第2話 嘘

 コンコン。

 この時間のドアの音は私の心臓も一緒に叩き上げる。



「失礼します。

 こんにちは、佐々木ささき 麗桜うららさん。

 本日も担当します。河野こうの 歩夢あゆむです、よろしくお願いします。

 調子はいかがですか?」



 好きな人からのいつもと同じ挨拶に、私は平然を装いながら返事をする。



「普通、です。歩夢先生はどうですか?」


「麗桜が元気なら僕も元気だよ」



 歩夢先生の言葉の端々はしばしに私の体温が勝手に上昇する。

 それも毎日だ。

 彼は私を担当している研修医であるため、入ってくる時は敬語で声がけをして、私の返事の後は、年下である私の年齢に甘えてか『麗桜ちゃん』と呼び、柔らかな常語に変わる。その使い分けの仕方に、先生だと認識させられながらも歳の近い少し大人な男性だと勝手に認識してしまうのだ。

 そんな歩夢先生に私は恋をしてしまった。


 私はこの初恋を隠すために、歩夢先生といつも通りのやり取りを繰り返す。もちろんいつも通りの嘘も。



「麗桜ちゃん、なにか思い出せた?」



 歩夢先生はいつも軽くそう言って、私がうつ枯れ病になったきっかけ、そしてこの病を治す手がかりを探っている。けれど私はその問いに、恋心を濁してして「いえ。わかんないです」と隠すのだ。

 

 もちろん理由がある。正直に答えてしまえば退院に近づいてしまうのだから……。


 退院したら私は普通に生きられるのだろうか。

 私の場合、うつ枯れ病は恋をして回復した病。

 退院したら……、歩夢先生と離れたら、また病状が悪化しまうかもしれない。そんな可能性を考えると、恐怖が心臓をがぶりと噛み付く。

 でも一番の理由は私が初恋を捨てきれない17歳だからだ。この片想い入院生活を終えたくない。このまま終えるなんて……。


 歩夢先生への憧れがすっかり恋心に変わった私は、歩夢先生を見るためだけに毎日患者を演じた。




 ──それでも私は少しだけ罪悪感を感じていた。答えられる質問に答えなくて、ずるい私にこのままでいいのかと問いかけて続ける。

 しかし、何かをするにはきっかけが必要だ。病院ここから出る、の恐怖心がなくなる、そんなきっかけが──。






 未来、未来か……。私がうつ枯れ病になった理由はたぶん『未来への不安』だったと思う。



 私は今現在17歳。〝うつ枯れ病〟が発症した年齢は16歳、高校1年の終わりかけの2年生になる前の春だった。




 ──────




 あの頃は「あと2年で受験がある」と耳にタコを作るほど聞かされていた。だからこそ、当時の私はこの高校に入ったことを後悔していた。

 それもそうだ。親が行けって言うから入っただけの進学校。私が選んで通った場所じゃない。もっと楽しい生活があったかもしれないのに……。1年前の私はそう思ってた。


 あの頃は進学、未来の不安を散々学校に煽られて、私は未来から耳を塞ぎ、目を閉じたのだ。そして〝生きること〟から逃げようとして、それが〝うつ枯れ病〟になるきっかけとなったのだろう──。


 ただ、悲劇はそれだけで収まってはくれなかったのだ……。



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