第21話

「クルルル……」

 文字通りの目と鼻の先、伏せたまま焼肉を貪るクァールの背中を撫でる。

 試しに生肉を鼻先に置いて見ると、「なんで焼いて無いんや」と目線で抗議してきた。多分、そう。

 賢吾は生肉をグランマリアに刺し、火で炙った。クァールの視線が釣られるように剣先へと向く。

「なんとまぁ」

 グレーテルが関心とも呆れとも付かぬ声を上げた。

「クァールは猫科の魔獣じゃ。故にか、その性格は臆病つ好奇心が旺盛じゃったりするが。こうまで魔物が人に懐くとは、実に珍しいのぅ」

「うーん、良くも悪くも人慣れして無いんじゃないか?」

「どういうことダーリン?」

 右手でグランマリア(肉装備)を火にかざしつつ、空いている左の手でクァールの背中をゆっくりと撫でる。すると彼は気持ち良さげに喉を鳴らした。

「クルルル……」

「いやここ、無人島だろう? 当然だけど、人間と遭遇なんかしないだろうし。この子も精々見慣れない猿だと思ってるんじゃないかな」

「ん、ありえん話では無いのぅ」

 賢吾は試しに撫でる手を止めてみる。すると「なんだどうした?」とクァールが顔だけをこちらへ向け、もっと撫でろと言わんばかりに額を擦り付けてきた。

「あかん……。可愛い過ぎる……!」

「むっ! ダーリン!? 私の方がもっと可愛いんですけど!?」

「いや、可愛さじゃお前さん惨敗だから」

「えぇ~、そんなぁ……!? ぐっ、こ、この泥棒猫め……!」

 泥棒猫て。確かに猫科だけども。

 賢吾はグランマリアの言動に呆れると同時、グレーテルの言う通りだと思った。

 彼女が生粋の知性ある武器インテリジェンス・ウェポンであれば、剣の身で己を可愛いと言うのは違和感がある。人間だったからこそ、出てくる言動だ。

「しっかし、どうしたもんかなぁ」

「ん? なんじゃ、何か気掛かりでもあるのかえ」

 無意識に、思いが口を突いていたらしい。

 賢吾は焼き上がった肉をクァールに与え、自分も肉を口にする。もにゅもにゅ。

 素人の処理だったからか、はたまたジビエが本来そういうものなのか。日本で口にしていた肉より大分硬い。噛む度に肉汁が溢れる──という事も無く、ひたすらに赤身肉の味しかしない。

 だが、この島に着いてからの初めての肉である。今の賢吾には大層なご馳走であった。

「むぐむぐ。いやさ? 昨日の獣の正体が分かったのは良かったよ? こうして和解(?)も出来たし。ただ──」

「ただ、何じゃ?」

「この子をどうしようかって話だよ。正直、手放したくないっ!」

「ばっ! お主何を!?」

 賢吾はもう辛抱堪らんといった様子で、クァールの背に顔を埋めた。クァールは「何だ!?」とばかりに一瞬身体を強張らせたたが、ただそれだけ。逃げる様子も振り払う真似もせず、じっと賢吾を見詰めていた。

 くんかくんか! すーはーすーはー! 獣臭さが鼻を突いた。

「あぁ~。もふもふだよ~。ふわふわだよ~」

「……何じゃぁ、聞いたことの無い声を出しよってからに」

「だ、ダーリン! そんな野獣より私の方が──!」

「お主に頬擦りはさすがにムリじゃろて」

「ク、クルルルゥ……?」

 クァールが戸惑ったように鳴く。所在なさげに二本の髭が空中を彷徨っていた。

 衣食住、必要最低限のもののみを揃えるミニマリストなる者もいるらしいが、情報化社会で常に娯楽と共に生きてきた賢吾に、思春期真っ盛りの高校生にソレは難しかった。人はパンのみに生きるにあらず、である。

 まして孤独は精神をむしばむ。

 かつての無人島を題材にした映画では、孤独を紛らわす為にバレーボールに名前を付け、あたかも本当の友人のように扱ったものがあったぐらいだ。

 そういう意味でも、賢吾は恵まれている。喋る本グレーテルお喋りな剣グランマリアがいるのだから。

 彼女らの存在は賢吾の精神安定に一役も二役も買っていたが、それはそれ。

 賢吾が血の通った友人を欲しても、おかしな話ではない。

「ふむ……」

 グレーテルは現状を思う。

 自分とグランマリアがいれば大抵の事は解決出来る自負はある。あるがそれとは別に保険を用意しておくのは悪いことではない。

「……古来より魔女は使い魔を持っておった。烏、梟、猫なんかじゃの。此奴もまぁ、……デカい猫と変わらんじゃろ」

 安全面の問題をクリア出来れば、クァールを使い魔とするのは良手である。

 猫扱いに気付いたのか、クァールの髭がグレーテルへと向く。

「ちょっと本気? 魔物使いテイマーでも無いダーリンが魔物を使役するなんて──」

従魔テイムではなく使い魔ファミリアじゃ。きちんと体系化されている術じゃて。問題なかろう」

「……魔物使いでも無いのに。だから魔女は危険視されるのよ」

「何ぞ言ったかえ?」

「いーえ。別にぃ~」

 含むところのあるグランマリアの返答であったが、彼女も現状の危険性をきちんと認識出来ているのだろう。

 出来ていないのは、呑気にクァールの滑らかな毛皮にうつつを抜かす、我らが主ばかりである。

 グレーテルは溜め息を抑えつつ、賢吾へと提案する。

「のぅ賢吾。お主に良い話があるんじゃが──な゛っ!?」

「ん?」

「な、ななな何をしておるか!? 年頃の男がはしたない!」

「え? 何が?」

 グレーテルが、一体何にそんな動揺しているのか賢吾には見当がつかなかった。

「じゃ、じゃから! その指を舐めるのをっ! うぅ……!」

 無人島生活五日目。生活基盤すら整っていない現在、箸なんて上品なもの

はない。

 必然、食事は手掴みで行っていたのだが、賢吾は無意識の指を舐めていた。脂でギトギトで、気持ち悪かったからだ。

(……なんか変な反応)

 賢吾はグレーテルの言動に違和感を感じる。思えばグランマリアの過去は聞いたが、グレーテルのはまだだ。

 彼女にもまた、秘密がありそうだ。

「……ゴクリ」

「グランマリア?」

「ハ──!? な、なな何かしらダーリン!? 見惚れて、ううん見惚れてなんかいないわよ!? 指を舐める姿がエロいなんて、ちっとも思ってないんだからねっ!」

「……さよけ」

「あぁんっ♥ ダーリンが冷たいっ♥」

 喉を鳴らす音が聞こえたと思ったら。

 馬鹿正直な聖剣に蔑みの視線を送ると、グランマリアは震えて悦んだ。コイツ、無敵か……!?

「それで、良い話って何さ」

「ん、んむ。そこなクァールをな、お主の使い魔にしてしまおうという話じゃ」

「そんな事出来るの?」

「当然じゃ! 妾を誰と思うとる!」

 期待と不安を込めて問うと、実に頼もしい返事が返ってきたではないか。

「じゃぁ、お願いします?」

「んむ、任せるがよい! まずはクァールの眼前に手を翳して、妾の言葉を復唱するのじゃ。”汝に問う”と」

「ええと、”汝に問う──”」

「クルル?」

 掌を向けられたクァールは不思議そうに首を傾げた。敵意は、微塵もない。

 腹から胸を経て肩、腕を通り掌へと熱──魔力が移動するのを感じる。

 賢吾は続けて復唱した。

「”我は求む。汝の力を、知恵を。汝は何を求むるや?”」

『クルルゥ、……肉』

「おわ!? なんか脳内に言葉が!?」

「ん、聞こえたかえ? それがクァールの欲しているものじゃ。使い魔とする魔物の要求を呑むことで契約が完了するのじゃ」

「ダーリン。この子は何て?」

「えぇと、肉が欲しいみたいなんだけど」

「何じゃそんな事か。肉ならたんと余っておるではないか。あれだけあっても、腐らせてしまうのがオチよ」

 賢吾は頷き、クァールの前に肉を置いた。生肉である。

『ウゥ……。違う、これじゃない』

「……なんかこれじゃないって」

「もしかして、焼いたお肉じゃないの?」

 グランマリアの指摘に「あぁ」と納得し、賢吾は焼いた肉を差し出した。

 するとクァールは目を輝かせて肉に飛び付いた。

『ハムハム! ガッガッ! 美味い、美味い!』

「そうみたいね」

「それで? 次はどうするんじゃ?」

「うむ、次はの──」

 こうしてクァールの要求を無事クリアした賢吾は彼を使い魔とすることに成功した。

 その晩、賢吾は夢を見た。しかし夢と呼ぶには鮮明過ぎて、これがクァールの記憶なのだと直感的に理解する。

 彼は群れの中での爪弾き者だった。

 皆が黒い体毛を持つ中、自分だけは白い毛並みで。皆が魔眼の力を持つのに対し、自分は魔力すら無くて。そんな彼が群れの仲間から苛めにあっていたのは、ある意味では当然だったのだろう。……彼が、群れから離れる決意をするのも。

 夢の中の賢吾はただ眺めることしか出来ず──。

 ただ、目が覚めたら目一杯彼を可愛がってやろうと思った。

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