NO40/市川右太衛門さんの付き人編

ヒロト2022年令和4年3月25日(金)

ケンジ、俺は心配だよ。

大阪で、初めての付き人の仕事。しかも一ヶ月間。P子さんの歴代の付き人さんを見てきたから尚更だよ。P子さんは決して悪い人ではないんだけどね。厳しいんだ。

市川右太衛門さん、歌舞伎から映画界に転身した、昭和の時代劇の大スターだよね。

他に、板東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、長谷川一夫さんたちで、

「時代劇六大スタア」と言われていたらしい。らしいっていうのは、俺らの年でもかなりの先輩で、往年の大スターと感じていたよね。息子さんの北大路欣也さんが10こ上ぐらいだから、欣也さんの方が現在進行形。今でも活躍されているし。

右太衛門さんの代表作は何と言っても『旗本退屈男』、名台詞の「眉間に冴える三日月形

天下御免の向こう傷」。

余談になるけど、今やってるNHKの朝ドラ

「カムカムエブリバディ」のるいのおでこの傷は、絶対にここからきてる。

右太衛門さんは、1999年に92歳で亡くなられた。ということは、この時65歳、今の俺らより若いんだから元気だよ。

さあ、ケンジの大阪一ヶ月、楽しみなような、心配なような、どんな一ヶ月になるんだろう、がんばれケンジ!


ケンジ1972年昭和47年4月27日(木)

今日は久方振りに寿司を食った。市川右太衛門さんにごちそうになったのだ。などとここで改めて言わずとも、毎日のように何かしらごちそうをなっているのだからけっこうなことなのだが、今日食った寿司というのがあまりにも素っ気ない味だったので言うのだ。いや、決してその寿司自体が不味くって私の口に合わなかったというのではない。素っ気ない味というのは雰囲気からくる素っ気ない味ということなのだ。今日は右太衛門さんの奥さん女中さん等々、いろいろな人たちと差し向かいで食ったのだ。その肩の凝ること、まぁー一番最初に市川先生のお宅でごちそうになった時ほどの緊張はなかったにしても、やはり食べている寿司の味をかみしめて、というまでの余裕は出せない。そんな訳でいつもなら大好物の寿司を今日はほんとに素っ気なく食った。以上!


ケンジ1972年昭和47年4月30日(日)

アッー、今日は舞台稽古で案の定戸惑いっぱなし。失敗はする、早とちりはする、もう私自ら自らの足を引っ張っているようなものだった。とうとう最後はあまりの忙しさとボケから、小道具の大刀をどっかへ置き忘れてしまった。それは私の楽屋に帰ってから気がつき、思いつく通り心あたりを片っ端からあたってみたが、とうとう見つからなかった。そら、無くしてしまった、どうしよう、そう思うと焦燥感にかられ、もう神経衰弱の一歩手前。もう参ったぜェー!まぁー明日怒られたら怒られたで勝手にしてもらおー!めでたく快く解決出来れば素直に喜べばよし。どうにでもなれェー!たまにはこういうのもいいだろう。都合のいい話だけれど、まぁ、以上以上。さてそんな忙しい中で、明日の本舞台稽古はもっと忙しいからなぁー、と言われいささか音を上げている次第、ガンバラなくっちゃ。


ケンジ1972年昭和47年5月1日(月)

今日の仕事もミスばかり、昨日と大差はない。もう焦りっぱなし、ショポンとしたっきりよぉー!やんなっちゃうよぉー!

右太衛門さんには怒られっぱなし、そうとう向こうでも気分を害したというような雲行きだった。私としても甚だ心苦しいことよ。そんな訳で今日の出来も良くはなかったが、明日からの本番には、そうはさせんぞ!という意気込みでのぞむでよぉー!期待してくだください。


ケンジ1972年昭和47年5月2日(火)

今日はまぁうまくいった。私の忍耐が良方へと導いたわけだろう。しかしその分だけ疲れたようだ。それには昨日の寝不足もいくらか影響していただろう。とにかく昨夜は、同室の先輩付き人、キタジマさんが12時頃ベロベロに酔って帰って来て、ビシッとズバリ言われたりして、私としてもなかなか寝付かれなかったのだ。その言とは「お前は役者には向いてない、絶対にやめた方がいい」とズバリ言われたことなのだ。私としては真向からまともに受けたわけではないが、一応55歳、芸歴40年というキタジマさんの言うことだから気になったのだ。今日の仕事でもいろいろなところで、「そぉー慌てるな」などと言われたが、私から言えばキタジマさんの方がよっぽど慌てているように見えた。私はその見解に自信を持っている。そろそろ私にもキタジマさんの馬脚が見えてきた。だからキタジマさんから何か言われてもそう深刻に考えないことにした。しかし、仕事上の注意は一言一言聞き漏らさないよう緊張して聞いている。とにかく私は仕事をやる時は私のベストを尽くしてやる。それ以外にないと思っている。まず明日も今日同様ビシッとやるだけである。ではまた!


ケンジ1972年昭和47年5月3日(水)

今日はますます順調に運んだ。またよろこばしからずや。私としても非常に楽になってきた。よかったよかった。まぁーあとは有頂天にならず毎日毎日初心を忘れず、ピリッとしまって行くことだ。明日も頑張らなくっちゃ!さて、今夜は思わぬ友達が出来てますますうれしくなったのだ。その友というのは、私の楽屋で一緒の的場剣友会の人で、青柳さんという女役者の付き人も兼ねている20歳の気の良さそうな顔をした好青年である。そいつと楽屋で二人きりになって、一言二言、言葉を交わしているうちにちょっと喫茶店で何か飲んでいこうということになった。断る理由は何もないし、しいて言えば帰りがちょっと遅くなるということぐらいだ。気さくなヤツと見てとったので、私もそれに応じ、いろいろ身上のことを話し合った。また今度何か一緒に食べに行こうと約束して別れた。以上、明日もヤルデェー!


ケンジ1972年昭和47年5月4日(木)

今日は右太衛門先生に怒られる日だったようだ。とにかく怒られるは怒られるは10回ぐらい怒られたのでは、もうやんなっちゃうよぉー!いや怒られるのがイヤになっちゃうのではなく、こんなに怒られたんではそれ全部を改めて覚えるのに大変だということなのだ。まぁーとにかくこのくらいのこっちゃー参らんでェー!右太衛門さんに気にいられるかいれられぬかは問題ではない。私のベストを尽くしてやれるだけやって砕ければそれまでなのだ。やるだけやるさ。

明日もまた初心で行こう。今夜も早く寝なければ。

とにかく、同室のキタジマさんとタカスギさんは酒を飲んで話をするのが好きだから、私としてもしんどいよぉー!


ヒロト2022年令和4年3月26日(土)

ケンジの大阪物語、まだ始まったばかりだけどなかなかハードだね。守ってくれる人はなし、たった一人で挑んで行く。

たくさん怒られるのがイヤなのではなく、たくさん覚え直すのが大変というところが逆に強さを感じるし、気に入られるかよりベストを尽くせるかが大事なんて、いい事言うねぇ!まだまだ先は長い。楽しませてもらいます。


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