第22話

「……ふが?」

 目が覚めて「見慣れない天井だ」と思うのは、最早一種の様式美であろう。

 上体を起こしてグッと身体を伸ばすと、ようやく意識がハッキリとしてきた。

「ようやくお目覚めかえ」

 枯れ葉のベッドからすぐ手の届く範囲に居たグレーテルにおはようと声を掛ける。

「んむ。おはよう──と言いたいところじゃが、もう日が随分と登っておるぞ」

 言われて玄関から身を乗り出せば、確かに、太陽は大分高い位置にあった。

「んへへ♥ ダーリン……♥」

「クルルゥ……」

 壁に立てかけているグランマリアは寝言(?)を呟いているし、クルルと名付けたクァールは賢吾と同じ枯れ葉の上で身体を丸めて寝息を立てていた。

「まだ酷い顔をしておるのぅ。ほれ、顔でも洗ってシャキっとせい」

「あー、そうだな……」

 グレーテルの言葉に従い、賢吾は魔法を発動させた。「”水よ──”」と呟くと大気中の水分が集まり、空中に完全な球体の水玉を作った。

 それを予め作っていた木のマス──というほど上等なものではない。ただ木をくり抜いただけの器である──に移す。

 タプンと、枡に溢れんばかりに溜まった水で顔を洗った。さっぱり。

「そいで、今日も周囲の散策か?」

「んむ。そうじゃのぅ──」

 賢吾らは作業を効率よく進める為に、幾つかの短期的な目標を立てている。

 質の良い睡眠や排泄時の安全などを含む、住環境の整備。

 安定した食料の確保や保存食の作成。

 そして脱出のための、島内の調査。

 兎に角人手が足りず「どれか一つを定めてやる」というよりも全てを並行して行っているのが現状である。

「折角クァールを使い魔にしたんじゃ。有効に活用せん手はないの」

「クルルな」

「ほいほい、クルルじゃの。──そのクルルに、案内をしてもらうというのも手じゃの」

「ん? どういうことだ?」

「なんじゃ、気付いておらなんだ。マサキ、お主はクルルと契約したことによって彼奴の考えが分かるようになったろう?」

 言われて賢吾は昨晩の出来事を思い出した。

 脳内に、肉という一言が勝手に浮かんだことを。

 そうして賢吾は昨晩に見た夢を思い出した。全く心当たりのない、しかしやけに鮮明な夢を。

「なんか昨日、変な夢を見たんだけど。それも関係あったりするか?」

「ほう。夢とな」

 賢吾がその内容を話すと、グレーテルは訳知り顔で「ふむ」と頷いた。

「間違いなく、クルルの記憶じゃの。魔法的な繋がりは魂の繋がりも同然じゃ。そういうこともあろうて」

「じゃぁグレーテルの記憶を夢見ることもあるってことか?」

「……まぁ、あるかもしれんの」

 ちょっとした疑問のつもりだったのだが、ことほか嫌そうにグレーテルは肯定した。

「そんなことより、ほれ! さっさと二人を起こさんか! 時間は有限なんじゃぞ!」

 誤魔化すように、グレーテルは叫んだ。


 ◇◇◇


『水、こっち』

「ひぃ、ひぃ……!」

 クルルの先導に従い密林を進む。

 彼のペースは速く、時折立ち止まってはこちらを見守っている。

「ま、魔法……」

「こりゃ! まーたお主はすぐ楽をしようとする!」

「そうよダーリン! 一度ズルの味を知ってしまうと、その次もやってしまうものよっ」

「お主が言うと説得力が違うのぅ」

「ズルだけに! ズルズルっとね!」

「「……」」

「ズルだけに! ズルだけに!」

「「……」」

 どっと疲労が押し寄せてきた。何故とは、敢えて言わない。

「……ちょっと休憩しない?」

「そうじゃのぅ」

「えっ!? 二人とも、気付いてくれない……? 今のはねぇ、ズルと引き摺るを掛けた──」

「ええい! お主は黙っておれ!」

 何か巫山戯ふざけたことを抜かすグランマリアは無視して。

 賢吾は近くの木に背を預けた。

 ──暑い。

 これ以上ないほどの薄着であるが、それでも本格的な運動をするとあっという間に汗が吹き出てくる。

 クルルが『行かないのか?』と戸惑いがちに戻ってきた。近づいてきた彼の頭を何気なしに撫でていると、不意に悪臭が賢吾の鼻を突いた。

 賢吾は眉を潜める。最初クルルの臭いかと思ったが、どうやらそうではないようだ。

 ──真逆まさか、という気持ちを抑え恐る恐る己が襟元を摘み、鼻を近づけ……憂鬱な気分になった。

「マジか……」

 思えば当然であろう。異世界に来てから一度も身体を清めていないのだから。体臭が、今まで発したことの無い臭いでも、仕方無かろう。

「ん、もういいのかえ?」

「……あぁ。さっさと行こう」

 賢吾は気持ちを新たに、水を見つけることを強く誓うのであった。 


 ◇◇◇


 小休止から少し経った頃。

「ん? この音は──」

 葉の擦れる音。聞いたことの無い鳥の声。そして、微かに聞こえる水流の音。

「クルル!」

「クルゥ?」

 突如元気を取り戻した主に、クァールは首を傾げる。

 そうして自分すら追い抜こうとする主を、追い抜かせまいと足を早めた。

 水の音はどんとんと大きくなり、程なくして、視界が開けた。

「おぉっ‼」

 目の前の光景に賢吾は感嘆の声を上げる。

 ──清流であった。

 苔むした岩がそこかしこに転がる、清らかな川だった。

 これだけの密林である。アマゾン川のような濁った川を想像していたが、いい意味で裏切られた。

 クルルが迷いなく水を飲み始めたので、賢吾もその横で水を掬い一口。

「っ、ぷはぁ! うまい!」

 天然物だからか、疲れた身体に染み渡った。

 満足げな賢吾と違い、グレーテルは渋い声を上げる。

「ふぅむ、些か遠いのぅ……。早まったか? こちらに拠点を移すべきか──と、マサキや!? 何故服を脱ぐ!?」

「え、何って。水浴びだよ水浴び。身体がベタついてさぁ」

 水源を見つけたら、可能であれば身体を清めたいと考えていた。

 そも賢吾は遭難して島に辿り着いたのだ。その時から身体はベタついており、更には汗を掻き、気持ち悪いことこの上なかった。

 水浴びの為に全裸になったのだが。

「じゃ、じゃからと言って全部脱がなくとも! ええい、お主からも何か言ってやれ!」

「黙って! ……今私はダーリンの姿を焼き付けるのに必死なんだから」

「ひゃほい!」

 賢吾は堪らず飛び込んだ。

 水柱が立ち上り、飛んできた飛沫しぶきにクルルが嫌そうに顔をしかめる。

「っ、はぁ~。気持ちいい~」

「ダーリン! 今の、今のもっかい言って! 記憶に刻むから!」

「……ほんに、キモい剣じゃのぅ」

「うっさいわね! ピチピチ少年の裸体なのよ!? これで平然としてたら、女がすたるってもんよ! 大体アンタも、目が釘付けじゃない!」

「そ、そんな事はないの」

 無機物同士にしか分からないシンパシーでもあるのか。

 賢吾にはグレーテルの目なぞ分からないが、どうやらガン見されているらしい。

 ……と言っても所詮は本と剣である。中身がかつて女性だったからと言って、今更恥ずかしいと思うことは無かった。

 こうして賢吾は当初の目的である真水を、ようやく見つけたのだった。

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