NO99/ケンジの沖縄オレの沖縄

ヒロト2022年令和4年5月17日(金)

ケンジは68年と7ヵ月にもう少しというところまで、最後は癌太郎と闘いながら頑張った。その人生の中で、ジローさんとのコント修行はまだ半年あまり、だけどこの二人での時間は、やたら濃い時間だよね。目が離せない。そして、48年の時空を超えて、ジローさんが今の心情を吐露しています。

『1974年6月17日 11:53

すべて過去の事として記憶から抜け落ちているし、細かい所まで覚えていないが、読み進むうちに当時の自分に帰っている。

今となれば、この時の経験が後の舞台に、大いに役に立っていると思う。

関東と関西のお笑いの感性が微妙に違う面もあり、意見が対立した面もあったのだろう。

とにかく才能も経験もない二人が、もがきにもがいている図式のような感じがする。

もう少し余裕があれば良かったと思うが、当時の二人には無理だよね。』


ジローさんの心の声、ケンジに届いたかなぁ。なんだか今、この『届け!交換日記』、始めて良かったなぁと、しみじみ感じています。

さあ!まだまだ続きますよ!


ケンジ1974年昭和49年11月14日(木)

あっー寒かった。今日も一日絶好の青空にも、冷たーい北風が私の身体を突き刺していった。でもこの寒さとも明日からはちょっとの間お別れである。明日の昼にはもう私は、遥か南の島沖縄にいることだろう。何か今夜は眠れそうにない。

そんな今日は、松竹演芸場へ久しぶりに見学に行き、相変わらずの演芸を見てきた。本当に、あの演芸場に行くと、私らでもどうにかなりそうだという自信が湧いて来る。というのは、その舞台でやっていることが、私らの現在できる芸のレベルとそんなに大きな差はないように感じられるからだ。とにかく私らももう一息であるように思われる。頑張らなくっちゃ!

しかしもう明日の沖縄行きのことがいっぱいで、今夜はこのへんにしておこう。


ヒロト2022年令和4年6月17日(金)その2

昨日の朝、NHKあさイチに、片岡鶴太郎が出演していて、自分のデビューは浅草の演芸場だったと話していたよ。客が4、5人の時もあったって。でも、ツービートが出る時は、客は4、5人でも、舞台の両袖に二人の芸を見ようと芸人が集まり、客席よりも袖の方が人が多かったってエピソードトークをかましていたよ。

鶴太郎は1954年生まれ、1973年19歳の時に、声帯模写の片岡鶴八師匠に弟子入り、浅草で3年間修行したんだって。ちょうどケンジたちとかぶってる。どっかで会っていたかも知れないね。


ケンジ1974年昭和49年11月15日(金)

今、私は沖縄の都ホテルという大ホテルの816号室でこの日記を書いている。全日空のトライスター朝8時45分発の便で羽田を出発。11時20分、ここ沖縄に着く。このホテルへ12時過ぎに着くやいなや、即タクシーによる沖縄南部見学、10ヵ所ぐらい名所旧蹟を見て回ったが、特に印象深かったのは、戦士の墓ではなく、防空ごうでもなく、やはり沖縄の大自然の海底であった。というのは、ガラス船という観覧船のような小舟の底にガラスが張られており、そのガラスを通して、珊瑚礁やらきれいな魚やらが、見事に澄みきった透明の海水を通して、手に取るように生々しく見えるのだ。その小魚の青さの鮮烈さ、妙にバックの土色とのアンバランスな奇景を見せてくれた。よかった。


ヒロト2022年令和4年6月18日(土)

沖縄、いいねぇ。

充分楽しんでらっしゃい。


ケンジ1974年昭和49年11月18日(月)

今、まだ都ホテルの816号室にいる。いよいよ3時の船で沖縄を発つわけだが、土曜日の本番の日以後16、17の両日は、まことに冴えなかった。私以外の三人の同行友達が、三人とも金曜日一日で金を使い過ぎてしまい、この二日間は自由な行動がとれなくなってしまったのだ。沖縄まで来て金が無くて島巡りも出来ないなどというのは、誠に情けない話だ。特にジロー君はこっちへ来る前あれほど心を弾ませて、羽根を伸ばそうと思っている、などと言っていたのに、この二日間は私らの苦肉の策であるバス利用、その辺廻りにも加わらず、たった一人でホテルの周りを散歩したり、ホテルの部屋に籠りっきりでいたようだ。これじゃァーどうしようもない。金の無いというのは、これほどまでに人間を左右するのだ。よってこの二日間は、ナカノ、イナムラ両君と三人で主に行動した。しかし大したこともできず、印象に残る場所へ行った訳でもなかった。でも海岸を歩いただけでも、なんとなく趣きがあった。

さて、これから三日間東京まで船の旅である。ジロー君と二人きりの。何かいいことあればいい。


ヒロト2022年令和4年6月18日(土)その 2

あらあら、ちょっと残念な沖縄紀行になっちゃったね。沖縄は遠いし、なかなか個人的に旅行するのも大変だし、仕事絡みでラッキーとはいっても、金が無いと行きたいところも行けない、又の機会ってそうそう無いだろうから本当に残念でした。

さてこうなると、自分のたった一度の沖縄大冒険の話を書かずには居られない。でも、読む方は面白くないかも。ずっこけ話や困難話がやっぱり読む方としては面白い。とっても良かったなんてェー話は面白くも何ともない。わかっていながらも書かずには居られない。

書くぞい !

時は、ケンジたちの沖縄行から8年後、1982年2月、学校廻りの劇団にまだ所属していた。なんと、初めての沖縄巡業の仕事が回ってきたのだ。2週間ほどで十数校の小学校を廻った。あっという間に終わりである。

もう帰るの?帰りたくないよね。総勢6人のうち、4人は即帰るという。俺ともう一人は残って観光することにした。帰りの飛行機代は現金で受け取っていたけど、それは使ってしまう訳にはいかない。財布の中身は一万円ちょっと、これじゃ一泊したらおしまいだ。

どうする?

実は、一万円札の隣に、買い始めて3回目に当たった宝くじが一枚、隠れているではありませんか!その額200000円、二十万円ダアッ!俺、おめでとう!

早速、当時沖縄で那覇市に一店だけあった第一勧銀の出張所へ向かった。勿論事前に調べておいたわけさー。ちむどんどんするねぇ。

町の小さな郵便局みたいな出張所受付窓口で当たり券を出した。

「ちょっと待ってくださいね、調べますから」少しの間。急に立ち上がって、

「おめでとうございます!20万円の当たりですう!!!」

(わかってるんですけど、、、)

すると、残り数人の行員も立ち上がって拍手、受付の行員が言うには、今まで一万円はあったけど、二十万円は初めてだということ。有り難く受け取って、みなさんに祝福されながら出張所をあとにした。

さあ、これから何処へ行こう?実は何も決めていないし、勿論予約なんてしていない。

そこで、沖縄そば、ソーキそばでも食べながら相談しようと二人で食堂に入った。

そろそろ、もう一人とは一体誰なんだ、と突っ込みが入ります?・・・実は今のカミさんでした。

もうなんか面白くなくなっちゃったでしょ。

後はざっといくよ。

本島は既に少し廻ったので、即石垣島に飛行機で飛んだ。民宿に泊まって、翌日竹富島に小さな船で珊瑚礁を縫うように行って日帰り、星砂の浜で何粒か見つけた。夜は石垣島の飲み屋に行く、帰る頃12時過ぎから混み出した。翌日はまた船で小浜島へ、レンタバイクで信号無し、対向車無しの道をノーヘル、カミさんを後ろに乗せて、南の島の風を切って気持ち良く走り廻った。一般客お断りのリゾート地も走り廻ってやった。

石垣島に戻って、その夜は部屋飲み、泡盛の『どなん』アルコール度数60度、二人とも気絶。

翌日は、二日酔いのまま、プロペラ機で与那国島へ。飛行機、ガタガタ揺れ、雲の下、船が大きく見える。海面が近い。客室乗務員のお姉さんがマイク無し、立って挨拶、天井低く、首を曲げて頭を斜めにしないとぶつかる。機長挨拶、乗務員が襖を開けるように戸を横にスライドすると、操縦している機長が、上半身をよじってこちらを向き会釈した。なんかアットホームな感じ。すぐに与那国空港だ。

飛行機を降りると歩いてターミナルへ向かう。ターミナル?田舎の小さな駅みたいだ。

宿はどうする?あまりにも何もない。とりあえず、タクシーはいた。乗る。ドアは自分で閉める。よく閉まらない、ハンドアのまま。足の下、流れて行く道路が見える、穴が開いているのだ。それでも無線は有って宿を予約してくれた。宿、着。ホテルと名はついているけど、民宿。後でわかった、タクシーの無線基地でもあった。

島についてはあまり明るいイメージは、曇りがちであったせいか持てなかった。何もない断崖の島、サトウキビ畑を抜けて島の端っこへ向かう道にデカイ牛がうろうろ、ちょっと怖い。でも、台湾があんなに近くに見えるのはびっくりした。

一泊だけで石垣島に戻る。まだ金もあるし、直近の用事もない。さあ、あの憧れの島、西表島へ行こう!

船で一時間足らずで到着。民宿もすぐに見つかった。どこを見てもきれい。やっぱり天気は良くなくちゃね。星砂の浜、竹富島は片手一掬い数粒だったけど、ここでは片手山盛り全部が星の砂!感激!

浦内川を船で上る。岸辺の木のてっぺんにとまって辺りを見回しているかんむりワシを見た。滝の手前で船を降り、滝の脇を歩いて登る。この小さな島に緑深い山々、止めど流るさやか水よ(thunamiの歌詞をお借りしました)、雄大な滝を流れていく。自然て、すごい!

南の島に来て、海に入らないわけにはいかない。2月だけど、宿でシュノーケル借りて、岩場のある浅い小さな浜で海に入った。青い魚が俺の足をつつく。潜った。そこは別世界、色とりどりの魚たちが舞う。その舞台は、白い砂と、珊瑚と海藻を纏った岩たちとの絶妙なコントラストだ。俺は雄の人魚になった。なんてね。

さすがに身体が冷えて浜に上がった。するとカミさんの横に小学校低学年の男の子がいる。その子が言った。

「このあいだサー、このへん、サメが出たサー。」

早く言ってよ。

西表島がやっぱり一番気に入った。もっと居たいけどさすがに財布が軽くなってしまった。

2泊して昼頃に、高速船で石垣島へ、そして羽田へ直行便、西表島の船着場を立ってから7時間足らずで自分の部屋に着いた。財布の中身は二千円ちょっとだった。

ああ、書いているだけなのに、帰る部分になるとなんか胸が切なくなる。何十年も前の事なのにね。

それにしてもケンジの旅とは、ずいぶんと違ってしまいました。しばらく買っていない宝くじ、また買おうかな。


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