NO38/付き人

ケンジ1972年昭和47年3月31日(金)

さて、いよいよ水上最後の日、思えば長くも短い19日間だった。今思い出せばいろいろ厳しいこと楽しかったこと等々あったが、まぁー無事千秋楽も済み万事OKとまでは行かないまでも、千事OKぐらいまでは何とか、といったところだろう。今日はシャンデリアと源氏という宴会場で立ち回りをやったが、最後ということもあり、痛いのを覚悟で二回ともトンボを切った。案の定痛かった。その痛さ、私の骨の随まで染み渡った。しかし、いつの日かこの痛さが報われる日が来ることを願わん。最後の今日は天気も抜群、いつもの川の流れは折からの雨で水かさを増し、いかにも私らに惜別の舞を披露してくれるかの如く、見事に荒々しく逆巻いていた。

今の気持ちはちょっと未練も残っているが、それにも増して明日は家に帰れるという喜びの方が一層心を満たしている。

水上よ、さらば!


ケンジ1972年昭和47年4月6日(木)

今日は千駄ヶ谷駅前の東京体育館へライダーショーで行った。そこへ着くと、もう長ーい列が視野に余る程続いており、ちょっとビックリ。何でも東急グループ各社の慰安会ということで、ライダーショーの他、藤田まことらによる喜劇、橋幸夫、小柳ルミ子、天地真理らの歌など豪華絢爛たるものであった。また明日もやるのである。

さてところで、今日は兄の買ったポンコツ軽自動車に乗せてもらって、ハラハラのしどうしだったのだ。まず朝は五日市駅まで送ってやるということで、車に乗ったまではよかったのだが、何ともはや、そこはポンコツ車のこと、案の定エンコ、私が後ろを押したがガンとして動かず、とうとうあきらめバスで行った。帰りは帰りで小机坂まで迎えに来てもらい、そこまではよかったのだが、私が助手席に乗った途端、エンスト、おまけにちょうど通りかかったオマワリにとやかく言われるし、まったく災難。その後も運転がまことにギコチなく、私の寿命は10年縮まったわいなぁー!とにかく無事生還できたことだけでも喜ばしいことだったとしなければなるまい。よかったね!


ケンジ1972年昭和47年4月19日(水)

ハッー!肩こった。今日はもう寿命が20年縮まったわいなぁー。今日は四ッ谷の市川右太衛門さんのマンションへ行き、顔合わせを済ませてから、すぐ右太衛門さんらと共に松竹ビルの4階で本読みのケイコに出席した。今度は、私と一緒に行ってくれる先輩はまったくのゼロ、今日の本読みのケイコの時も付き人という形で行った私は、その雰囲気の堅さと、付き人という仕事の無知から来る気負けやら堅苦しさで、ただただ戸惑うばかり。この時ばかりは私の神経もちょっと異常になったのではないかと思うのだ。とにかく私の他に二人付き人らしき人がいて、その人たちが手際良く次から次へとトントンと右太衛門さんの世話をするのにつけ、私はただ「あっあれもやらなきゃいけなかったのか」「おっとここであれを取り替えるのか」等々、精神的に気負けするばかりで、何となく右太衛門さんからも「気の効かねぇーブスーッとした野郎だなぁー」てなことを思われたのではないかと、取り越し苦労したり心配したりすることが重なり、非常に苦しかったのだ。


ヒロト2022年令和4年3月24日(木)

お兄さんの運転で10年、市川右太衛門さんとの初日で20年、合わせて30年寿命が縮まったんだね。それがなければ、ケンジは68歳で亡くなったから98歳まで生きられるということになる!?市川右太衛門さんて、北大路欣也さんのお父さんだよね。

それはともかく、付き人というとすぐある人物が浮かんでくる。

今は新しいビルになってるらしいけど、建て替えられる前の日比谷の宝塚劇場、ここで「おしん青春編」の舞台公演に参加したんだ。役は憲兵、幼いおしんが奉公先から雪深い山に逃げて死にかけたところを、脱走兵で山に隠れ住んでいる男に助けられ、春になるまで厳しい寒さの中でも、やさしく守られていた。春になり、やはり山を降りた方がいいと脱走兵でありながら、おしんを連れて下山する。その途中で男を追っていた憲兵たちに出会ってしまうのだ。おしんは、男を守ろうと立ちはだかるが、憲兵に頬を叩かれ、抱えられてしまう。男はおしんを取り戻そうとするが、別の憲兵に撃ち殺されてしまう。

おしん役は5、6歳だったえなりかずき君、男は大和田獏さん、かずき君を殴って抱えたのが俺です。

かずき君は開演前、いつも裏の階段でお母さんと台詞の練習をしていたなあ。

獏さんは普段もとても穏やかで優しい、今でも感じの良かった人NO.1かも知れない。楽屋に2020年4月にコロナで亡くなった奥さんがよく来ていて、いつも笑顔が絶えなかったよ。

その時の公演ではこんなこともあった。

大人になったおしん、小林綾子さん、その相手役、解散したジャニーズのグループ「忍者」のメンバーだった正木慎也君、座敷での二人だけのシーン、二人の会話が静かに交わされている。と、その時、何かミシミシと軋む音がした。自分は違う役で、舞台袖にスタンバイしていたんだ。二人の頭上にヒラヒラパラパラと照明に照らされて光っている埃のようなものが舞い降りてきた。芝居は続いている。少しの間があった後、

ガラガラドッシャーーーン!!!

何が起こったのか、直ぐにはわからなかった。それでもスタッフは素早く舞台上の二人の無事を確かめて、すぐ緞帳を下ろした。

たくさんの照明器具がぶら下がっている鉄のバーの一本が、舞台上の二人の頭上に落ちてきたんだ。百キロ二百キロじゃきかない重さだと思う。二人の真上だったんだけど、幸いにも舞台のセットに引っ掛かって下までは落ちなかった。まさに九死に一生を得たって感じ。二人の話によると、ちょうど二人とも下を向いて芝居している時で、パラパラとゴミみたいなものが目の前の畳の上に落ちてきて、ヤバいなと思いながら台詞を言っていたとのこと。ほんとにヤバかった。

即、公演中断ではなく中止、翌日も中止だった。原因は前の日から降っていた大雨で、老朽化している宝塚劇場の建物のどこかから水が入り、電気系統の一部がショートして落下したらしいってスタッフが言ってた。

ごめんごめん、だいぶ話がそれたけど、付き人の話だったね。付き人といえば、P子さんの付き人の男の子はいっつも怒られたなあ。今日はその話ではなくて、正木慎也君の付き人の話。

おとなしそうな優しい顔立ちで、育ちも良さそうな若者が、正木君の付き人として、岡持と呼ばれる、飲み物とかタオル、ティッシュなどが入ったかごを持って、穏やかな表情で舞台袖に控えている。正木君は付き人に、というよりも友達といるみたいに接していた。

ある時、舞台裏で本人と話をする機会があって、「やっぱりジャニーズ事務所なんでしょ?」と聞いたら、「はい、この仕事が終わったら新しいグループでデビューするんです。」って嬉しそうに話してくれたんだ。

そんなことも忘れかけていた頃に、デビュー仕立てのV6がテレビに出ていた。

いたんだよそこに!長野博君、本当にデビューしたんだ。良かったね。

そして、ちょっと前だけど、あのきれいな

白石美帆さんと結婚でしょ!でかしたなあ、

長野君。

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