NO160/ケンジの初めて海外お一人様旅日記

ヒロト2023年令和5年2月5日(日)

ケンジが語りますよ。初めての海外旅行で、感じる事、おおいにあったようです。

前振りが長いですが我慢して読んであげましょう。

ケンジ、一部不適切と思われる表現、文言があるようなので、不本意ながらちょこっと変えさせてもらうよ。

お前さんの日記、いろいろ人が読んでくれているからね。ちょこっと気を使った方がいいかなと思ったわけ。


ケンジ1986年昭和61年7月13日(日)

今日の日記は長くなると思う。何しろ書くことがたくさんあり過ぎる。あまりあり過ぎてどう書き出して良いやら戸惑ってしまう程だ。ちょうど風船にいっぱいに詰まった空気が、ホンの小さな出口からシューっと強烈に吐き出されるような具合で、どれもこれも先を争って外に出ようとするので、消化しきれずにあっけなく出てしまうような危惧もある。そこで一番目は今の私の気持ちを表現しよう。世の中いろいろな土地で様々な生活が営まれているということは、以前にも何度も述べたことであるが、今またそれを強く感じているのだ。世界中の人間がそれぞれの生活範囲というカゴの中で、今日生きるために生活している。そのカゴの大きいもので言えば、ヨーロッパ、アフリカ、アジア、アメリカ等の大陸に分類されるものから、小さいものは日本の東京都、大阪府、九州、北海道というような、日常、自動車や電車で通える範囲を指す場合もあり、更に小さい生活圏を持つ人たちとして、その土地柄、生まれてからずっと小さな島から外へ出たことがないというような人間生活を営む人たちもいる。

そして、人間が自分の毎日接している生活圏で生活に追われている時、人間はそれがどんなに大きくとも小さくとも、その大きさや小ささが不便に感じたり不自由に感じたり、またそれに関して今の私のように深く思うというような思案は持たない。その自分たちの生活圏が全てであるとして、自分の出来る限りのことをして、より楽しく、ある時は半分惰性的とも思える自覚の無さで毎日を送る。それの連続で一生を終え墓場に入る。これが人間の姿であり、そこに多少後生に名を残して墓場に入る者と、何も残さず骨になる人との差があるように思われるが、実はこれはあくまで第三者の目で、歴史的学問的客観的に、この世に生きている生身の人間がほんの一瞬の時間に思うことであり、死んで骨になることには何ら変わるところはない。キリストも釈迦も孔子もアインシュタインも、みんな100年に満たない生身の一生を終えたことに変わりはないのであり、後生の人間たちが、その人たちの名前や教えを知っていたりありがたく思ったりすることも、死んで骨になった者にはわからないのである。生身の一生はあくまで生身の一生であり、大統領だろうが金持ちだろうが乞食だろうが娼婦だろうが、同じ一生なのである。同じ生身の一生だけを比較するなら、その一生を屈託なく出来る限りの行動をやり通す人間が幸福なのではあるまいか。乞食は果たして自分を卑下して世間に対して物怖じしながら生活しているのだろうか。娼婦は自分を惨めな人間だと思って毎日生活しているのだろうか。否、彼らも全て毎日自分の出来る限りの行動をしているのだ。もしそうでなければ自分等はこの世に生きていないので良いのであり、即死ぬだろう。しかし、世の中の乞食が、またその他の全ての、一般世間の見識から見て、どうしても蔑んで見られる生き方をしている人間が全て死んだら、世の中にそういう職業や卑下ということ自体がなくなるのであり、逆に人を救うというような神の教えなどというものは存在しなくなるのだ。世の中の人間は全て、この世に生を受けた以上自分を肯定して生きているのだ。人間的生は肯定であり、否定は即死なのである。キリストも乞食もこの世に生きている生身の一生を送っているうちは肯定の人生を送っているのであり、誰でも平等に死んで骨になれるのである。ということで、妙にチンプンカンプンな哲学的述懐から入ったが、それ程今の自分は、世の中に対して、こせこせ生きることに対してそのナンセンスを感じているのだ。せっかく生身の身体を得て、地球の空気を吸って生活しているのだから、コンプレックスとか、自分を卑下するとかいうことは抱かないほうが正当である。卑下は第三者が勝手にすればいいことであるから、わざわざ自分の首を締めるような行動に出る愚挙は犯さない方が良いのだ。とにかく現在自分を肯定して生きている以上はね。

さて、なかなか難しい問題から入ったが、そろそろここ数日の具体的行動について語ろう。それらを全て語り終えれば、何故私がここにこのような小難しい理論を述べたかが理解できると思う。

8月8日から昨日11日まで、三泊四日台湾旅行に行ってきたのである。もちろん私にとって生まれて初めての海外。胸をときめかせて出かけて大スペクタクルロマンの旅であった。旅行費用13万弱、それはロピーツァーというツァーの費用である。持参した金米ドルのトラベラーズチェック1000ドル。日本円4万円。このほとんど、それこそ千円だけ残して、この四日間で全て使い果たした。

凄まじき散財旅行である。日本人が東南アジアの国々から絶好のカモにされる所以である。私のツァーはツァーとは名ばかり、私一人きりのツァーであったのだ。成田空港から出て再び成田空港へ帰り、リムジンバスで新宿まで出て中央線で帰って来るまでまったくの一人旅。どんなに心細い思いをしたことか。特に、出発の成田空港では、集合場所に着いたものの、他のツァーの団体ばかりは目に付くのだが、私を案内してくれる者は誰一人居らず。まごまご戸惑うばかり、やっとの思いで私のツァーの看板の出ている場所までたどり着き、これも人間味に欠ける事務的口調の女性担当者から行き帰りの切符を渡され、では行ってらっしゃいの一言。私としてはどこをどう行ってらっしゃいなのか、右も左もわからぬまま放り出されたのだ。

そんな折、以前から腹の調子がおもわしくなく、心細さはつのるばかり。とりあえず旅行保険に加入する。たった三、四日の旅行なのに四千なんぼとられる。しかし心細さが手伝って、何よりもまず保険に入ったのだ。いつもの私からすれば考えられないことである。生まれて初めての海外旅行というものに対しての私の心構えがはかり知れる。

その後出国手続きとやらで、パスポートやいろいろな書類を提示して二、三のゲートを通過。ようやく何とか飛行機の座席に腰を下ろしたところで一安心。

そして台北到着。もう今度は看板を見ながら理解できるという日本語ではない。当たり前のことであるが、案内板は全て中国語。同じ漢字であるからよーく見て考え考え判断すれば何とかなるとはいうものの、今度は成田空港の時よりゲートが一つ多い。とにかく他の人たちの並んでいる列の後ろに並ぶ。始めはパスポートと入国書類、二つ目はパスポートともう一つの税関手続きのような書類の審査であった。そこも、他の人たちの見よう見真似で何とか通過したが、果たしてどこへ行ったらいいものやら、とりあえず目の前にある両替所らしき看板のカウンターでトラベラーズチェック200ドル分を台湾ドルに替える。これでどうやら手続きは終わったようだ。

そのままカバンを持ってキョロキョロ辺りを見回しながら出口らしき方へ歩いて行く。柵の向こうにホテルの呼び込み風の人たちが、盛んに何かわめきながらこっちへ視線を投げてくる。私はロビーツァーのバッジを帽子に付けてはいるものの、そのバッジがまことに小さいので果たして現地のロビーツァーなる関係者に会えるのか、心配は極に達する。

その時、柵に並べてある立て看板の一つに、やっとロビーツァー栗原謙次と書かれている看板を見つけた時は、おそらくこの世の安心を全て手にしたような心持ちであった。

向こうの係員と初めて言葉を交わす。向こうは片言の日本語がわかる。良かった。そのままその案内人の車に乗り、荷物はトランクに入れてもらう。車の後ろのシートに案内人と二人並んで座り、日本語で話をした時は、これでどうやら無事旅行出来そうだと胸を撫で下ろす思いであった。

その案内人はテイさんという名刺を私に渡す。即台北市内へ入り、方々の名所旧跡を案内してもらう。かなり日本語のうまいテイさんではあったが、それでもこっちの質問にややもするとトンチンカンな答えが返ってきたりして、本当に理解できるところまでは行かぬと悟る。

テイさんは親切であった。私は心のどこかには、まだ何やら警戒心がぬぐいきれないものの、90%の安息を得た。

そして早くも午後二時頃、日本時間とは一時間の時差があるので日本では午後三時頃、早くも今回の私の最大の目的、台湾の女性の揃っている店に案内される。ここからはもうテイさんではなく、私の指名した女性との旅となる。私が指名した女性は加賀まりこに似た身長165センチという大柄な娘。年は23歳ということだった。私とテイさんはその店で30分間ぐらいビールを飲んだり、カラオケを歌って、その指名した娘が夕方六時に私の泊まる中泰賓館433号室に来るという約束をして店を出、即ホテルに直行してそこでテイさんと別れる。その店に払った金が女性三泊分、しめて六万円。私もずいぶん大胆に三日分も払ってしまったものだ。別に一日分でもよかったのだが、店のママさんというホステス頭風のオバさんが、実に遣り手ばばぁといったタイプで、なんだかわからないうちに、私の旅行日程中の全ての三日分ということで契約してしまったのだ。おそらくこの中にはテイさんら旅行会社の人たちの取り分も入っているのだろうが、それにしてもそう安くはない。女の子には別にチップとして一泊一万円払えと言うし、昼間ガイドをやってもらうならそれなりにまたチップを払うというのだ。しかし、せっかく台湾まで出かけて始めからケチるのもどうかという、いつもの私のワルいクセが出て、女の子が気に入らなければいつでもチェンジ可能という約束をして、すんなり話を決めた訳だ。

そして、夕方六時、その娘が私の433号室のドアをたたいた。………………………………


ヒロト2023年令和5年2月16日(木)

ケンジ、いよいよ……だね。

お取り込み中、申し訳ないけど、これから前の職場の人たちと飲み会なんだ。

その話はまた後で楽しませてもらうね。

じゃ、行って来まーす。



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