NO57/アガるということ

ケンジ1973年昭和48年4月29日(日)

昨日までは、ファイヤーマンに逆戻りでずっと大映に泊まり込んでいた。というのは国鉄私鉄の順法やストのために、通うことが不能になったからである。よって四日間大映に泊まり込んだのだ。まいったねェー!そして最後の昨日は、とうとう地獄の釜茹でになった。とにかく、いつものように怪獣の周りに仕掛けた火薬が爆発するのだが、その時は怪獣が倒れて動かなくなるカットで、じっと耐えて横になっていると、何と煙がもくもく怪獣の中に入って来て、髪の毛もちりちりいいだし、腹の辺りが無性に熱くなってきたのだ。もうたまらない、さすがの私も叫んだ。

アッチィー!ところがそういう時に限ってチャックがなかなか開かない。やっとチャックが開いて、外の空気をむしゃぶりつくように吸うまでのあいだが長かったこと。もう死ぬ覚悟であった。出てきた顔は真っ黒だったとまわりの人が言っていた。ヒィェ~~~!


ケンジ1973年昭和48年4月30日(月)

今日も怪獣はつらかった。でも今日で21話全て終了した。一本テレビ映画を撮るのも大変なのだなぁー、とつくづく思った。特にこの怪獣なんてェーのは、演技、タイミングなどは二の次、とにかく体力。人間の体力の限界に挑戦して食っている探検家のようなものだ。これから夏も近づくにつれ、その忍耐と体力の挑戦は一層激しさを増すであろう。

この怪獣のギャラは、真に血と汗の結晶とも言うべき、忍耐力でのみ稼ぎ得るギャラなのだ。しかし私はもうこれでやめる気持ちでいる。日テレもあるし、他のスケジュールもいろいろ入って来ることが予想されるからだ。

生死を賭けた戦いというのは、それは怪獣と超人の主人公の戦いというより、怪獣の着ぐるみとその中に入っている演技者との戦いの代名詞なのである。


ヒロト2022年令和4年4月23日(土)

感電死しかかった人、焼死しかかった人にしか言えない深いお言葉だね。ご苦労様でした。


ケンジ1973年昭和48年5月8日(火)

今日は日テレ養成所で声楽の授業があった。

このところ、久しくやっていない歌などをみんなの前で一人づつ歌わされたのだが、またまた私はどういう訳か手が痺れ、心臓ドキドキ、足ガクガクという状態に陥ったのだ。タレントを目指す私にとって、二、三十人ぐらいの面前でピアノ伴奏で歌うぐらいのことは朝飯前でなければならぬのだが、どうもだめなのだ。私が思うに自分自身に自信がない場合と、そういうことに慣れている、何回もやっている場合とによって、ドキドキ度も変わってくるものなんじゃないかなァーと。


ヒロト2022年令和4年4月23日(土)その 2

前にも、そしてこれからも出てくると思うけど、「劇団新芸術」にいた頃の話をするね。25から30歳ぐらいまで所属していた。全国の小中学校、時々高校を廻って、舞台公演する劇団。北海道から九州沖縄まで廻ったよ。

その高校での演目で、「詩と音楽」っていうのがあったんだ。フルート演奏、歌、詩の朗読をやるわけ。フルートはちゃんとした音楽家が来てくれるけど、歌や詩の朗読は劇団員がやる。

体育館の時もあれば市民会館の時もあるけど、高校生で満杯の客席が暗くなると曲のイントロが流れ始める。そして緞帳が静かに上がり出す。暗い舞台に一筋のスポットライトが一人の男を浮かび上がらせる。男は静かに歌い始める。♪いま~ふなでが~ちかづく~

これ、俺なんだよ。最初はそれこそ、胸ドキドキ足ガクガク、声はうわずる。聞かされた高校生は迷惑だったろうなぁ。20代の若僧がマイウェイって、説得力もないし聞いて楽しくないよね。だいたい高校生が、当時流行りの曲のコンサートだったらいざ知らず、淡々と詩の朗読、シャンソン、フルートによるクラシック演奏なんて面白くも何ともなかったと思う。まあ、教育の一環として売り込んでやらせてもらってることだから勘弁してね。

アガるということに関しては、あの山崎努さんにしてこんなことがあったんだ。

初日開幕の直前、戸が閉まっている山さんの楽屋で何やら大きな声で歌っているのを聞いたことがあった。前に話した山さんの家に泊まった時にその話になった。

「俺は初日本番直前になると、あんなに何回も稽古した筈なのに、台詞が出て来ないんじゃないか、動きのきっかけがわからなくなるんじゃないか、ものすごく不安になるんだ。もう無理だ!出れない!そんなところまで追い込まれる時がある。そういう時はな、歌うんだ。でっかい声で歌うんだ。そうすると、よし!できる!行くぞ!って気持ちになれる。」曲はいつも『荒城の月』、時代を感じるけど、あの朗々とした曲を元気良く歌うんだ、すっきりするぞ、と口の片端を上げてニヤリとした。

アガることは問題じゃない。それにどう向き合うか、なんだな。

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