第24話

「──塩が欲しい」

「突然なんじゃ?」

 その日賢吾は、そう、話を切り出した。

 突然のことにグレーテルもグランマリアも疑問符を浮かべている。クルルに至っては肉以外に興味すら無い。その大きな口を目一杯広げて、欠伸を浮かべていた。

「いやさ、結構切実だろう? 塩の有無って」

「それはそうよね。でもダーリン、どうして今なの?」

 人はパンのみに生きるにあらず。しかしパンが無ければ生きられないのも事実だ。

 今回で言うパンは塩──ナトリウム、カリウム、マグネシウムなどの──つまりはミネラル分である。

 具体的にミネラルが不足した場合、どのような症状が引き起こされるのか賢吾は知らない。

 だが栄養の不足・偏りが、脚気かっけ壊血病かいけつびょうなど、シャレにならない病気を引き起こすことは知っていた。

 だが、何も賢吾は栄養面だけを気にして塩が欲しいと言った訳ではない。

「それだけじゃなくて、保存食を作るのにだって塩があると便利だろ?」

「ふぅむ、そうじゃのぅ。現状、折角肉を得ても大半は腐らせてしまうのがオチじゃからのぅ」

 現に二日目に狩ったフォレストウルフの肉は、クルルがいるにも関わらず、半分近くを破棄する結果になってしまった。

 当然ながら冷蔵庫なんて文明の利器は無く、氷室を作る案も上げたが、気候が致命的に合わなかった。氷を作るそばから溶け始めて、とてもじゃないが氷室を作ることは出来なかった。

 肉の保存と言えば燻製も選択肢に上がったが、賢吾は作り方の詳細を知らない。

 何となく、細かく砕いた木片をして煙でいぶせば──程度の知識はあるが、よく言うではないか。生兵法なまびょうほう怪我ケガもとと。

 その点、塩漬けなら失敗しないだろう。賢吾はそんなことを考えていた。

「しっかし塩、のぅ……」

「な、なによ」

 グレーテルが意味深に呟くと、何故かグランマリアがたじろいだ。

 その意味が分からず、賢吾は二人に問い掛ける。

「どうしたんだ? グレーテルも、グランマリアも」

「ふんっ、どうもこうも。お主も知っておろうが、とどのつまり、塩とは戦略物資よ。故にその流通は厳しく取り締まられておる。その大本おおもとこそが、此奴ら聖教会よ」

「なっ! 何を悪し様に言うわけ⁉ 確かに、アンタの言う通り聖教会は塩の流通を取り仕切っているわ、えぇ。だけど地方にまで教会があるおかげで、国全体に塩が行き渡っているのよ?」

「はん、そういう事実もあるにはあるがの。一方で生臭坊主どもそれをいいことに民を強請っているのを、知らぬとは言わせんぞ?」

「そ、それは……!」

「あーはいはい。大陸の事情とか、俺にはどうでもいいから」

 ふとした拍子にヒートアップする二人を諫める。

 賢吾が殊更ことさらに興味なさげに声をあげると、二人はどちらともなく折れた。

「そう、じゃの。この島で魔女じゃ聖女じゃと騒いでも仕方ないの」

「ごめんなさいダーリン。……アンタにも、悪かったわね」

「ほぉ~ん? 何ぞ聞こえんかったが、もう一度言ってくれんか?」

「何よアンタ! ほんっっっとうに性格悪いわね‼」

「じゃが塩と言っても、どうするつもりじゃ?」

「ちょっと! 無視しないでよ! 寂しくて泣くわよ!?」

 隙あらば啀み合う二人は、もうそういうものなのだと賢吾はスルーする事を学んだ。

「そこなんだよなぁ」

 塩を得るにあたって、大別すると二つの手段がある。

 海水から抽出するか、岩塩を見つけるかである。両者には互いに明確なメリット・デメリットがある。

 前者であれば、まず確実に採れるだろう。だが塩田などの設備が無いと大量生産は出来ず、掛かる労力も大きい。

 後者は言わずもがな、見つかるか否かである。

 賢吾は日本で学んだ知識と記憶をどうにか絞り出す。確か岩塩は──海水が陸に閉じ込められて、長い年月を掛けて塩分が結晶化したとかなんたら。

 幸いにして島は四方を海に囲まれている。だが、そんな都合良く岩塩層が出来ているのか考えると、思考はそこで止まってしまう。

「どうすればいいと思う?」

 そうやって賢吾が学んだ知識を披露していると、二人は実に興味深げに聞いていた。そして最後に決を取ろうとすると、二人はさして迷いもなく意見を口にした。

「そうじゃのぅ。やはり海水から採取するのが確実じゃと思うぞ」

「それも一理あるけど。まだ島内を全部見回った訳じゃないでしょ? 急を要する訳でもないし、もう少し見て回って岩塩があればラッキー程度に考えて、それから考えても遅くはなくないんじゃないの?」

 見事に意見が割れてしまった。

 それを聞いて賢吾は──。

「……とりあえず、試してみたい事を思いついたんだけど」


 ◇◇◇


 三人と一匹は浜へ移動した。船の残骸のある、あの浜だ。

「ふむ。何をするつもりじゃ」

「聞きたいんだけどグレーテル。海水と塩を分ける魔法ってのは無いんだよな」

「無いのぅ。そのようなピンポイントな魔法は、さすがにの」

「じゃぁ次だ。海水から不純物を取り除く魔法は?」

「んん?」

 先とほとんど内容の変わらぬ質問に、グレーテルは無い首を傾げた。

「……錬金術の中には”蒸留”、”抽出”という工程がある。それを補助する魔法はあるがの、魔法一つでポンという訳にはいかぬ」

「そうか。じゃぁ海水──塩水の、水だけを動かすことって出来ないのか?」

「動かす?」

「そう。例えば”根源魔法”で海水の中の、水分だけを動かして──」

「おぉ、成る程のぅ。さすれば結果的に塩だけが残る、という訳か」

 グレーテルは目から鱗であった。”根源魔法”は様々なことが出来る。出来るが故に、出来ない時に工夫を凝らすという点が抜け落ちることが、ままある。

「出来ぬとは言わんが、難しいぞ? 混じり合った物の、その内一つだけを動かそうとする場合は、ソレをきちんと把握出来ていなければならん。正確なイメージがものをいうぞ?」

「そっかそっか」

 グレーテルのお墨付きを得て、賢吾は満足そうに頷く。

 いや、グレーテルからすれば「出来ない」と言ったつもりなのだが、賢吾はやけに自信有りげだった。

「どうするつもりじゃ……?」

「まぁ見てなって」

「頑張ってダーリン!」

 賢吾はフラグのお手本のような台詞を吐くと海へと右手を翳した。

「”水よ──”」

 最早慣れたもので、賢吾は”根源魔法”を発動する。

 すると眼前の海が盛り上がり、人間大の水球が宙に浮かんだ。

 高度を保ったまま水球がゆっくりと、近づいてくる。

 その、異様な光景に警戒心を顕にしたクルルが低く唸る。

「っ」

「大丈夫!?」

「……あぁ、平気平気」

 操作する対象が大きく、多くなると脳内に掛かる負荷も比例して大きくなる。

 賢吾の顔が苦悶に歪むと過保護なグランマリアは悲鳴にも似た声を上げた。

 安心させるように賢吾は無理して笑う。

「っ、と」

 そのまま目的の位置──予め敷いていた板の上──に移動させると、賢吾は空いていた左手を翳して、目を瞑った。

(イメージ、イメージ……)

 ──正確なイメージ。

 想像するのはH2O──水分子である。化学式ではなく、電子と陽子、中性子からなる球体をイメージする。

 想像の中の水分子だけを、水球から抜き取るように左手をゆっくりと動かす。

 すると大きな球体から小さな球体が一つ、二つと次々離れてゆき、ある程度離れると糸が切れたようにビシャっと、その形が崩れた。

「なんと……!」

「ダーリン! 血がっ‼」

 その光景に目を奪われるグレーテル。

 対して賢吾の身だけを案じていたグランマリアはすぐ異常に気付いた。

 彼の鼻から、一条の血が流れていた。だが、己が想像の世界に没頭している賢吾の耳には悲鳴も届かない。

 そうして初め人間大もあった水球は今や拳ほどの大きさになり、目に見えて濁っているのが分かった。

「っ……!」

 賢吾の集中力が切れた。

 最後まで宙に浮いていた水球も板の上に力なく落ちる。

 塩と水の、完全な分離は行えなかったが、かなり塩分濃度の高い水を採取出来たのではないだろうか。

「はぁ、はぁ……!」

「マサキや! お、お主やりおったのぅ! のぅ? 水とは、本来如何なるものなんじゃ!? んん? 教えてたもれ!」

「この馬鹿! 少しはダーリンの身体を労りなさいよっ! 大丈夫、ダーリン……?」

 気を抜いた瞬間、一気に世界の音が復活した。

 やかましい二人の声。波の音。何より、己が鼓動が一番五月蠅うるさく鳴っていた。

「ふぅ、ふぅ……! ちょ、ちょっとタンマ……!」

 魔力の消耗よりも、精神の集中により掛かった負荷が想像以上で。

 だが成果もまた、想像以上と言えよう。

 賢吾は気怠い、しかして達成感に包まれて、意識を手放した。

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