することになったら、あの伝言男の条件に反しちゃうわ」
「俺だけで何とかしてやりたいところだが、傭兵商会の本部に行くんじゃ力ずくで奪還するのは厳しいか。期限が明日の朝じゃ、王国兵を動かすには時間が足りない」
「もし、バネットに何かあったら……。ねえ! 奴らの要望はヴェルファーレ家との交渉よね。それなら私が行くわ。私だってヴェルファーレ家の貴族なんだから!」
「やめておけ。シルビアが行ったら奴らの思うつぼだ」
ルークス王子の制止に彼女は首を横に振った。
「バネットは私の大切な侍従。絶対に奴らから彼女を助け出すわ」
シルビアは震えながらも迷いのない口調でルークス王子に答えた。
彼女の覚悟を見た彼は目を見開くと、力強く見つめ返してゆっくりと頷いた。
「決意は固いんだな? なら安心しろ。二人は俺が守ってやるから」
優しい口調で答えた彼は、店員が運んできたアスパラとベーコンのおかずケーキを受け取って一口だけ頬張ると、彼女を連れて喫茶店から出たのだった。
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